パパブッシュの思い出

パパブッシュ(ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ)元大統領が亡くなった。

私にとってはたいへん思い出深い大統領である。というのも、ワシントンでフリーのジャーナリストとして独立した年(1990年)の大統領がパパブッシュだったからだ。

ホワイトハウスの記者証を得て、あの白い館に出入りするようになったのもパパブッシュの時代だ。92年の再選時、ビル・クリントンに敗れた時の表情はもの憂げで、手を差し伸べてあげたいほとだった。

彼が再選で負けた理由の1つは、選挙公約を破ったことにある。

「リード・マイ・リップス(言うことを信じて)!増税はしません!」

こう宣言して大統領になったが、増税を実施してひんしゅくを買った。クリントンは選挙期間中、ブッシュが言った上のセリフをテレビCM用に切り取って繰り返し流した。

「こんなウソつきを次の4年も大統領にしていていいんですか」という内容だった。

私は共和党支持派ではないが、少しだけパパブッシュの弁護をしたい。実は政権発足後も、彼はずっと増税反対派だった。その政治スタンスは変わらなかった。しかし連邦議会は民主党が主流派で、増税案を成立させたのだ。

パパブッシュが法案に署名しなければ法案は法律にならない。署名しないオプションもあったが、国家としての財政赤字が膨らんでおり、税収をあげることは共和党サイドからの要望でもあった。

そして民主党と増税案を調整し、最終的に署名したわけだ。結果的に増税することになり、選挙公約は破られることになったが、苦渋の選択だった。

人のいい、穏やかなおじいちゃんに見えるが、中国大使を経験し、CIA長官も務めた外交の表も裏も知る老練な政治家だった。

ご冥福をお祈りいたします。(敬称略)

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Photo courtesy of NARA

中国大使時代。妻ローラ・ブッシュさんと。

ゴーン逮捕が示す日本の美点

日産のカルロス・ゴーン容疑者(以下ゴーン)が逮捕されて10日がたった。

いまだにゴーン関連のニュースは後を絶たないし、次から次へとあらたな不正がでてきて、勾留期間は当初の20日間よりも長くなりそうだ。

昨日、ラジオフランスのインタビューを受けて、日本の司法について思っていることを述べた。フランスがメディアを含めてゴーン擁護の考え方に偏っていることは知っていた。だから敢えて言った。

「日本の検察がゴーンを逮捕したというのは、ゴーンが罪を犯した証拠を握っていた証し。日本では起訴された容疑者の99%が有罪になります。証拠があいまいな中で日本の検察は逮捕に踏み切らない」

いま欧米からは日本の司法のあり方が「前時代的だ」とか「推定無罪を理解していない」という批判が噴出している。

私も米国に四半世紀もいたので、基本的人権や推定無罪については理解しているつもりだ。だが、日本の検察はすべての案件で、「あやしい輩」を起訴しない。つまり、重要な事件で起訴に動いているということだ。

日本の裁判件数をみても、過去30年間減り続けている。確実に「罪をおかした悪人」を起訴する傾向が強まっている。

言い換えれば、逮捕の前に徹底的に捜査を行い、事実関係を調べ上げて犯人を特定した上で起訴に踏み切っている。犯人は自白せざるを得なくなる。

アメリカにはいま連邦・州を合わせて受刑者が約230万人もいる。日本は6万弱である。人口がアメリカのほぼ3分の1であることを考えても、大変少ない。初犯であれば執行猶予がついて実刑にいたらないことも多く、アメリカ的な検挙と司法判断をつかうと日本の受刑者は何倍にもなるだろう。

それほど日本の検察は厳格に容疑者を調べてから手錠をかけているということだ。これは欧米には真似のできないことであり美点でさえある。

理念的には有罪判決がでるまで「推定無罪」という考え方があってもいいが、日本の司法に限っては起訴=有罪という図式であり、日本の司法の特質だろうと思う。

危険国に向かうということ

毎日世界中でいろいろなニュースが起き、物凄い本数の記事や映像が溢れている。できるだけ多くの事象に接するようにしているが、限界がある。いくら「好きなことを仕事にした」とはいえ、すべてのニュース分野で精通できるわけではない。

アメリカで中間選挙の取材をしていると、オバマやヒラリーなどに宛てた爆発物送付事件が起きて、メディアの関心が一気にそちらにシフトしてしまった。日本の新聞では爆発物送付事件としているが、死傷者がでていなくとも紛れもないテロリズムであり、テロ未遂事件とすべきだろう。すでに容疑者は逮捕された。

日本のニュースに眼を向けると、日中首脳会談を筆頭に、安田純平が無事に帰国したニュースが伝わる。無事でなによりだったと思うが、安田の言動にはいま賛否両論がまきおきている。

