置き去りにされたニュース

仕事がら、毎日世界中のニュースに眼を這わせている。

主要メディアは重要なニュースにしか力点を置かないので、「置き去りにされたニュース」は数知れない。事件という点ではアメリカの多様性と件数が際立つが、残虐性という観点からではメキシコが群を抜いている。

1つには麻薬密売で潤うギャング団が抗争を繰り広げており、その被害が一般市民にもおよんでいるからだ。首が落とされてゴミ箱に捨てられたとか、処刑スタイルで銃殺され、手足を切断されたあとに歩道橋からつり下げられるといった凄惨さが眼につく。

さらに、あるメキシコ人女性が家庭内暴力(DV)を逃れて保護施設に入ると、そこが売春宿だったといった笑い話にもならないニュースさえある。

そうした世界の諸事を眺めると、日本はなんと安全で住みやすい国なのかと思う。あるファーストフード店に入り、レジの前に列ができている。店員が「まず席をお取りください」といって荷物を置くことを促す。

こうした行為を普通の所作として受け入れているのは日本以外にないだろう。多く国では、その荷物を盗んでくださいといっているのと同じだ。

それが平和ボケにつながるという考え方もあるが、日本はその平穏さを誇るべきだと思う。ただ国外に出たときは、「別人」のようになって身を引き締めなくてはいけないが、、、。

噂を見極める

過去2日、死亡した人の銀行口座の凍結について記してきた(噂のウワサ 真実の噂 )。

インターネットでも情報を拾った。すると「すぐに凍結された」という遺族と、「死後もずっと使用できる」という遺族とに別れている。そこで三菱東京UFJ銀行本店に問い合わせた。相続処理を専門にしている担当者と話をすると、後者が普通であると言う。

「死亡届けを受理する役所と金融機関がオンラインでつながっているということはありえません。ですから、金融機関は預金者が亡くなった事実を通常、知ることはないのです」

遺族が銀行側に、親族が亡くなりましたと申し出ない限り、その口座は開いたままである。ただ、実際にすぐに凍結されてしまったケースが少なくない。

これは新聞に死亡した事実が公表されたり、銀行員が故人の世話をしていたことで死亡を確認した場合など、何らかの形で金融機関側に死亡の事実が伝わったケースだ。それが無ければ口座はそのままだ。

今日のところはここまでだが、この件についてはもう少し奥行きがありそうな気もしている。また新しい情報が入手でき次第、お知らせしたい。

真実の噂

19日に噂のウワサ という題で、ブログを書いた。

死亡した人の銀行口座がすぐに凍結されることはないと、他界した実父の例を挙げて記した。だが、凍結されることもあることを偶然にも昨夜、ある会合で知らされた。

外国特派員協会での講演会でMCを務めたあと、講演者と話をしていた。その方も最近、お父様を亡くされていた。

「銀行口座はすぐに凍結されました」

なんと、その日書いた私のブログ内容とまったく逆のことが起きていた。だが実父の例も現実に起きている。金融機関によるのか、住んでいる地方自治体によるのか、それとも生前の立場によるのか、他に理由があるのか今日のところは釈然としない。

金融機関に問い合わせればすぐに答えがみつかりそうだが、今日は祝日なので、この件は取材して後日この場でご報告することにする。

アメリカの本音

先日、ある会合でアメリカの政府関係者と話をした。

かなり突っ込んだ話になっても彼はズリシズシリと本音でものを言ってくる。話は普天間からTPPにまで及んだが、こちらが訊きたいことはなんでも答えてくれた。

沖縄の米軍問題については、「日本がもし米軍などいらないという政治決断をするのであれば、それはそれで尊重するしかないから、それでいいんじゃないの」という発言はアメリカ側の本音である。

決断するのは日本であって、「いらないなんて言ったら大変なことになる」と考えるのは日本側の問題である。もちろん日米同盟を破棄するわけではない。同盟関係は強固なままであるが、日本は自分たちの政治判断に責任をもって、やれるところは自衛隊がやるとワシントンに堂々と伝えたらいい。

TPPにしても、日本国内で反対派が叫ぶような意見はアメリカからは出てこない。拙著『勝てるビジネスのヒント』にも書いたが、反対派はアメリカ政府の役人や学者、業界関係者などと話をしていない人がほとんどである。アメリカ側がいったい何を考えているかを「読み解く」くらいしかできておらず、相手の目を見ながら何時間も話をすれば本音はわかる。

TPPでアメリカが日本市場を席巻するという誤解は国内の保守派からうまれた幻想でしかない。アメリカは今、日本に対してむしろ大変な気遣いをしていて、交渉時の言葉使いに気を配っているほどだ。嘘だと思うなら、日本側のTPP交渉者に訊いてみるといい。

国家間のことであっても人間が関与する事象である以上、コミュニケーションがいかに大切かを痛感するのである。

大震災から1年

今朝のフジTVに復興相の平野達男が出演していた。

唖然とさせられたのは、最後に一言というところで「復興のビジョンを作りたいと思います」と発言したことである。

今ごろ「ビジョンを作ります」というのはどういう了見なのだろうか。大震災からすでに1年である。理想を言えば、いくつかのモデル都市の建設が終わっていてもおかしくない(もっとスピードを!)。

私は半年以上被災地に足を踏み入れていないが、現地の映像を観たり情報を見聞きする限り、復興がほとんど進んでいないことは明らかである。1年もたってまだビジョンができ上がっていないというのは、本気で復興に取り組んでいない証左である。

「これが日本なんだ」とは口にしたくない。というのもスピーディーに物事を進めて、改革を成し遂げている民間企業がいくつもあるからだ。ただ中央・地方政府はそうした民間企業に全面委託もできず、いまでは今後5年から10年といった悠長な復興を念頭においている。

瓦礫の撤去から始まり、新しい都市計画、住民の意向、新産業の育成、原発にからむ諸問題などを考慮しなくてはいけないことは十分にわかる。だが山積している問題を強引ともいれる行政力を発揮してテキパキこなす政治家がみあたらない(堕ちていくキングギドラ )。

時間が経てば経つほど超法規的な措置を講じにくくなる。いやもう無理か。となると、下のような理想図は理想のまま終わってしまう。内外からの批判を覚悟で、取りあえず動いてほしかったが既定路線以外のことは受け付けない既存の体制にはがっかりさせられる。(敬称略)