アタマ、グズグズ

すべては1本の電話からはじまる。

インターネットの時代になっても急ぎの仕事の依頼はすべて電話である。

8日のアメリカ大統領選の投票日をはさんでテレビ・ラジオの出演依頼、新聞・雑誌からの取材・執筆依頼が舞い込むが、スケジュールが重なってすべてを受けられない。

そこにあらたな仕事の依頼と打ち合わせが重なる。一瞬だけ、アタマの中がジューサーで攪拌されたようにグズグズになる。

そういう時はミュージック・・・のはずである、いや、そうでなくてはいけない。

先日、スマホ用の新しいイヤホンを買った。鼓膜への響き方が絶妙でゴキゲンである。ただ、あまり聴きすぎるとアタマがグズグズになりそうになるので、静かに目を瞑る時間もつくっている。

トランプの集会に2万7000人

11月8日(日本時間9日)。長かったヒラリーとトランプの戦いの結末がようやく見える。あと2週間だ。

トランプが負けを認めず、訴訟を起こす可能性もあるので、スッキリと「ヒラリー大統領誕生」という流れにならないこともある。

アメリカの大統領選は、全米50州に割り当てられた選挙人(538人)をどれほど獲得するかで勝負がきまる。私はヒラリーが最終的に340人前後を奪って圧勝すると予測している。

ちなみに270人が安定多数である。半年ほど前からヒラリー勝利と言い続けているので、やっと落ち着ける。ただトランプ支持者も依然として驚くほど多い。

トランプは昨日、今日と接戦州の1つであるフロリダ州を遊説している。ほとんどすべての集会をユーチューブで視聴できるので、話の内容と周囲の様子がわかる。

タンパ市にある「フロリダ・クレジット・ユニオン野外音楽堂」というコンサート会場で25日、トランプは約40分の講演を行った。驚くべきなのは、2万人収容の野外音楽堂に2万7000人が集まったことだ。

昨年の夏頃から、トランプの行く先々でこれまでの大統領選では考えられなかった数の有権者が姿をみせていた。3万人超という場所もある。だからいまさら2万7000人という数字には驚かないが、女性蔑視発言や大統領としての資質の欠如が明らかになっても、根強いトランプ支持がいることに驚嘆せざるを得ない。

演説の内容にはもう斬新さはなく、以前からの主張を繰り返すだけだが、それでも会場に詰めかけた有権者は「もう既存の政治家はいらない。彼のようなビジネスマンに任せるべき」とか、「彼ならアメリカを変えてくれる」といった期待を口にする。

それでもトランプが勝つ可能性は10%しかないと踏んでいる。もし勝利の女神が10%に微笑んだら・・・いまは考えないことにする。

ひな壇に座る

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やはり段々と慣れていくものである。

今年2月、テレビのバラエティ番組に初めて呼ばれた。東野幸治がMCの大阪ローカルの番組だ(初バラエティ)。

それまでもテレビやラジオには呼ばれてはいたが、いわゆる芸能人と一緒にカメラに収まる機会はなかった。大阪に向かう新幹線の中から緊張感が高まっていた。

しかも生番組で、私は「先生役」として約20分も話をしなくてはいけない。前の晩はほとんど眠れなかったのを覚えている。番組終了直後、「もう呼ばれることはないかもしれない」と思った。

だが昨日も同じ番組に呼ばれた。すでに4回目である。今年は他局の番組にも呼んで頂いているので、顔にドーランを塗ってひな壇に座り、カメラの前でしゃべることに少なからず慣れてくる。

まだ快感には至っていないが、少しばかりの悦楽が降りてきている。

しかし大統領選が終わるまでの話・・・なのだろうと思っている。(敬称略)

おまけのディラン

 

