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<新時代の街並み(香港島)>

9月10日のブログの続きーー。

北朝鮮問題について20代の男女と話をしたが、香港人にとって北朝鮮の核兵器の脅威は「実感がないです。大事なことではあるけれども、正直にいうと他人事」というのが2人の共通する思いで、話は深く進まなかった。

それよりも2人の英語が素晴らしく、トピックを代えて香港の英語教育について訊いた。

というのも、こちらに来てからいろんな人に話しかけていたが、英語のできない人が「多くなった」という印象が強かったからだ。

本来は私が広東語を喋るべきなのだろうが、そこはごめんなさいというしかない。

25年前に初めて香港に来た時は、まだ本土に返還される前で、タバコ屋のおばさんも流暢な英語を話したので感心した。イギリスの教育システムの恩恵だが、あの英語力はどこへ行ってしまったのか、という思いが強い。

香港生まれの青年が言った。

「英語ができないのは香港人ではないです。本土から来た人か他国の人です。いま多くの人が香港に流れているのです。ただ本土に返還されてから、香港人の英語力は落ちたかもしれない」

ショッピングモールで働いていた女性の英語は、まるでアメリカ人のような滑らかさだった。香港以外での居住経験はなかった。

「香港では小学校に入ると英語の授業がありますから、高校卒業までにはほとんど人が話を話します。普通だと思いますよ。外国人も多いので、英語を使う機会はたくさんあります。日本人観光客も多いですが、彼らの英語力は・・・ご承知の通りです」

最後は口ごもっていた。

日本は今後、来日する外国人が増え続けると予想されている。昨年は2400万人超。2030年には6000万人になるとの予想もあり、英語の使う機会はいくらでもある。

外国に行かなくても、英語を磨くチャンスは増えるが、それで英語力が向上するかどうかは別問題で、あとは本人次第ということになる。

夏休みで香港・マカオにきている。

ツイートで「香港風ワンタン麺を食べにきました」と書いたように、本場のエビワンタン麺を食べるのが目的だった。

wantanmen9.10.17

連日、「参りました」の連続で、お腹を減らすために歩いて、食べて、そしてまた歩いて食べる日々である。

自身の好きなものに序列をつけるとすると1位が鮨で、2位が広東料理だろうと思う。それくらい香港の広東料理はいける。ワンタン麺は入り口に過ぎず、その先は奥がみえない。ここに住まない限り、奥がどれほど深いかわからない。

食べることもここに来た理由の1つだが、実は香港とマカオが中国にもどり、特別行政区になってから市民はいったい北京政府をどう思っているのか。それが知りたかった。

マカオでは地元の人と話ができなかったが、香港では2人の広東人と話しこんだ。もちろん2人だけなので、一般論には広げられない。

1人は「独立運動の機運もある」と真剣にいった。北京政府が圧力を加えてきているので、できれば香港は香港として自治権よりも独立が望ましいという。

その後にスタバで話をした女性は「独立運動は進歩的な学生たちの行動」ときっぱり言って、このままでいいと述べた。

1997年に本土に返還した香港は「50年不変」という約束を北京からとりつけて、1国2制度のシステムを形の上では続けている。さまざまな問題はあるが、2047年までは2制度が守られてしかるべきだと希望論を口にした。

残念なのは、2人に北朝鮮問題を訊くのを忘れたことだ。明日、誰かをつかまえよう!

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九龍半島北部の市場。

トランプのカラの威嚇

トランプもメディアも煽りすぎ-。

そう言わざるを得ない。トランプは過去1週間ほど、いまにも北朝鮮と戦争をするかのような構えだった。米原子力空母カール・ビンソンを北朝鮮近海に派遣し、軍事行動も辞さないといった勢いを感じさせた。

ところが同空母はオーストラリア北西で演習していたことがわかり、急派されていなかった。トランプと、彼の言うことを確認せずに伝えたメディアに乗せられてしまった。

確かに、オバマ政権の「黙って耐えます。何もしません」的な外交政策から離れ、シリアへの空爆で見せたような「やる時は軍事行動にでます」的な政策に変わりはした。

それによって、北朝鮮への軍事攻撃も間近かといった空気が漂った。

だが実際は空母1隻(打撃群1個)で北朝鮮に先制攻撃をしかけることは戦術的にありえないし、北朝鮮の防空網を先制で壊滅させることは容易ではない。

さらに北朝鮮からの韓国への報復が甚大すぎてアメリカは手をだせない。いまのところは足踏みをせざるを得ないのが実情だ。3日前に書いたブログの通りである(北朝鮮情勢とキューバ危機)。

