高校生国際会議

3月21、22両日、東京秋葉原で高校生国際会議というものが開かれている。今年で4回目だ。

主要メディアにはほとんど取り上げられていない。というのも、会議で世界が驚くような議題が話されているわけでも、仰天するような新しいアイデアが飛び出すわけでもないからだ。

それでも現役の高校生約80人が自らの意思であつまり、「国際問題を考える」機会をつくりだしている。しかも、企画から運営まですべ  て高校生がこなしている。

講師として来て欲しいと声がかかったのは昨夏のことで、十分な準備期間をとって万全の態勢でのぞんでいた。

最初は、会議の監督者として先生か企業人がいるかと思ったが、本当に最初から高校生だけで企画し、運営していたので驚いた。パンフレットもプロ並みのものを用意していたし、メールでのコミニュケーションや会議の流れも申し分ない。

しかもグループごとに、1つのテーマを5時間以上も議論して独自の解決策を提示するのである。並の高校生ではない、と思って参加者に訊いてみた。

「いまの高校生で国際問題を真剣に考えている人は全体の5%しかいません」

誰に強要されるわけでもなく、こうした場に積極的に参加してくる少数派の高校生は確実にいる。日本の未来は彼らのような人たちが背負っていくかと思うと嬉しくなった。

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次世代に向けて

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1年半の修復作業を終えて、いま東京上野の東京国立博物館で檜図屏風(ひのきずびょうぶ)が展示されている。安土桃山時代に描かれた作品(1590年)で、筆者は狩野永徳と言われている。

雨が降っていた火曜日の閉館直前にすべりこんで、作品を観た。襖として仕立てられていたものを、屏風に仕立て直してある。金箔が輝き、碧色と檜の茶色のコントラストが鮮烈である。

400年以上も前に描かれた作品とは思えないほどの仕上がりで、これも地道な修復作業があってのことだ。

過去400年のあいだに何回かの修復が行われているが、国宝指定されている作品を100年先の人たちに観てもらうために手を入れていく作業は貴重である。

少し大げさな言い方をすれば、日本人の遺産を将来につなぐということで、日本政府はこうした分野にもっと予算をさいていい。

ある本屋の終わり

東京、池袋にある本屋「リブロ」が6月末で閉店する。

私がもっとも頻繁に立ちよる本屋であり、もっとも好きな本屋なので、なくなるのはたいへん残念である。

2014年2月期決算は黒字だったというから赤字が理由ではなく、トーハンと日販の駆け引きのなかで、現在の居場所である西武百貨店から出なければいけなくなったらしい。

数年前、本を読むためにタブレットを購入したが、いつの間にか紙の本に逆戻りしていた。アメリカではもうハードカバーもペーパーバックも、売上では紙の本よりも電子の方が上である。

けれども、私はどうやら時代と逆行しているようだ。本屋のなかを歩き回ると、学生時代に感じた喜楽がよみがえる。

本を手にして目次を一瞥し、著者の経歴をみて、本文を少し読むという行為は本屋でしかできない。しかもかなり短時間で数十冊の本に目を配らせることができる。

池袋リブロは本のショールームといえるような店構えで入りやすかったし、本を手にとりやすかった。

ただ本屋はもっと知恵を絞れる気もしている。これまで考えも及ばなかった店内のレイアウトがあるはずだ。さらに店舗内で電子書籍の割安なダウンロードを提供することも可能だろう。

リブロは現在、他に店舗スペースを探しているらしいが、候補地探しは難航しているという。

その場から姿を消すということは、友を失うような寂しさがある。

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振り込め詐欺は人生の終わり?

振り込め詐欺の被害が増えている。

最近は「私に限って騙されることはない」と思っている人でも、巧妙な手口で現金をもっていかれることがある。

昨年の被害総額は約376億円で、前年比で被害額は5割も増えた。過去にうまい汁を吸った犯罪者が手口を変えて、繰り返し詐欺をしている可能性が高い。

騙された人の中には「騙された自分が悪い」という意識を宿し、家族に責められて自殺した人たちもいる。

詐欺罪(刑法246条)は10年以下の懲役で、被害状況にもよるが、初犯であれば有罪判決が出ても執行猶予がつくことが多い。犯人たちは必ずしも塀の中に入るわけではない。

私はかねてから振り込め詐欺を犯した詐欺師たちの量刑があまいと考えている(日本人はもっと怒っていい )。

裁判所は懲罰的な量刑の判例をつくることが望ましいかと思う。現行法では無理があるだろうから、法律を改正すべきである。

いや、それこそが振り込め詐欺を減らす起点になりはしないか。見せしめという考え方は卑しいが、少なくとも十人単位の人間を騙した犯罪者には恩赦なしで100年以上の実刑をだしてもいい。

20人を騙した場合、1人について懲役5年とすれば加算して100年という期間になる。振り込め詐欺をすると、それだけで人生を棒にふるという社会通念を築くのである。

たとえば中国ではヘロインを50グラム以上密輸した時には死刑になることがある。諸外国を眺めると、特にスペインとアメリカで量刑が厳しく、数千年から1万年超という冗談のような量刑がだされたことさえある。

いずれも強姦罪が対象だが、1994年に子ども6人を強姦して有罪判決をうけたスコット・ロビンソンの量刑は3万年だった。被害者1人に対して懲役5000年である。

そこまでいかなくとも、振り込め詐欺で年配者の預金を食い物にする犯罪者には怒りの鉄拳をくらわせるべきだ。大々的に量刑の重さを社会に告知し、「振り込め詐欺は人生の終わり」という事実を定着させればいい。

司法はそれくらいのことはすべきであると真剣に考えている。

男女5人、冬物語

先日、幼なじみの男女5人で晩御飯を食べた。内訳は男子2人と女子3人である。

5人とも57歳なので、男性と女性と書くほうがふさわしいが、幼稚園の時から知っている人もいるので男子と女子の方がしっくりくる。5人は同じ小学校と中学校に通った。

ただ過去50年ほど、ずっと仲がよかったわけではない。別に喧嘩をしていたわけでもないが、クラス会や同窓会といった機会をのぞいて、5人がどうしても会わなければいけない理由はなかった。

学校を卒業してしまうと、仲のよかった友達でさえも疎遠になることが多いし、ましてや同じ学年にいた旧友という理由だけで晩御飯を食べようという話にはなかなかならない。

私ともう1人の男子が時々ご飯をたべていることもあり、「小・中学校で同じ学年だった女子を誘って新年会をしよう」という流れになって実現させたのだ。

5人が20代や30代、しかも結婚前であれば下ごごろがあるかもしれないとの警戒心が、特に女子の心中に宿ったかもしれない。

だが全員が既婚者である。結婚していても、、、との邪念もあろうが、少なくとも5人にはない。孫のいる人もいる。

5人に共通するのは、いまの生活に互いの利害がまったく関与していないということだ。仕事もお金もからまない。

仕事仲間とか趣味の集まりで一緒ということでもない。生活がからみ合わないのだ。それであるのに話は5時間も6時間もつづく。しかも昔話をしているだけではない。

スイートスポットと呼べるような居心地のいい空間は、小・中学校時代に無意識のうちに共有した同じ住環境や教育環境に拠るところが大きいように思う。たぶん、それは多くの方が幼なじみと顔を合わせたときに体感する情感である。

9年間も同じ学校で、同じ授業を受けてきた残影がそこかしこに浮遊しているようだった。

あの時代に戻れるのであれば、学ランを着てみてもいいと一瞬だけ思った。ただ、本当に一瞬である。