アウシュビッツ

praha34

前回のブログでポーランドのクラクフという町に向かうと書いた。クラクフから車で1時間ほど西にいった所に、あのアウシュビッツ強制収容所がある。人間の負の遺産として、今後もずっと残していかなくてはいけない場所である。

1940年、ナチスはポーランド人の政治犯を収容するためにアウシュビッツを造るが、41年からユダヤ人をはじめロシア人捕虜、ジプシー、障害者、同性愛者などを強制連行した。するとアウシュビッツだけでは収容しきれなくなり、ビルケナウ(第2強制収容所)を2キロ離れたところに造る。

第2次世界大戦が終了するまでに110万人が殺害された(病死等も含む)と言われている。ガス室はアウシュビッツに1カ所、ビルケナウに4カ所あり、列車から降りた人たちの多くはそのままガス室に送り込まれた。

ガイドをしてくれたポーランド人女性は見識も知識もすばらしく、ツアーが終わってからヒトラーの選民思想について訊いた。

ユダヤ人迫害の思想はもちろんヒトラーが起源ではない。ナチスドイツが生まれる前からのもので、ヒトラーは人種差別思想だけでなく、成功していたユダヤ人の資本家たちを排斥する意味でも、また共産党を破って独裁体制を敷くためにもドイツ人の意識を刺激する必要があったという。

「国民を洗脳するために大々的な喧伝活動をやったのです」。ガイドの女性は「いくつもの複合的な理由が合わさっています」と言った。

その一端を担ったのがメディアだったことも事実だ。あらためてメディアの役割、功罪について深く考えさせられたアウシュビッツ行だった。