となりの芝生は青く見える

橋田壽賀子が脚本を書いた『となりの芝生』がNHKで最初に放映されたのは1976年のことである。

以来、「となりの芝生は青く見える」ということわざがずいぶん広まった。もともと日本には芝生の庭がないので、この出所は「The grass is always greener on the other side of the fence」という英語表現だと思っていた。

このフレーズは16世紀の英語文献にすでに登場している。けれどもフランス語にも同じ表現がある。その先をたどると、やはりラテン語に行き着いた(Fertilior seges est alieno semper in arvo)。隣人の様子が気になるという心情はどの国でも同じであることがわかる。

日本がスウェーデンの社会保障制度に目を見張るかと思えば、南米パラグアイの人がブラジルの放牧の広大さに羨望を抱きもする。

先日、ロサンゼルス・タイムズにスティーブン・ヒルというアメリカ人研究者が書いた「日本とドイツから学ぶもの」というコラムが目にとまった。アメリカが日本の経済発展にしきりに注目したのは80年代後半だが、いまでもこうした動きがあるという。

日本はいま財政赤字に苦しみ、デフレが蔓延して一般国民の所得は上がらない。「日本が再び世界のナンバーワンになる」という思いを抱く人はほとんどいなくなった。その日本から学ぶものがあるという。

記事では日本の生産性が落ち、消費者も投資家もカネを使わないという否定的な記述もあるが、90年代の「失われた10年」でさえも失業率は3%台で、国民皆保険は機能し、社会格差もアメリカほど広がっていないと説く。

さらに平均寿命は世界一で、乳児死亡率も犯罪率も低いともちあげる。経済成長は鈍化しているが、その中で日本とドイツはやりくりする術を学んでおり、アメリカもそこに得るものがあるはずと書く。

それはレーガン時代のサプライサイド経済からの完全な決別を意味する。トリクルダウン理論はもはや国を豊かにしないというより、今の時代にはそぐわないということだ。

これはアメリカから見た日本の芝生なのだろうと思う。本当にこちらに来てみないと芝生が本当に青いかどうかは分からない。何しろ、日本には芝生の庭などほとんどないのだから。(敬称略)

猫とアヒルが力をあわせて・・

やはりテレビの力は馬鹿にできない―。

アメリカのある経済誌を読んでいると、保険会社アフラックのCEO、ダニエル・アモスの記事が載っていた。署名は本人になっている。大手企業のCEOが自分で雑誌に執筆することは稀で、ライターが背後にいると考えるべきだが、文章を読む限り、こなれていないので彼が書いた可能性がある。

アフラックはアメリカの保険会社だが、日本のテレビCMに登場するまねきネコとアヒルのキャラクターが人気を集め、高い知名度を得ている。記事の中では日本の4世帯に1軒がアフラックの保険契約者だと書かれている。

                

本当かどうか調べると、確かに保有契約件数は国内で2000万件を超し、長年業界1位だった日本生命を抜いてトップの座についていた。会社本体の売上(08年)の70%以上は日本からである。

アメリカの保険会社がここまで伸びるとは10年前には考えられなかった。保険市場が国外企業にも開放された結果であると同時に、「♪ネコとアヒルが力をあわせてみんなのしあわせを・・・」のテレビCMに力の源泉があると思われる。記事では、CEOのアモスもその点を強調していた。

インターネット時代であってもテレビの力はすさまじい。黙っていても映像が流れでてくる強さはネットにはない。インターネットは世界中をつなぎ、数十億単位のサイトへの選択が可能だが、こちらからアクセスしないかぎり感受できない。

アフラックのアヒルのテレビCMがアメリカで放映されたのは2000年のことである。90年代後半、コマーシャル制作の担当者が「アフラック」という社名が、アヒルの鳴き声(英語)「クワック」に似ていたことから、アヒルをCMに登場させるアイデアを発案した。

以来、いくつものバージョンを制作したが、いずれもアヒルを登場させ、徐々にネームバリューが広がっていった。初年度は、100人中27人しかアフラックという名前を覚えていなかったが、2年後にはその数字は67人になった。

いまでは90%以上の人がアフラックという社名を知っている。アモスは記事の中で6500万ドル(約58億5000万円)を(広告宣伝費に)割いていると書いている。

もちろんネコが登場するのは日本のCMだけで、アモスはいまネコとアヒルのコンビをアメリカにも使おうとしている。(敬称略)

トヨタもできていなかった危機管理

先週の国内ニュースは小沢一郎の不起訴と朝青龍の引退にもっていかれた感がある。

どちらもがっかりさせられるニュースだったが、もう一つ、財界で大きなニュースがあった。トヨタのリコール問題である。

アクセルペダルに関連した大規模なリコールで会社側の対応がおくれ、日米で批判が噴出している。アメリカ政府はそれを利用しているようにもみえる。

問題が起きることは致し方ない。人のいとなみに完璧はない。人間が完璧でない以上、理念的に完璧なものを創ることはできない。重要なのは問題が起きたときにどう対処するかである。

簡単なことではないが、切り返しがうまければベクトルをマイナスからプラスへ転じられる。しかし、先週のトヨタの対応はマイナスをさらに深まてしまった。

金曜昼、外国特派員協会の仲間とランチを食べながら、トヨタのリコール問題を話し合った。前日に行われたトヨタの記者会見での対応の悪さが皆の口から噴出した。私は出席していなかったので、彼らの思いを記したい。

        

            

