世界一を目指さなくなった日本

今月22日に開業される東京スカイツリー。

いまさら述べる必要もないが、自立式電波塔としては世界一である(634m)。ギネス記録としてもすでに認定されている。開業を迎えて、メディアの扱いは大きい。

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だが本当に世界一なのだろうか。心中には「どうしてこれくらいで世界一と浮かれていられるのだろうか」という思いが強まるばかりである。

アラブ首長国連邦のドバイにあるブルジュ・ハリファは828mである。しかも向こうは超高層ビルであり、ホテルや住居、オフィスビルが入っている。着工は2004年で、10年1月にオープン。もちろん人工の建造物としては世界一だ。

はっきり書かせて頂くと、日本は634mごときの電波塔で世界一だと浮かれていてはいけない。なぜ1000mのビルを建てることにしなかったのだろうか。今後何年も他国に追随できない高さの超高層ビルを建てられたはずだ。建築業界の総力をあげれば不可能なことはなかっただろう。

世界ではブルジュ・ハリファの注目度がいまでも高いので、600m強のスカイツリーを「世界一」などとは誰も言わない。世界では世界第2位と扱うか、日本で最も高いと記す。

本当の問題は、いつの頃か日本が国家を挙げて世界一を目指すという意識を持たなくなったことである。突き抜けたエネルギーを日本国内ではあまり感じなくなった。

個々のレベルでは水泳の北島康介や体操の内村航平など世界一が少なくない。大田区の中小企業の中には特定分野で世界1位のシェアを維持しているところもある。

しかし、デフレ状況に陥って何年もたつ日本には、すでに上昇気流に乗って世界を席巻するだけの威力はない。それは家電メーカーから海外に留学しなくなった若者にいたるまで、世界中を突き動かすだけの圧倒的なパワーが遠のいたことと重なる。

日本にはいまだに世界のトップに立てる潜在力があるはずである。ただそれを行動に移していないだけである。今あるものに、あまりにも満足しているように思えてならない。(敬称略)

もっとも危険な食べ物

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なぜこのポテトチップスが「もっとも危険な食べ物」なのか。

アメリカのLay’sと言えば、私にとってはポテチの代名詞。ここのクラッシックのポテチも捨てがたいが「サワークリーム・オニオン」味は、本当に一枚食べたら止めるのがむずかしい。

「少しだけ」という言葉は魔の囁きと一緒。なんど全部食べきってしまったかわからない。危ない危ない。この誘惑に勝てる自信がないので遠ざかっていたが、ある輸入食品のお店で見つけて買ってしまった。

袋に南京錠をつけたいくらい、、、、、。お試しあれ。

尖閣は実行支配こそがカギ

都知事の石原の発言で、尖閣問題が再浮上している。この問題にどう対処したらいいのだろうか。

石原のように一方的に中国を挑発し、東京都が尖閣を買い取ることで事態をスムーズに収拾できるならいいが、そうはならない。中国が石原の思いどおりに反応してくれたら問題はないが、彼らの感情を逆撫でするような言動では無理である。いかに石原が外交に不向きな政治家であるかがわかる。

それでは尖閣は中国のものなのか。いや、日本が領有権を持っている。実行支配しているのは日本である。2年前に尖閣でおきた中国船籍の船長拘留事件で述べたように(尖閣問題の解決のしかた)、国際的な見地から、実行支配している国家に実質的な領有権がある。

一方で、「どこどこは日本固有の島」とか「もともと日本の領地だった」という言説はほとんど意味を持たない。そんなことで領有権は主張できない。フランス・ドイツ国境のアルザス・ロレーヌやアルゼンチン沖のフォークランドが好例である。

アルザス・ロレーヌの代表都市ストラスブールは現在フランス領である。だが、もともとはドイツ領でいまでもドイツ語系のアルザス語が話されている。1638年のウェストファリア条約でフランス領になったあと、1870年の普仏戦争後にドイツ領に、第1次世界大戦後にフランス領、ナチスドイツによる奪還で再びドイツ領、そして第2次世界大戦に再度フランス領になっていまに至っている。ドイツ国内には再び奪い返す機運はない。

フォークランドもイギリスからは遠く離れているが、アルゼンチンが戦争に負け、いまでもイギリス領として統治されている。「もともと我が国の領地だった」という主張は通用しない。これまで戦争で国境が策定され、領有権が移るのが常だった。いってみれば野蛮な世界である。

尖閣は海上保安庁の船舶や航空機が領海を偵察して事実上の支配が続いているので日本の支配下にある。ただ中国漁船が付近を操業しており、それは日中間の暗黙の了解となっている。2年前の衝突事件をのぞけば、戦火を交えるほどの軋轢には発展していない。

尖閣については日本が実行支配を続けながら、穏やかな笑顔を浮かべて中国と話をすればいい。

「いまは日本の支配下にありますから!」

相手も微笑んでしまうくらい閑閑たる態度でいることである。(敬称略)

ゴルフをしない理由

「堀田さんはゴルフはしないんですか」

よく訊かれる質問である。

「やりません、、、、」

やならい本当の理由は口にしない。というよりも、その理由を告げると質問を投げかけた方を落胆させるか怒らせることになりかねいので言わずにいる。

「ゴルフはしなんですか?」という質問は、パーティーや宴席を含めてそれほど親しい間柄ではない関係の中で発されることが多く、そこで相手を傷つけるような返答はできないので、多くを語らずに「しません」と言うだけにとどめている。

実は小学校高学年から中学にかけて、父親に連れられて練習場に通ってずいぶんクラブを振った。あのままやり続けていたら、と思うことはあるが、今はやらずにいてよかったと思う。

若い人から高齢者まで楽しめ、人気あるスポーツとしてのゴルフそのものに何の異論もない。完璧というものは世の中にまず存在しないが、ゴルフほどそれに近づくことが難しいスポーツもない。それだけに奥行きが深く、やり始めると止められないほどの面白さがあることも知っている。

だが現実的に日本のゴルファーの素性をみると「仕事のつきあいで」とか「ゴルフはやっておいた方がいい」という理由で冠水してしまっている。もちろんスポーツとして純粋に、常に練習して鍛え、厳しくプレーされている方もいる。

けれども、取っかかりの多くは「つきあい」である。仲良くなって仕事を円滑にという考えは財界人には説得力があるだろうが、ジャーナリストとしてはまったくの逆で、糾弾すべき企業人とほどほどに仲のいい関係など築いてしまうと書くこともかけなくなる。

そうした関係を持たないからこそソニーの批判もウォルマートの悪口も書けるし、広告代理店にしろテレビ局や新聞・雑誌の汚点も書くべきときには書くというスタンスでいる。そのためゴルフは「しないというより、してはいけない」スポーツと捉えている。

ゴルフだったらサーフィンの方がずっと面白いかと思う(本音を吐露したので反発は必至?)。

           

   

春爛漫

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昨日、タクシーに乗った時に運転手さんに訊いてみた。

「走りながらいろいろな桜を観ていると思いますが、『ここは綺麗だね』というお勧めの場所はありますか」

「どこも綺麗だよ」

「ン、、、ここは穴場といえるようなところは、、、」

「みんな綺麗!」

失礼しました。

写真の桜は日比谷公園、、、、わかります?