For next year: 来年に向けて

今年も当ブログ「ジャーナリストのエンジン」にアクセスいただきありがとうございました。平均するとひと月に15回ほど書いてきていますが、たわいもない日々の雑感の時もあれば、国際情勢についての私見を述べる日もありました。来年も同じペースで書き続けていければと思っております。

1年前のブログを読むと、「チカラの衰え」について言及しています。「聴力」の衰えがあり、「視力」の衰え、さらに「記憶力」の低下もあると記しています。1年たって、チカラは復活するどころかさらに下方へと向かっていますが、そのままボーッとしていても老けこむだけなので、さまざまな刺激を受けながらモノを考え、衰えにあらがっていきたいと考えています。

1年前のブログでは、私は白内障の手術を受けたことを書いています。左目がぼんやりと霧がかかったような状態になり、眼科医のところにいくとすぐに「白内障です」という診断がくだされました。驚いたのはすぐに処置ができるといわれ、本当に5分ほどのレーザー治療で済んだことでした。

術後は黒いゴミのようなものが目に浮いていましたが、数日するとゴミは小さくなり、1週間後には「霞が消えて、快晴の空が現れた状態」になりました。いまはお陰さまでメガネをかけることもなく、裸眼で過ごしています。いまのところ内臓疾患もないので、来年もこのまま活動したいと考えています。

皆さま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

コロナ後遺症としてのアルツハイマー

このところ新型コロナに感染した人が後遺症としてアルツハイマー病にかかるケースが増えている。コロナ感染後、1年以上たってからアルツハイマーになるリスクは感染していない人に比べて2.03倍だという。いまコロナは収まっているが、1年以上前にコロナにかかった人がいまになって記憶力の低下や息切れ、疲労感、味覚障害といった障害に苦しんでいる事例が報告されている。

米医学誌「ネイチャー・メディシン」は昨年9月、全米の退役軍人の データベースから、新型コロナ患者15万4068人と、感染していない563万8795人のデータを主に解析し、感染後のアルツハイマーのリスクが高いという研究結果をえた。

後遺症としてアルツハイマーになる医学的メカニズムはまだ解明されていないが、アルツの原因とされるたんぱく質アミロイドβの蓄積が促進されたり、ウイルス陰性になったとしてもウイルスが完全に消滅したわけではないので、体の中のどこかにウイルスが潜伏し、感染や炎症が続いて後遺症をもたらす可能性があるという。

コロナを発症して2週間後には脳で増殖したウイルスが見つかり、最長230日目でも、肺以外の体内でウイルスが増えるという持続感染の証拠が見つかっている。いまは沈静化しているコロナだが、決して油断してはいけない。私はいまでも外出する時はマスクをするように心がけている。

武器商人になるな!

日本政府は22日、これまで自らに規制をかけてきた殺傷兵器の禁輸を解き、米軍の在庫を補充するかたちで輸出を解禁することに決めた。輸出されるのは地対空ミサイル「パトリオット」。これまでは武器の部品だけは輸出できたが、今後は「完成品」を輸出することになる。

戦後一貫して、日本は他国に完成品としての武器を輸出することを控えてきた。だが今回、運用指針改定とパトリオット輸出を国家安全保障会議(NSC)で決定したことで、日本で作った武器を他国に輸出できる運びとなった。

第二次大戦で負けて以来、日本は戦争の悲惨さや残虐性を考慮して、戦争に加担することになる武器の輸出だけは抑止しなくてはいけないとの思いが国民だけでなく政府内にもあったかと思う。ところが今回、その貴重な武器禁輸の掟を破り、米軍の在庫補充は日本の安全保障に貢献することになるとの立場をとった。

これまで日本は武器輸出目的を「救難、輸送、警戒、監視、掃海」に限定することで、パトリオットなどの殺傷兵器の輸出は認めてこなかった。使用はとりも直さず「人を殺傷する」ことに直結するため、今後はしばらく論議を呼びそうだ。

歴史を振り返ると、規制というのは多くの場合、今回のように少しずつタガが緩んで締まりがなくなり、解放という状態へとつながっていきがちだった。そのうちに武器を売ることで利益を得る「武器商人」という言葉が復活してくるかもしれない。そうならないことを祈るばかりである。

文字vs写真

私は1990年にジャーナリストとして独立して以来、ずっと原稿を書いて生活してきている。時々、写真も撮って原稿に添えるが、プロとして雑誌やネットに写真を発表する時は基本的にプロのカメラマンにお願いすることにしている。

彼らの仕事ぶりを見るにつけ、いくらカメラの性能が向上し、スマホでも撮れる時代になっても、やはりプロには適わないと思わざるを得ない現実をみてきたからだ。

モノを書く人間と画像を撮る人間は何かを表現するという点では同じだが、野球の投手と打者のような差異があり、大谷翔平氏のように一人で両方を器用にこなす人もいるが、ほとんどの場合どちらかに落ち着く。私は最初から文字を選んだ。

取材対象によっては、文字でないと細部を説明できない状況や事象がある一方で、一枚の写真の方が圧倒的に見る側に強いインパクトを与えることも少なくない。「この写真をみてもらえば他に説明はいらない」という作品だ。一枚の写真の持つインパクトは時に1000字の原稿よりも強かったりする。その一枚さえ見ればすべて理解できるし、心の中に残り続けるという作品だ。

たとえば下の写真はアーティスティックな画像であることもあり、見る側に与えるインパクトは写真ならではのものがあり、文字で説明すると野暮ったくなってしまう。

この画像はドローンで撮られたもので、新しい境地が開かれている。

Camel's Shadow @abstractaerialart / Instagram.com
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