国連は機能しているのか

私がアメリカに渡った頃(1982年)からずっと脳裏にあるテーマである。

国際連合にはいくつもの機関があるので、国連という組織全体がまったく機能していないわけではない。だが世界各地で起こる戦争や紛争を調停することこそが国連の主業務であるのに、戦後70年、機能していない。

だから最初の質問の答えは「ノー」である。

国連関係者や擁護論を述べる人たちは、国連が少なからず紛争解決に役だってきたというだろう。しかし、もっとも重要と思えるタイミングで国連は力を発揮できていない。「Must」と呼べることを解決できていない。だからほとんど無力といって差し支えない。

戦後、特にアメリカで国際関係論という学問が興隆した。第2次世界大戦の反省から、もう2度と戦争を起こしてはいけないとの観点から発展した学問である。

究極的には「いかに戦争を無くすか」ということであろうと思う。

けれども、それが机上の学問でしかなかったことは、戦後70年でほとんど証明されたに等しい。国連があっても、どれだけの戦争・紛争が繰り返されてきたか。

国連、特に安全保障理事会に真の調整力があり、戦争をさせないだけの政治力があれば多くの尊い命は失われずにすんだ。パレスチナとイスラエルの紛争など数十年前に解決していなくてはいけない。

イスラム国の台頭による内戦や北朝鮮の核兵器開発なども終わっていてしかるべきである。

たとえば、国連の無力さを如実に示すことが今月2日にもあった。国連総会第1委員会で、日本が核兵器廃絶決議案を提出して156カ国が賛同し、決議案は採択された。決議案が採択されたのは22年連続である。

だがそれで核兵器が廃絶されたわけではない。むしろ核兵器を保有、または保有を希望する国家は増えている。22年間も続いた決議案の採択にいったいどんな意味があるのだろうか。

自己満足か、それとも形式的に「やりました」で満足する偽善行為か。

1度、泣く子も黙る世界最強の国連軍をつくってみるのもいいかもしれない。「国連軍が来た!」で世界中の軍隊が砲火を止めてしまうくらいの強さを持つ軍隊である。

しかしそれは国連軍が先導して人殺しをするということであり、平和部隊ともいえる国連軍にとって理念的に許されないことだ。

世界に完璧なものなどないことの証明なのか――。

From the White House

朝、メールをチェックするとホワイトハウスの広報からメールが届いていた。

私がホワイトハウスに出入りしていたのは2007年までで、その年の2月に東京に戻っている。だが、いまだに広報からメールが届く。

先週、首相の安倍がホワイトハウスを訪れたときの写真がメールのなかにあった。(敬称略)

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by the White House

首相歓迎式典の前にレッドカーペットに掃除機をかけた職員。

リー・クアンユーの死

「緩やかな独裁」を貫き通したシンガポールの元首相リー・クアンユーが他界した。

成し遂げた成果に注目すれば「独裁者」という言葉はあまりに一面的で、氏の全体像を言いあらわしていない。それは、ある激情型の年配者を「怒りっぽいオヤジ」とだけ言って、その人のやり遂げた仕事や、実は他人に対して驚くほどの優しさをもっていたといった側面を無視することに似ている。

もちろん31年間も政権トップにいたことで、権力に固執する姿と政敵を除外しつづけてきた強権的な政治力には疑問がつく。いまの権力者であり息子のリー・シェンロンにも受け継がれている点だ(政治システムに完璧なし )。

民主主義の前に、国民の社会福祉と生活の安定を掲げたことで、いまは1人あたりのGDPは日本よりはるかに上をいく。経済力を含めた国力を高めるという点で、シンガポール型の国家資本主義はすべての国民の意見に耳を傾ける民主主義より即効力がある。

こうした点はすでに多くの学者が指摘している。「21世紀に資本主義はもう十分に機能しないかもしれない」という仮説がさかんに取り沙汰される起点にもなっている。

それでは日本が真似をできるかといえば答えは「ノー」だ。日本には日本流の国家の成り立ちがあり、社会規範が根づいている。いまさら少数意見を無視して、半独裁の政権など誕生するはずもない。

有楽町の日本外国特派員協会に行くと、よく知るシンガポール出身の記者が原稿を書いていた。「緩やかな独裁者」について話を聞くと、以前リー・クアンユーにインタビューしたことがあるという。

