Rio!

2016年のオリンピック開催地がリオデジャネイロに決まった。

     

                     

4候補の中ではもっともふさわしい都市だと思う。シカゴと東京(アメリカと日本)は全国民レベルでオリンピックを渇望していただろうか。

そうした空気を選考委員は感じとっていたはずだ。これまで一度もオリンピックが開催されていない南米が選ばれた点は貴重である。私が選考委員でも最初からリオに一票を投じていた。

治安の心配をした人もいようが、中南米のどの都市にいってもファベーラ(スラム街)はある。今年4月に訪れたメキシコシティには中南米最大のファべーラがあって600万人が暮らすが、すでに1968年にオリンピックが開催されている。

リオには3年ほど行っていないが、新興国としての威信にかけても南米らしいエネルギッシュなオリンピックを開催してほしい。人とカネが集まれば大きなプロジェクトが動く。そうすればカネがさらに集まり、流れ、それが世界に還元する。

世界経済、特に貿易については統計にでてくる数字以外のところでカネの流れが増大しているので、貿易赤字が増加したからといってそれで一喜一憂する時代は終わったと思っている。たとえば中国の港からカリフォルニア州ロングビーチに入港した貨物船の実質バリューの約50%だけが中国産であり、残りの半分は自国アメリカを含む他国産である。

すなわち、経済はとうの昔に国境が失せているのだ。南米は距離的には日本から遠いが、経済的な緊密度は深く、リオ五輪でつながりは深度をます。16年はまだ先だが、大いに期待したい。

オバマイズム

日本時間20日午前1時過ぎからCNNでオバマの記者会見があったので、眠い目をこすって観た。リニダード・トバゴで行われていた米州首脳会議の閉幕直後の会見で、大統領は外交政策の指針をみずから「オバマイズム」とよんだ。

いくつかのことが胸に去来した。ひとつはオバマが大統領選挙中に打ち出した公約を守っているという点。もう1点は民主主義の流布ということである。

選挙中、オバマは外交問題を解決するにあたり、北朝鮮の金正日やイランのアフマディネジャド、ベネズエラのチャベスと1対1で個別会談をおこなう用意があると繰りかえした。当時のライバルだったヒラリーはそれを危険な行為として、オバマを批判した。

だがいまチャベスがオバマにアプローチして握手を求め、対キューバ関係についてはオバマは「新たな始まり」といって軟化政策を唱えはじめた。オバマの冷静なところは、それによってすべての問題は氷解せず、国家にはそれぞれの国益があるのでアメリカと同じ路線をとる必要はないとの立場にいる点だ。

「多くの国は、アメリカがこれまで抱えてきた考え方や固定観念に抵抗があるかと思う。今そうしたものを除去すれば国家間の問題は解決しやすくなるし、協力関係も築きやすくなる。まず相手のいうことに耳を傾けることだ」

真摯なセリフである。コスタリカのような小国が、際立つアイデアをだしたらぜひ耳を傾けたいともいった。ブッシュやチャイニーの口からは想像もできない内容である。

さらにオバマは民主主義の価値についても触れた。しかし、「民主主義を広める」という言い方はブッシュがイラクを侵略したときにも使われた。そうした経緯もあり、日本人を含めて諸外国でこの表現に素直に飛びつく人は少ない。ましてや陰謀史観の持ち主や嫌米派の人間は、この「アメリカのきれいごと」の裏にどれだけの策謀が隠されているかに重点を置く傾向があり、アメリカの「民主主義を広める」というセリフには大きな疑問符をつける。

だがオバマは謙虚に話した。

「言論の自由や宗教の自由、また自分の夢を追い求められる自由など、政府によって強制されない民主的な活動の自由と価値をアメリカは実践してきているし、それが他国にもひろく受け入れられると信じる。ただ、それぞれの国には違う価値観や文化、歴史があるので、単に民主主義を広めるためだけの話はしない。その代わり、民主主義というものがどう機能しているのかを示すことはできるかと思う」

