今日は柔らかいお話を「デス・マス」体で。

6年ほど通い続けているところがあります。ある鮨職人のもとにです。今月2日、彼が銀座に新しいお店をオープンさせました。銀座4丁目に建った新しいビルの中に入った「あらた」です。

店主の名前が新妻賢二なので、最初の漢字「新(あらた)」をとった店名です。それまでは鰤門(しもん)という店で気合いのこもった鮨を握り続きてきました(鮨の舞台 )。

大学時代は4年間、駅伝を走り続けた屈強のランナー。箱根には惜しくも出場していませんが、最近まで、夜中に仕事が終わってから、自宅まで10キロ以上の道のりを平然と快走していた逞しさをたずさえています。

これから創造していく「あらた」な鮨ワールドを、カウンターに座りながら観ていきたいと思っています。(敬称略)

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同じジャーナリストとして思うこと

後藤健二さんが殺害されたことは大変残念であり、無念である。

個人的に後藤さんにお会いしたことはなかった。実はイスラム国に拘束されるまで名前も知らなかった。

亡くなられた方はもう何も語れないので、軽率な批判をしてはいけないのが業界の常識だが、同じジャーナリストとして少しばかり思うことを記したいと思う。

今回、後藤さんは単身でイスラム国に入りこんだ。いい比較ではないかもしれないが、第2次世界大戦中に、日本人でありながら「ジャーナリストですから」と言って日本軍ではなくアメリカ軍のなかに飛び込んでいくような勢いと危うさを感じていた。

これまで戦争報道をしてきたジャーナリストは数多い。彼らの多くは自国軍の兵士たちと行動を共にすることがほとんどで、それこそが身の安全を一応ではあるが確保することにつながっていた。

本人はシリア入国後に「何が起きても責任は私にある」といったことを述べていたし、イスラム国に拘束されることをいとわないようなニュアンスも伝わってきていた。反シリア政府軍から記者証を発行されていたようだが、それがイスラム国への取材許可であるわけではない。

週刊誌で書かれたような10分の動画で100万円単位の報酬を手にできるといったことが動機だったかどうかはわからない。

同じジャーナリストとして、時にはリスクがともなう取材を行うこともあるし、それが精神的高揚をもたらせることも知っている。だが敵と呼んで差し支えない犯罪集団のなかに自ら飛び込んでいったことは、シリアを知っている彼であってもやはり無謀だったのではないか。そう思えてならない。

しかも湯川さんを救いだせると本当に考えていたのか、私には正直わからない。後藤さんは昨年10月25日、日本にいる友人に「月末までに戻る」というメールを送っていたらしい。となると、短期間で湯川さんの救出が可能だと真剣に考えていたのか。

私はシリアにもイラクにも行ったことがない。近隣国ではトルコとエジプトまでである。危ういという点で少しばかり共通項があると思えるのは北朝鮮だ。首相や議員の訪朝団と一緒に行ったのではない。プライベートな訪朝である。

2011年に北京経由でピョンヤンに入ったとき、入国直後にパスポートを現地の人間にとられてしまうことを事前に聞かされていた。

韓国人の友人は「10億円もらっても私はいかない」と言った。それほど信用できない国だという。さらに他の友人は「拉致されてもおかしくない」とも口にした。確かにその危険性がないとは断言できなかった。

だが、滞在期間中にどこを訪ねるのかといった行動プランは出発前に8割方、できていた。実際、その通りに動いた。同時に、ピョンヤンに行ったからと言って北朝鮮に拉致された日本人を救い出せるとも、彼らがどこにいるかの情報を得られるとも思っていなかった。

ただ「もしかして自分が拉致されたら、、、」という危惧は滞在中、消えることはなかった。「まあないだろう」という期待でしかなかった。

北朝鮮とシリアでは危険度に大きな差があるが、後藤さんはイスラム国に拉致されたとしても、ジャーナリストとしてアリと思っていたのではないか。今年になるまでイスラム国に日本人が殺害されていなかっただけに、殺されることはないとの期待があったのではないか。

いまとなっては虚しい疑問である。やる方ない気持ちでいっぱいである。

イスラム国と人質

イスラム国に拘束されている日本人2名をいかに救出するか―。

アメリカ政府は2億ドル(約237億円)という身代金を払うべきではないと、日本政府に警告している。一貫してテロリストの要求には応じない方針だ。

身代金を払わなかったことから、昨年8月、イスラム国に拘束されていたジャーナリストのジェームズ・フォーリーが殺害されている。

アメリカ政府は人命よりも犯人たちの要求を拒否することの方が重要と判断している。日本政府にもそうした行動を期待する。ただフランスやスペイン、トルコなどは違う方針で、すでにイスラム国と交渉して拘束されていた人質を解放させた。

