カンヅメ

日曜日から都内のホテルにカンヅメになっている。

まとまった原稿を書くためである。監禁されているわけではないので、食事のときは付近を歩き回っているが、基本的には朝から夜中まで原稿を書く、、、ことになっている。

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部屋にいて、思うのである。こういう環境のなかにいる自分に少しばかり陶酔していると。

ものを書くことが仕事なので、絶えず内なる自分との戦いがある。原稿が進まないときは、「お前はできる」と自己暗示をかけるようにしている。

ただ、その暗示がいつもいい結果をもたらせるとは限らないことも知っている。

あと少しだけ、ホテルの部屋でキーボードを叩くことにする。

過去を美化する

先日、若い女性と話をしていたとき、私がジャーナリストとして独立したときのことに話がおよんだ。

いまから25年も前のことである。

それまで勤めていたアメリカの会社を辞めて、会計上、小さな会社を起ち上げた。人に使われることがイヤだったこともある。「会社員は自分には合わない」との思いも強かったので、当然のなり行きであると思っていた。

希望を抱いて、といっても過言ではない心情だった。少なくとも、記憶の中ではそうだった―。

昨晩、当時の日記をとりだして25年前の記述を眺めた。希望に満ちあふれた思いはほんのわずかで、心のなかは焦燥、不安、憂心、怖気でいっぱいだった。

1990年7月12日の日記にはこうある。

「、、、どこから湧き上がってくるのかわからぬ焦りが口の中から入り込み、いまは胃壁に根をはっている。すべては自分の活動いかんである。何をやるにしても、もう人のせいにはできない。社会のせいにもできない、、、」

喜びいさんで独立したというのは自身が美化した過去の記憶であって、当時は不安で押しつぶされそうになりながらの日々が続いていたのだ。

日記を読み進めるうちに、当時の記憶が少しずつよみがえる。安定した収入を絶ち、年金や健康保険も自分で面倒をみなくてはいけない。有給休暇もない。薄暗いトンネルのなかを感覚だけで突き進むような恐怖がつねにあった。

それでも、いま振り返ると思い切って独立したことは私にとってはいい決断だった。

幸いにも、25年間も文筆業をつづけてこられたのは編集者や友人にささえられてきたからだ。あらためて感謝するしかない。

桜香の漂い

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今年はゆっくりと花見をしていないが、都内を歩いていると、曇り空に春を投げるようにして濃いピンク色のさくらがさいていた。

さくらは強い香気をたずさえないが、その木からは桜香と呼べるような芳香が漂っているかに感じられた。

春まっ盛りである。

心に貼りつく絵

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知人の画家、高橋常政が東京都中央区京橋の画廊(ギャルリー東京ユマニテ)で個展をひらいている。

以前から書いているが、私は友人や知人であっても自身が納得しない限り当ブログには取り上げないことにしている。だからレストランや個展、イベントの紹介はほとんどしていない(かなりエラソー)。

「書いてください」と頼まれると、まず書かない。そうしたスタンスは、ジャーナリストとして客観性を保つ上で重要だと考えている。ただ今回は違う。

上の絵は動物の涅槃図である。4月に巣鴨にある蓮花寺に奉納されるふすま絵で、高橋は無報酬でこの仕事をやり遂げた。一見すると、寺の和室の絵として本当にふさわしいのか、との疑問をいだくが思いやりに溢れた絵である。

故人を偲ぶために集まったひとたちに楽しんでもらう意図があり、暖かさが伝わる。法要に集まった親族は、とかく会話に滞りがちだ。ましてや子どもは退屈きまわりない。

しかし、動物が描かれていれば、そこから会話が始まる。象の鼻の上にはテントウムシが乗る。アフリカなのかと思うと桜の木が植わり、犬やニワトリがいる。

四国から和紙を仕入れ、墨で濃淡をつけた絵は一瞬にして観る人の胸中に入りこむ。

絵画の優位性というのは、人間がいだく一瞬の驚きと感嘆をどこまで持続できるかなのだと思っている。この点で高橋の絵は、しばらく心に貼りついたまま剥がれない。

これが高橋常政という画家の力量なのだろうと思う。(敬称略)

リー・クアンユーの死

「緩やかな独裁」を貫き通したシンガポールの元首相リー・クアンユーが他界した。

成し遂げた成果に注目すれば「独裁者」という言葉はあまりに一面的で、氏の全体像を言いあらわしていない。それは、ある激情型の年配者を「怒りっぽいオヤジ」とだけ言って、その人のやり遂げた仕事や、実は他人に対して驚くほどの優しさをもっていたといった側面を無視することに似ている。

もちろん31年間も政権トップにいたことで、権力に固執する姿と政敵を除外しつづけてきた強権的な政治力には疑問がつく。いまの権力者であり息子のリー・シェンロンにも受け継がれている点だ(政治システムに完璧なし )。

民主主義の前に、国民の社会福祉と生活の安定を掲げたことで、いまは1人あたりのGDPは日本よりはるかに上をいく。経済力を含めた国力を高めるという点で、シンガポール型の国家資本主義はすべての国民の意見に耳を傾ける民主主義より即効力がある。

こうした点はすでに多くの学者が指摘している。「21世紀に資本主義はもう十分に機能しないかもしれない」という仮説がさかんに取り沙汰される起点にもなっている。

それでは日本が真似をできるかといえば答えは「ノー」だ。日本には日本流の国家の成り立ちがあり、社会規範が根づいている。いまさら少数意見を無視して、半独裁の政権など誕生するはずもない。

有楽町の日本外国特派員協会に行くと、よく知るシンガポール出身の記者が原稿を書いていた。「緩やかな独裁者」について話を聞くと、以前リー・クアンユーにインタビューしたことがあるという。

「いまのシンガポールは彼なくして 成立していないので、功績を大いに認めています。国民はいろいろと不満があるでしょう。でも彼の成し遂げた実体はあまりにも大きい。ほとんどの国民は感謝していると思います」

本音だろうと思う。大統領ニクソンから歴代のアメリカ大統領と対等に話をするだけでなく、アジア政策で助言もできるような政治家は日本にはいない。たぶん今後も現れない。

歴史の灯がまた一つ消えた。(敬称略)

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シンガポール、マーライオン公園の「ちびマーライオン」。大きなマーライオンは写真の左手奥(写っていない)に位置しています。