彼については2016年3月19日の当ブログで私見を述べたとおり、私はいまでもシリア入国は無謀だったと考えている。戦場ジャーナリストという点では、15年2月(同じジャーナリストとして思うこと)でも書いたとおりで、考えに変化はない。安田の今回の帰国は残念だが「負け」であり、シリアでの丸腰の取材は私にいわせれば無謀と言わざるを得ない。

こうした形での帰国はたぶん、実は本人がもっとも無念に思っているだろうと思う。リスクが伴うことは最初から彼はよく理解していただろうし、拘束され、また殺害される危険性も認識してシリアに入ったはずだ。だが、アルカイダ系のヌスラ戦線の支配地域に足を踏み入れることは、丸腰で犯罪者組織に分け入っていくようなものでしかなかった。

日本政府が渡航自粛といったところで、私も北朝鮮やホンジュラスなどに入って取材をしてきたし、危険国でのリスクはよく分かっているつもりだ。国や地域、さらに時間の経過によって状況が変わり、リスクも変化する。それでも自分の身を守ってこその取材のはずだ。

私がヌスラ戦線の兵士であったら、安田と出会ってまずスパイであることを疑う。ジャーナリストと名乗っても、もっともカモフラージュしやすい職種であるため拘束する。シリアの状況は3年前と少しちがうが、戦場であることに違いはない。身代金を取るビジネスの一環として利用しさえするだろう。

フリーのジャーナリストが現地に入ることで「テロ抑止力が少しは働く」「誰かが報道しなければ」といった意見があるが、希薄で曖昧な言説だと思う。ジャーナリストの仕事に価値を置いていただけるのは嬉しいが、世界を動かすことはそれほど易しくないのが現実だ。

私が行くなら漠然と領内にはいるのではなく、アラビア語をマスターし、あらゆる手をつくしてヌスラ戦線の首領のインタビューをとりつけたり、内部情報提供者を確保するなどの具体的な計画の段取りができないかぎり入国しない。そして民兵をつけるか米兵に帯同する。

彼らがどういった悪行を繰り返してきたのか、被害者の声を聴かなくてはいけない。彼らの胸ぐらをつかみにいくくらい内容のある報道でないと、何が変わるというのか。それができずして、単に現地入りするのはリスクが高すぎる。(敬称略)

カショギ殺害事件

サウジアラビア人ジャーナリスト、ジャマル・カショギが殺害された事件について3つのことを指摘したい。

最初はサウジアラビア(イスタンブール領事館)という国家が反体制派のジャーナリストを殺した大罪を、あらためて世界に問う必要があるということだ。サウジアラビアはこれまでも多くの反体制派の人間を殺害してきたと言われるが、カショギは当初、行方不明と伝えられた。

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Photo from Twitter  カショギ氏とフィアンセ

その後、殺害されてから遺体はバラバラに解体されたといわれ、20日になるとサウジ政府は領事館内で職員と口論になり、複数の人間によって殴り殺されたと説明した。

こうなると何が真実なのかわからない。少なくとも国家が1人のジャーナリストを殺害したことは間違いなく、同じジャーナリストとして悲しいといったレベルを通りこして、サウジ政府への激憤をいだく。サウジ政府と実行犯は国際的な裁きを受けてしかるべきである。

2番目は、殺害が領事館にいる15人の政府職員によって行われ、サウジアラビアの皇太子、ムハンマド・ビン・サルマンによる命令で実行された可能性が高いことだ。連邦上院外交委員会メンバーであるランド・ポールは21日、「サルマン皇太子が命令しているはず」と述べている。

ワシントンポスト紙にもコラムを書いていたカショギは、サウジ政府への批判を恐れなかった。国家が1人のコラムニストの意見を抹殺するために殺人も犯したのだ。上からの命令なしで職員たちが殺人を犯すだろうか。サウジ政府の悪行は許されない。

3番目はトランプの言い分が過去1週間で変わったことである。変節はいつものことだが、トランプは当初、カショギの死亡にサウジ政府は関与していないとしていたし、サウジ政府の説明を「信用できる」と言った。

しかし21日になってサウジ政府の言い分に「ウソ」があったと述べた。当初からサウジ政府の対応と説明には疑わしいところがあり、盟友であるサルマンをかばうために真実を見ようとしかなったと思われてもしかたがない。

「こんな大統領を信用できるわけがない」というのがまともな反応だと思うのがだが、いまでもアメリカの有権者の約4割がトランプ支持者である。(敬称略)

とにかく長いんです

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東欧ネタをもう一度だけー。

ヨーロッパを訪れると、大小さまざまなソーセージに出会えます。特にドイツからチェコ、ポーランドにかけては種類の多さと大きさに驚かされます。

上の写真はポーランドの市場での一枚。

「とにかく長いんです」