フィナンシャル・タイムズ紙のマーティン・コーリン記者は満足な情報が得られなかったという。

「問題の責任者が誰なのかはっきりしていない。記者会見を開きながら、事実を満足に伝えることさえしない。問題を調査中なら、判明した事実を適時インターネットで公開すればいい。こんな簡単なことさえできていない」

ドイツのフランクフルター・アルゲマイネの特派員も批判する。

「記者会見では基本的な事実を記したプレスリリースさえ配らなかった。ブレーキ問題でアメリカでは何件くらいのクレームがきているのか。日本ではどうなのかといったこともわからずじまい。準備ができていないのなら会見は開かないほうがいい」

スイス放送協会の記者もいう。

「世界のトヨタも危機管理ができていなかったことが判明してしまった。情けない」

ただ、三人ともプリウスの性能のよさは認めている。別にトヨタが奈落の底に落ちたわけではない。かんじんなのは、問題が起きた時の対処法である。(敬称略)

(連載記事:堀田 佳男 – プレジデントロイター

金融ブームふたたび

ダウ平均株価が1万ドルを超えた。今年3月9日に底値を打ってから急速な回復をみせている。

しかし、過去20年以上エコノミストによる株価の予想を見聞きしていても、見事なまでに外れることが多いので今後の動きはわからない。本来わからないことをわかったように言うために誤算が生じるのだ。

株価は経済成長と密接な相関関係があるため、上昇をつづければ投資家が資金を市場に投入する動きが活発化することは確かだ。ただ今年の動きをみるかぎり、今後、乱高下のサイクルが早まるようにも思える。

        

               

上げ潮に乗った株式市場は急速に加熱されれば再びポーンと弾けて冷却される時がくる。急速な株価上昇は新たなバブルを生み、それがまた炸裂するというサイクルである。

それだけ社会の金融への依存度が高まっていると同時に、投資家だけでなく一般市民の間にも「楽をして儲ける」という心理が増幅している。いやすでに、アメリカの金融界にまん延するその意識は、金融危機以前に戻ったとみていい(参照:変わらぬ米金融界)

一昔前であれば、「カブ屋と高利がし」という言葉でさげすまれた職種であり業界である。本質的には人のカネを使ってその利ザヤで儲ける商売だが、いまや政府でさえコントロールできなくなるほど肥大化したところに社会的ひずみが潜む。

オバマ政権は規制をかけるつもりだが、自由化と規制の狭間にゆれざるを得ないのが現実の世界だ。今後の展開を確実に読める人はだれもいない。

留学という国家戦略

日本経済は回復しつつあるとはいえ、労働人口の減少にともなった生産性の鈍化は今後も避けられない。GDPは今年中国に抜かれるかもしれないし、近い将来インドにも抜かれるだろう。

人口増加が当たり前の途上国が伸張するのとは対照的に、少子化の日本は経済のパイが小さくなっており、国際競争力も低迷している。解消するには二つのことが考えられる。今まで以上に国外で稼ぐか、他国から大勢の人を招くかである。

二つのオプションともに利点と欠点がある。国外で稼いでくるという考えはすでに過去何十年も企業や個人が実践してきたし、今後も継続されることに異論はないが、極論にむかうと危険である。 というのは、日本国内の高率な法人税などの影響で大手企業が拠点を国外に移転させてしまう可能性があるためだ。すでに利益の6割以上が国外からという大企業も多く、さらなる産業の空洞化が進みかねない。

もう一つは労働者の受け入れである。何百万という単位で外国人を受け入れると、社会問題が浮上することはほぼ間違いない。それを承知でホワイトカラーの労働力とブルーカラーの労働力の両方を大勢受け入れる手はある。私は100年後の日本を想像したとき、移民の混入は必然であろうと思うので、人種に起因する社会問題をいかに解決していくかは、国内で対処できる国際問題として今から前向きにとらえるべきだと考えている。

それを踏まえると、今から留学生をたくさん受け入れるべきである。日本にきている留学生は現在12万弱である。中国人がもっとも多く、次いで韓国、台湾、マレーシア、ベトナムとアジア諸国がつづく。この5カ国で全体の85%である。欧米の学生は少ない。

一方、移民の国アメリカは留学生を約62万もかかえる。人口が3億強なので見合った数ではある。驚かされるのは人口が約2100万のオーストラリアが約54万の留学生を受け入れていることである。英語圏ということもあるが、留学生が多い理由はオーストラリアの大学が大胆といえるほど積極的に諸外国に出向いて学生を招いている現実があった。教育(留学生受け入れ)をビジネスと捉えているのである。そのため、大学生の25%は外国人だ。

日本政府もじつは08年に「留学生30万人計画」を発表し、20年までに留学生数を30万にしようと動いているが、まだ数字には大きく表れていないし、ほとんどの国民はこの計画を知らない。今後政府主導の動きが、教育現場、民間企業、そして一般国民のレベルにまで広がり、BRIC’sを中心にした国から学生を大勢招き、後年の日本との関係構築に役立てなくてはいけない。

私は「留学は国家戦略」といったレベルにまで持ち上げていく必要があると思っている。政府にだけ任せておくべきことではない。他国から国内にカネを落とさせるという意味でも重要であり、日本の将来を見据えた時にもっと力を入れるべき分野である。

留学後に帰国した学生たちが日本を嫌ってもいい。親日派でなくても知日派であれば、いずれ関係構築が生まれる可能性はある。留学後に日本国内にとどまる学生を増やし、知力を活かしてもらう。本腰を入れるべき課題である。

 連載コラム:「分裂」したマイケル、「統合」したオバマ