オバマイズムは「メディアが定義すればいいこと」と言うが、これまでのアメリカ大統領にはない-下からの姿勢―で他国に接するオバマらしさが会見で垣間見られた。これはブッシュ外交からの反動でもあろう。さらに、それですべての外交課題を克服できないこともオバマは知るはずである。

会見を聴き終って、アメリカ人の抱える本来の理想主義に思いを馳せた。アメリカについてはこれまで何万という書籍や雑誌の特集、新聞やテレビでの報道があるが、アメリカの理想主義を本当に体得している人がどれほどいるだろうか、という疑問がある。アメリカの特異な現象にしか目を向けない人が多いだけに、重要な思想的根幹を見落としがちな傾向が強い。

先日、ある政治学者と話をしていた時、こういうことを述べていた。

「歴史的に民主主義国家どうしの戦争や紛争はほとんどないのです。独裁国家や専制国家がゴタゴタに関与してきやすい。これは歴史が教える事実です。ですから、『民主主義の流布』という陳腐にも聞こえる行為は、戦争回避の特効薬なのです」

北朝鮮は民主主義人民共和国という名前だが、真の民主主義国家に生まれ変われば、有事はかわせるという仮説が成り立つ。(敬称略)

ミサイルは撃ち落とせない

北米の都市にたちよったあと、南下してアルゼンチン、そしてパラグアイまで来ている。 

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは21年前に来たことがあるので記憶がよみがえる。だが、記憶が町を美化しすぎていて、市内を歩いていても以前の印象とダブらない。「こんなだっけ」という言葉が口をつき、現実とのギャップに戸惑う。だが、考えてみれば21年の月日で町が変わるのは当たり前である。

南米でくらす人たちを見るかぎり、北朝鮮のミサイル発射問題は地球の裏側のできごとにすぎない。しかし日本人にとっては大きな問題である。

人工衛星「光明星2号」が「テポドン2号」であることは、ほとんど疑う余地はないだろう。ブリュッセルにある国際危機グループの最新報告によれば、北朝鮮は核兵器の小型化に成功したという。今回騒がれているミサイルに核弾頭は搭載されていないが、北朝鮮が日本の許可も得ずに頭越しにミサイルを発射すること事態、国際政治上、許しがたい。それは子供にもわかる。

日本政府が国連安保理決議(1718) にもとづいて制裁を再確認することは当然だが、それによって北朝鮮が核開発やミサイル発射をやめないことも誰もが知る。戦後60年以上、国連安保理は最重要の国際案件で現実的な力を行使できておらず、ほとんど機能しないといっても過言ではない。そこに国連の限界がある。

外務省も首相官邸も脆弱なので、ミサイル発射をやめさせることは無理である。強硬策も視野に入れた北朝鮮との取引があってもいいが、日本政府内に妙案があっても執行力が弱いのでほとんどなにも期待できない。

さらに悲観的にならざるを得ないのは、ミサイル防衛(MD)は機能しないということである。すでにいくつものメディアで書いているが、本質的にMDには期待できない。アメリカは数多くの実験を行っているが、まだ実戦で使用したことはなく、当たる可能性の方が少ない。ミサイルを撃ち落とすことがいかに困難か、これは物理の問題である(ミサイル防衛2005年7月下段) 。幸いにして今回は北朝鮮側も実験であり、日本国内に落下してくるのはホンモノではない。

もう一つ指摘しなくてはいけないのは、日本のメディアの報道姿勢だ。安全保障問題にあまりにもウブなため、こうした事件をすべて報道しようとの意識が強すぎる。戦時下の経験者が現役記者でほぼ皆無なため、自国の情報をわざわざ内側から調べ上げて「敵国」に提供するような行為を嬉々として行いそうである。

戦争という状況において、情報統制は重要である。それは政府とメディア両者が意識的に行わなくてはいけない。そんな中、政府はミサイル1発であわてふためいて「誤報」というありさまだ。日本は「平和すぎる」という思いがますます強まるのである。