過去20年以上、アメリカの政権が北朝鮮を攻撃しなかったのも、そうした理由からだ。だが多くのメディアはメディアが書いたことにやられてしまった。

副大統領ペンスが19日、横須賀に停泊中の空母ロナルド・レーガンの艦上で20分ほどの演説をしたが、喫緊の有事というニュアンスの表現はつかわなかった。

「すべての選択肢は机上にある」とは言ったが、ロナルド・レーガンは現在整備中で、すぐに出撃がないことは船員がよく知っている。皆、どこか柔和な表情なのだ。

現在カリフォルニアにいる空母ニミッツも北朝鮮に向かう動きはなく、北朝鮮への先制攻撃という話はトランプの「カラの威嚇」ということになる。(敬称略)

110821-N-AZ907-015 APRA HARBOR, Guam (Aug. 21, 2011) The aircraft carrier USS Ronald Reagan (CVN 76) enters Apra Harbor for a scheduled port visit. (U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 1st Class (SW) Peter Lewis/Released)
Photo by Pinterest   Aircraft carrier  Ronald Reagan

ブルブルブルの正体

アメリカから日本にもどってそろそろ10年が経とうとしている。いまでも私が書く記事の8割以上が海外モノで、多くがアメリカがらみである。

いつも世界のニュースに目を這わせている。突発的なニュースが起きた時は、アメリカの報道機関2社から私のスマホに「号外メール」が入るようにしてある。ブルブルブルと1回だけ震える。

リオ五輪が開催されてから、ブルブルブルの回数が増えている。というのも、アメリカ選手が金メダルを獲ったり、世界記録が生まれた時に震えるからである。

ここまで(21日午前10時半)、アメリカは41個の金メダルを手にしているので41回、そして世界新記録が生まれた時の数回、ブルブルブルがきた。

「わかったから、もう止めて」というのが正直な感想である。

報道は近年、純粋な客観報道などありえないという風潮がつよい。偏っていて当たり前との考え方だ。アメリカのテレビでいえばフォックスは保守で、MSNBCはリベラル。政治的スタンスがわかっているから、視聴者も自分好みの局を選ぶ。

ただスポーツ報道については、どの国の報道機関も自国選手を応援する。当たり前と言えば当たり前で、自国選手を無視して他国選手にエールを送ったりしたら苦情の声が絶えないだろう。

この点で、スポーツだけでなく、対外的なことがからむと自国を擁護する報道姿勢がどの国でも鮮明である。だから最初からバイアスがかかっていない客観報道というものは極めて少ない。

リオ五輪もいよいよ閉幕。これでブルブルブルも少なくなる。

人間の可能性というもの

リオ五輪を観ていて、ふと思いあたった。以前、当欄で「オリンピックと限界 」というタイトルのブログを書いた。4年前のロンドン五輪の時である。

「人間が人間である以上、各種目で記録の限界に到達する時がいずれはきてしまう」という内容を述べた。だが、限界をつくるのは人間であり、限界という枠はもしかしたら自己規定によって生み出されるのかもしれないとの思いにかられた。

「いずれは」との考え方は常識的にはしごく当たり前のことだが、記録というものに限界を設定すること自体、世界の第一線で活躍する選手たちに失礼なことかもしれない。

リオ五輪の競泳を見る限り、限界といった言葉は無縁のようでさえあるからだ。

ハンガリーのカティンカ・ホッスーは女子400メートル個人メドレーで世界新を2秒以上も縮めたし、同じく女子競泳400メートル自由形では、アメリカのケイティ・レデッキ―がやはり2秒以上も世界新を短縮している。

たとえば、10年前に400メートルを競ったことのあるスイマーであれば、この記録がほとんど想像できないものであるかと思う。

日本人選手による世界新はなかなか出ないが、人間の可能性というものは計り知れないということを改めて感じるのだ。

これは単に理想論ということではない。いつも前を向いて肯定的に生きる、といった自己啓発的な発想からでもない。

人間には「無極の可能性」というものがあるように思えてならない。