「いまのシンガポールは彼なくして 成立していないので、功績を大いに認めています。国民はいろいろと不満があるでしょう。でも彼の成し遂げた実体はあまりにも大きい。ほとんどの国民は感謝していると思います」

本音だろうと思う。大統領ニクソンから歴代のアメリカ大統領と対等に話をするだけでなく、アジア政策で助言もできるような政治家は日本にはいない。たぶん今後も現れない。

歴史の灯がまた一つ消えた。(敬称略)

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シンガポール、マーライオン公園の「ちびマーライオン」。大きなマーライオンは写真の左手奥(写っていない)に位置しています。

「お疲れさま!」が好きなオバマ

「またやってくれました」

これが正直な気持ちである。何のことかと言うと、オバマが世界に送りだす大使をまたしても論功行賞で選んだのだ。

オバマは2012年選挙で、自分のために選挙資金をたくさん集めてくれた人物を何人も大使として起用している。駐日大使を務めるキャロライン・ケネディもその1人だ。

最近ではハンガリー大使にテレビ番組のプロデューサーをしているコリーン・ベルという女性を任命した。連邦上院は12月2日、52対42で「ベル大使」を承認。ベルはオバマのために200万ドル(約2億3000万円)を集めたと言われている。

さらに同日、連邦上院は50対43でロサンゼルスのコンサルティング会社のトップであるノア・マメットをアルゼンチン大使に承認。マメットは人生で1度もアルゼンチンに足を運んだことがないと素直に認めている。スペイン語もほとんどできないし、彼がアルゼンチンに深い思い入れがあるとの情報もない。それでも上院は2人を承認した。

オバマ政権下ではこれまで、大使の5割以上がこうした形で決められている。政治任用だ。ブッシュ・クリントン両政権時代にも少なからずあったが、政治任用は30%台にとどまっていた。けれども、オバマは「お疲れさま!」的な論功行賞で大使を決めている。

確かに大使に国務省の外交官を使う義務はない。国内外で多くの経験を積んできた財界人や政治家を起用して成功した例は少なくない。だが、個人的なコネでここまで大使を決めていいのか。「これからいろいろ勉強します」では相手国に対して失礼である。

ちなみに、アルゼンチン大使に決まったモメットがオバマのために集金した額は140万ドル(約1億6500万円)だという。

大使はカネで買えるのである。(敬称略)

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by the White House

シリア難民が売春婦に

日本のメディア、特にテレビは世界中で起きている悲惨な状況を伝えようとしない。この傾向はますます強まるばかりである。

視聴者が残虐なシーンを観たくないというのがその一因だが、それは世界の現実から眼をそむけていることに等しい。虐殺された遺体を映すことはないし、新聞や雑誌でもほとんどその事実や光景を報道しようとしない。

日本人が軟弱になったというわけではないと思う。一部の人間の意見や不満に耳を傾け過ぎている結果だろうと思う。

前置きが長くなった。あまり日本のメディアでは報道されないが、長引くシリア内戦によって、すでに100万人以上のシリア人が周辺諸国に脱出している。もちろん戦争難民としてである。

特にレバノン、ヨルダンには30万人を超えるシリア人が入った。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は国際社会がもっと協力してほしいという主旨のことを呼びかけたが、日本を含めた西側諸国は地理的に遠距離ということもあり「ひとごと」として見過ごしている。

ヨルダンなどは難民へのエネルギーや医療のサポートをはじめ、もう限界に近づきつつある。日本のような先進国であっても、仮に北朝鮮から30万人の難民が入国したら大騒ぎである。それを考えるとカネの支援だけでなく、人的な支援は重要だ。

しかも、難民の多くが金銭的に貧窮しており、10代の少女が売春をおこなうようになっている。もちろん、一部の女性たちだが、父親が娘や妻を売る姿も珍しくないという。

彼らはUNHCRが設営したテントの中で売春行為をおこなっている。しかも1回7ドル(約660円)。1日の拘束で70ドルだという。家族を喰わせるために娘を売る。娘は家族を助けるために体を売る。

これほどの窮境がいま日本にあるだろうか。少なくとも、こうした事実を大手メディアが大きく伝えるべきである。それがジャーナリズムである。

「そんなことは知りたくない」という声は封印してもいい。