令和にむけて

平成が終わって令和を迎えるにあたり、テレビではしきりに平成で起きたできごとを振り返っている。

本屋に行っても平成を回顧するコーナーが設けられ、ベストセラーになった養老孟子の「バカの壁」や村上春樹の「1Q84」といった懐かしい本が並べられている。

ただ過去を懐かしがられても、私は少しも面白くない。社会を斜に構えて見がちなためか、過去を振り返ることに面白さを感じない。

そこから新しいモノが生み出される道筋がついていればいいが、単に「懐かしいですね」で終わってしまうことがほとんどなので、その時間は現在とこれからのことについて考えていたい。

東京丸の内の本屋「丸善」にいくと、今上天皇に関連した書籍が数十種類も並べてられていた。本屋の企画としては当たり前すぎる企画で、過去を懐かしむ人にとっては悪くないかもしれないが、私は「令和はこう生きる」「令和で確実に起きるコト」といった本でないと興味をそそられない。

時間的に令和の本はまだ間に合っていない。出版業界の衰退はネット時代のスピードについていけないことが理由の1つかもしれない。だから紙の本の売上は減少し続けている。

ちなみに2018年の紙の出版物(書籍・雑誌合計)の販売金額は、前年比5.7%減の1兆2,921億円で、14年連続のマイナスである。電子出版市場は伸びてはいるが、紙と合わせたときの販売金額は減少しつづけている。本が読まれないのはこれからも同じだ。

こうした現象は平成に入った30年前からすでに分かっていたことだが、業界は先駆的な手立てを打てていないままだ。本が無くなることは当分ないだろうが、このままでは多くの出版社はやっていけなくなる。考えて、考えて、考え抜けば予想もしなかった新分野が見いだせるかもしれないが、いまはまだ形になっていない。

新しい元号になる利点は、別次元の新しい媒体を生み出すエネルギーと契機が生まれやすいことだ。

私も考えつづけたいと思っている。

ネット化でライバル総崩れの中、大躍進の小売チェーン

米国の大手小売業の店仕舞いが相次いでいる。

だが実際に誰もが知る小売大手がつぎつぎと閉店していく様は、確実に一時代の終わりを意味している。

代表的なところでは昨年3月、60年以上続いたトイザらスの倒産がある。日本法人は存続しているが、本家の米玩具大手は連邦破産法を申請して再建を諦めた。

さらに昨年11月には米小売のシンボルとも呼べるシアーズが倒産した。一時期、全世界に2000以上の販売拠点を持っていた同社は、100年以上の歴史を持つカタログ通販の老舗だったが、ネットビジネスの波に乗り切れず終止符を打った(続きは・・・ネット化でライバル総崩れの中、大躍進の小売チェーン)。

target4.30.19

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