ここはどこの国でしょうか

20190724hanoi8

<ヒント:写真内の新聞>

<答:ベトナム。首都ハノイの路地裏でのランチ時のヒトコマ。奥に食べるところがあります。下の写真が私がオーダーした組み合わせ。山盛りのご飯の上に好きなおかずを4品乗せてくれて5万ドン(245円)。>

20190724hanoi17

また食べ物の話で恐縮だが、アメリカに戻るとどうしても滞米中によく食べていたものをトライすることになる。

昨日、車を走らせていると「IHOP(インターナショナル・パンケーキ・ハウス)」が目にとまった。アメリカでは「アイホップ」という呼び名で親しまれている店で、全米に1800店舗以上もあるパンケーキ屋である。

24時間営業なので今朝、早めに起きて食べにいってきた。

20190604breakfast

これが私が選んだコンボである。スクランブルエッグの量は、卵3〜4個分だろうか。パンケーキはお皿が小さいので、かなり小さく見えるが、普通サイズの大きさだ。ここにオレンジジュースとコーヒーが加わる。

実は当ブログで2015年6月でも同じような朝食を紹介した。その時はちょうどトランプが登場しはじめた時で、取材を通して「トランプが共和党の代表候補になる可能性は十分にある」ことをつかんだ。

今回も来年の大統領選を念頭にした取材で、いろいろな人と話をするとトランプ再選の可能性は(残念ながら)十分にあるというのがここまでの感触である。

前回の選挙のように「ヒラリーが勝ちます」と断言して外れるととんでもないことになりかねないので、冷静に状況を見つめていきたい。民主党では前副大統領のジョー・バイデンが首位にきているが、ゲイ候補のピート・ブディジャッジも善戦しており、いま支持率を上げてきている。(敬称略)

懐かしい場所

20190603_194722_resized

2007年まで住んでいた米首都ワシントン郊外のスーパー。久しぶりにもどってみましたが、置かれている商品やお惣菜コーナーのメニューに大きな変化はありません。

ここのクラムチャウダーと手作りパンがなかなか美味しかったのを思い出しました。

ポーランドの作曲家

DSC02013

旅にでると、なるべくたくさんの所を「観ない」ようにしている。世界遺産と呼ばれるところにも足を運ぶが「できるだけ効率よく回る」ということをしないようにしている。

だから写真だけ撮って短時間で次にはいかない。必ずではないが、行かないようにしている。それよりも訪れた国のイマを知り、感じ、考えたいと思っている。

たとえばカンボジアに行った時、当初はアンコールワットに行く予定を入れていなかった。首都プノンペンをみて、イマのカンボジアを知ることが旅の目的だった。だが「アンコールワットを観ないで帰るのは損をしますよ」とホテルの人に言われ、忠告にしたがった。いま思うとありがたいアドバイスだった。

今回の東欧の旅もできるだけ多くの人と話をすることに時間を割いて、有名な城や教会は代表的なところだけにしている。

そんな時、「ポーランドの京都」といわれるクラクフで上の写真の男性と出会った。

音楽家で「作曲もしています」と言った。旅先では多くの人が自分のいい面を口にしたがるし、誇張が入ることも多いので、「そうですか」と返事をしておいた。

片言の英語でポーランド訛りも強かったが、話が進むうちに「本物だ」と直感した。彼は旅人ではなく、クラクフの中心地に自宅を構えていた。旧市街の中央広場というところからほど近いところに中庭のある素晴らしい石造りの邸宅があった。

「どうぞ入ってください」と気さくに案内してくれた。中庭をコの字型に囲むようにして自宅が建っており、右側のアーチ型の入り口を行くように促された。

そこは明るい照明が射す音楽室だった。グランドピアノが置かれ、10脚ほどの椅子と譜面台があり、30分前までオーケストラが練習をしていたかのような空気が漂っている。

男性はそこでタクトを振るしぐさをした。音楽が中心になった芳醇な生活がそこにあった。

音楽室はモダンに改築されていたが、自宅の壁面を見る限り、100年以上は建ち続けているように思えた。クラクフは16世紀後半まで500年も続いたポーランド王国の首都だったところである。

芸術を愛する人間の持つ落ち着いた佇まいと優しげな目つきに触れられたことが、今回の旅の収穫と言っても言い過ぎではない。

アウシュビッツ

praha34

前回のブログでポーランドのクラクフという町に向かうと書いた。クラクフから車で1時間ほど西にいった所に、あのアウシュビッツ強制収容所がある。人間の負の遺産として、今後もずっと残していかなくてはいけない場所である。

1940年、ナチスはポーランド人の政治犯を収容するためにアウシュビッツを造るが、41年からユダヤ人をはじめロシア人捕虜、ジプシー、障害者、同性愛者などを強制連行した。するとアウシュビッツだけでは収容しきれなくなり、ビルケナウ(第2強制収容所)を2キロ離れたところに造る。

第2次世界大戦が終了するまでに110万人が殺害された(病死等も含む)と言われている。ガス室はアウシュビッツに1カ所、ビルケナウに4カ所あり、列車から降りた人たちの多くはそのままガス室に送り込まれた。

ガイドをしてくれたポーランド人女性は見識も知識もすばらしく、ツアーが終わってからヒトラーの選民思想について訊いた。

ユダヤ人迫害の思想はもちろんヒトラーが起源ではない。ナチスドイツが生まれる前からのもので、ヒトラーは人種差別思想だけでなく、成功していたユダヤ人の資本家たちを排斥する意味でも、また共産党を破って独裁体制を敷くためにもドイツ人の意識を刺激する必要があったという。

「国民を洗脳するために大々的な喧伝活動をやったのです」。ガイドの女性は「いくつもの複合的な理由が合わさっています」と言った。

その一端を担ったのがメディアだったことも事実だ。あらためてメディアの役割、功罪について深く考えさせられたアウシュビッツ行だった。