NSCの人員を半減させる米国の真意

ドナルド・トランプ大統領(以下トランプ)のホワイトハウスが変わりつつある――。

何がどう変わりつつあるのか。時計を1カ月以上前に巻き戻すところから始めたい。

トランプは9月10日、ツイッターで「ヒゲの補佐官」として名を馳せたジョン・ボルトン国家安全保障担当補佐官を解任した。

同職は大統領が安全保障政策の決断を下す時に大きな影響力をもつ側近中の側近である。

強硬派として知られたボルトン氏を政権から追いやって、後任として国務省で人質問題担当特使をしていたロバート・オブライエン氏を選んだ(続きは・・・NSCの人員を半減させる米国の真意)。

お見舞い

台風29号で被災されたり何らかの形で被害にあわれた方々に、ネット上で恐縮ですが、心よりお見舞い申し上げます。

今日のお宝(10)

「死ぬ前に何か一つだけ食べることを許す」と悪魔に言われたら・・・。

私は何年も前から南国酒家原宿本店の「かにの卵入りフカヒレスープ」と決めている。食べた直後、「アアア明日死んでもいい」と思う。

でも翌日になると「死にたくない」と小さく呟いて、何事もなかったかのようにその日を過ごすのである。

いつの間にか・・・

いつの間にか、人生の折り返し点を過ぎてからずいぶん時間が経った。歳をとることに恐怖も羞恥もないが、どうしても若い人たちとの間に考え方やライフスタイルに違いができる。

これは当たり前のことだが、違いがあることに腹を立てないようにしている。たとえば電車に乗ると、ざっと見渡すかぎりで8割くらいの人がスマホをいじっている。ラインやゲームをしたり、ネットニュースを読んだり、音楽を聴いたりと自由自在だ。

私もスマホを見ているので不満があるわけではない。ただ本を読む人をほとんど見かけないので、「本をもっと読もうよ」と心のなかで叫ぶことがある。もちろんネット書籍をダウンロードして読んでいる人もいるので、「読んでますよ」と反論されるかもしれないが、それでも以前よりは減っている。

最近、わたしはまた小林秀雄の文庫本を読んでいる。2年前の当欄で「小林秀雄の言葉」というブログを書いた、あの小林である。

浅薄な事象があふれている世の中で、時代を越えて閃光をはなつ思索や表現が次から次へと表出する。私も長い間モノを書いているが、いつも小林の文章を読むと脱帽してしまう。

本の中で次のような指摘があって、おもわず線を引いてしまった。

「弱い作家というのはみな生活の方が進んでいるのです・・・もっと平凡な言葉でいうと、だいたい作家に会ってみると、その作品よりも人間の方が面白い。これは普通のことですけれども、作品を読んだら本人にはもう会いたくないところまでくると、これは大作家です。(会ったことはないけれども)ドストエフスキーはもう会ったって何にもなりません。「カラマゾフの兄弟」のような大表現を日常生活ではしていないはずです」

これほど納得させられた私見を最近、お目にかかっていない。これは作家以外の芸術家や表現者にもいえることで、作品が秀逸すぎて世の中から圧倒的なまでに突き出していたら、作者はその下に位置することになる。

いまの時代ではいったい誰になるだろうかー。

オールブラックス:動くカーテン

ブレた写真ですみません!

友人のオランダ人ジャーナリストから、「ニュージーランド戦のチケットがあるから一緒に行かないか」との誘いを受けた。「もちろん行くよ」と答えて6日正午過ぎ、調布の東京スタジアムに向かった。

4万8000人が入ったスタジアムには外国人も多かったが、やはり7割くらいは日本人。オールブラックスのファンも多かったが、ニュージーランドがあまりにも強いので、必然的に判官びいきになって多くの人がナミビアに声援を送っていた。

ナミビアの選手がボールを持って走り、黒いジャージの中を少しでも抜けると「フォーーー」という声とともに大きな拍手が起こる。だがオールブラックスのディフェンスは固く、まるで動くカーテンのようで、ナミビアは1つのトライもあげられずに試合は終わった。結果は11個のトライを奪ったニュージーランドが71対9で勝った。

スタジアムで観ていると、80分はあまりにも短く、あと2、3時間は試合を観ていたい衝動にかられた。アメリカン・フットボールと違い、ラグビーはスクラムやラインアウトになって試合が続行されていない時間も時計は止まらない。それだけに本当にアッという間に試合終了になってしまった。

それでもボールを少しでも前に運ぼうとする選手たちの魂魄がつたわってきて、胸の奥がなんども熱くなった。今月20日の準々決勝も観る機会を得ている。ア・リ・ガ・ト・ウ!