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Photo by Pinterest

実は昔からあまり好きな歌手ではなかった。

ノーベル文学賞を獲った直後なので、大きな声で「好きじゃない」と言えない空気があたりを覆っている。

私の年代ではボブ・ディランを聴いていた人は多いが、70年代初頭、ビートルズとサイモン&ガーファンクルが私の洋楽の8割を占拠していたので、ディランは隅の方に霞んでいた。

『風に吹かれて』や『ライク・ア・ローリング・ストーン』など、いまでも口ずさめる曲はあるが、彼のことを「ファンです」とは言えなかった。

15年ほど前(ワシントンに住んでいた時)、ディランとポール・サイモンがワシントン郊外にあるニッサン・パビリオンというコンサートホールにきたのでチケットを取って聴きにいった。

2人が揃って歌ったのは数曲だけで、あとはそれぞれが自分たちのバックバンドでオリジナルの曲を歌っていた。私はポール・サイモンを天才と位置づけている大ファンなので、その日もサイモンを聴くことが目的で、私にとってディランは「おまけ」に過ぎなかった。

ディランの歌はほとんど全曲にアレンジが施されていて、『風に吹かれて』でさえ「エッ、これ何の曲?」と言ってしまうほど判別がつかない。それほどディランは音楽の色が濃かった。

新しい色を創り、キャンバスに投げつけるようにして音楽を生みだしている印象がある。詩はその中に練りこまれていた。音楽性が強すぎて、入っていけないのだ。

だが今回、練りこまれた詩が評価されてノーベル賞を受賞。大変喜ばしいことだが、私の中ではいまでもおまけのディランなのである。

ニューヨークのテロリスト

昨晩、フジテレビのインターネットTVで15分ほどニューヨークのテロ事件について話をした。

実行犯のアフマド・カーン・ラハミ容疑者(28)はすでに逮捕されたが、男の背後にイスラム国やアルカイダ系過激派組織などのテロ集団があるかは現段階では分からない。

素性を探ると、単独犯の可能性が高いようにも思える。ただ過去5年間で、生まれ故郷のアフガニスタンとパキスタンに長期間滞在しており、その時にテロ集団と接触があった可能性はある。

男は7歳の時、家族と共にアフガニスタンからアメリカに亡命している。父親はニュージャージー州のエリザベス市というニューヨークからほど近い所でフライドチキンの店を経営し、男もそこで働いていた。

高校まではTシャツにジーンズという普通の服装だったらしいが、アフガニスタンとパキスタンの旅から戻ると立派なヒゲをたくわえ、シャルワール・カミーズという民族衣装を身につけるようになった。そして毎日礼拝するようになる。

小学校からアメリカで生活していれば英語はネイティブの域にあるだろうし、アメリカ文化にも馴染んでいたというより自分の皮膚の一部のようになっていたはずだ。

しかし宗教はイスラムである。自宅ではアフガニスタンの言語であるパシュトー語かダリー語を話していただろう。そうすると男は、近年、アメリカ国内で偏見の眼で見られがちな、ヒゲをはやしたイスラム教徒の男というカテゴリーの中に入ってしまう。

すでにアメリカに帰化したアメリカ人であっても、自身の思いと他人の思いにはズレが生じる。アメリカ社会への帰属意識はあっても、周囲が自然に受け入れてくれない状況が訪れていたのではないか。

そしてアフガニスタンとパキスタンに滞在したことで、祖国への思いとイスラム教への信義の意識が強まる。イスラム教過激派の思想に同調していくのは、むしろ自然な流れかもしれない。

父親の店はもともと24時間営業だったが、周辺住民からの騒音の苦情で、市政府が「午後10時閉店」の通達をだす。父親は通達が営業妨害にあたるとして、市政府を訴えるが負けてしまう。

さまざまな要因が合わさり、白人中心でまわるアメリカ社会への憎悪が増幅したとも思える。

もしかするともっと明確な意図があったのかもしれないが、ラハミ容疑者は爆弾テロという卑劣な犯行を決行することになった。当事件は再び、イスラム教徒とのつき合い方を考させられる事件となった。