3政府は公式には認めていないが、身代金をテロリストに支払ったと解釈していい。それでは安倍はアメリカの警告に従うのか。それとも3国の歩んだ道を歩むのか。

安倍は迷っているかに見える。

というのも過去2日の言動に矛盾があるからだ。テロリストも安倍の言動を注視しているはずだ。安倍は 「人命第一」という表現を使った。これは身代金を支払ってでも助けるべきとの意味に受け取れる。

しかし、「日本はテロに屈することなく国際社会によるテロとの戦いに貢献していく」とも述べた。この言葉にはテロリストの要求を飲まないとの意思にも思える。いったいどちらなのか。

アメリカはできるだけの協力をすると言っているが、オバマの一般教書演説でも強調されたように、「(イスラム国を)最終的に壊滅する」意気込みで、「日本よ間違っても身代金は払うな」との考えだ。昨晩、FMラジオJ-WAVEの番組に出演してパーソナリティーの堤未果とその点を話しあった。

今日になっても官房長官の菅は記者会見で「人命最優先に取り組んでいる」と述べた。「身代金は支払うのか」との質問には言葉を濁す。「払うつもりはない」と断言しないのだ。

これは水面下でイスラム国と接触し、多額の身代金を払う用意があるということに等しい。イスラム国はたぶん値段交渉には応じないだろう。

今のような状況で、政府内に集まった重要な情報をメディアに漏らすことほど愚かなことはないと承知している。日本政府がアメリカのように特殊部隊をシリアに派遣するというオプションはもたないはずだ。アメリカはジェームズ・フォーリーを救出するために特殊部隊を送り込み、失敗したと言われる。

日本政府がもっとも歩みそうな道はテロリストの要求を聞き入れるというオプションである。「日本人はやはりカネをだす」という事例をつくる流れに落ちつくのではないか。そんな気がしてならない。(敬称略)

遅れてきた1通のハガキ

年賀状のやりとりもほとんど終えたと思った今日、1通のハガキが郵便ポストに入っていた。

誰かと思って宛名をみると、F氏の名字が読めた。

「そういえば今年は年賀状が来ていなかった、、、」

2008年に仕事でお目にかかった人である。共に船で上海に行く仕事で、船上でいろいろと語り合った。以後は再会していないが、年賀状のやりとりは続いていた。

私よりわずかに年齢が上で、旅の間は頼りになる兄貴という存在だった。

マンションのエレベーターのボタンを押す。私1人である。中に入りながらハガキを裏返す。「寒中お見舞い申し上げます」ではじまっていた。

身内の誰かが亡くなられたのだと思いながら、エレベーターの箱の中で文面を読みはじめた。すぐにF氏の奥様が書かれたハガキであることがわかった。というのも、昨年4月にF氏は他界していたからだ。

その事実を知った数秒後、両眼からいくつかの滴が頬をつたっていた。そしてエレベーターの中でしずかにF氏の名前を口にした。

自分でも、これほど瞬時に涙が溢れるとは思っていなかった。どういう経緯で亡くなったかは記されていないが、文面の最後に「上海までの洋上生活は楽しかったようです」と結ばれていた。

その文面を読んで、再度F氏の名前を呼ぶと涙がまた溢れた。

東京のシャッター通り

日本全国の商店街で「シャッター通り」が増えている。

地方都市だけではない。東京都内でも商店街として成りたたなくなった町は少なくない。

実家の最寄り駅である西武新宿線沼袋駅。北に向かう道路の両側には商店がつらなり、今でも多くの人で賑わっているが、そこから歩を練馬区に進めると昼間でもゴーストタウンのような景観になる。

徳田(とくでん)と呼ばれる地域は、幼少の頃、何軒もの商店が連なった商店街だった。けれども、亡父とよく行った肉屋は何年も前に姿を消し、2店舗あった八百屋もなくなった。

昔は「かんぶつ屋」と言った総菜を売っていた店も、魚屋も蕎麦屋も店じまいしている。今でも残っているのはパン屋くらいだ。酒屋と八百屋の跡地にはコンビニがオープンした。

それでは、どうして商店にシャッターが下ろされたのだろうか。

都市郊外や地方都市であれば過疎化や大型店舗のオープンといった理由が考えられるが、実家周辺の人口は減るどころかむしろ増加している。スーパーに客をうばわれたとの要因も考えられるが、周囲に大型スーパーはない。

ましてや車を使って買い物をする地域ではない。商店の前に車は停められない。住民は徒歩か自転車で買い物をする。必要な物品をすべてコンビニで調達できるわけではないので、どこかで買いだしてこないといけない。

となると車を出して遠くのスーパーへ行くか、通勤の帰り道に買い物を済ませるか、ネット通販で買いつけているということになる。

もう昔のような商店街が戻ってこないことは誰もが知っている。「地方再生」という言葉がよく使われる。地域活性化のプランも練られるが、都内の人口密集地であってもシャッター化は防げない。

店主と話をしながら買い物をする時代は多くの地域ですでに過去のものになったということである。