セクハラ発言の本当の問題

東京都議会議員の塩村に浴びせられたヤジの一件が、うやむやにされたまま終わろうとしている。

これまでも虚言、暴言とよべるヤジは都議だけに限らず、衆参両院でもあった。だが今回の差別発言を契機にして、人格を否定するような発言は断固として取り締まるべきだろう。

日常の会話のなかで発しないことを平気で口にすることに違和感はないのだろうか。酒席だったとしても「子どもは産めないのか」などと目の前にいる女性に言うことはないはずだ。それが議場という公の場所で許されることが異常である。

差別発言や人を傷つけるヤジの発言者は今後、退場させたらいい。

アメリカの議会にヤジはない。静かである。全くないわけではないが、品を欠く発言をすれば、すぐに議長から注意される。周囲の議員からもスゴイ目でにらまれる。ひどい時は警備員に連れだされる。

ただ、今回の件でそれ以上に問題だと思うのが、人の生き方にちょっかいをだす発言だ。自民党議員の鈴木は「早く結婚してほしかった」と言った。いつの時代の話だろうか。世界は2014年である。

結婚して子どもを産むのは極めて自然なことだが、それを人に押しつける時代ではない。あとは個人の生き方の問題である。それを「結婚しろ」と言うのは、大きなお世話である。男である私でさえも憤慨する。

多くの方は気づいているかと思うが、市民ができる最も効果的な政治活動というのはこうした議員を「落選させる」ことである。次回選挙でこうした議員に票を入れない。つまり普通の人にすることが有権者ができる最善の活動である。(敬称略)

新聞の特質

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いまさら述べるまでもなく、大阪市長の橋下徹が市長を辞任して再度、市長選に打ってでるという。

上の写真は2月1日、「日本維新の会」第2回党大会で檀上にあがった時の1枚である。同党政治家の友人が党大会に出席するので「一緒にどうか」との誘いをうけた。

橋下は30分にわたって熱弁をふるった。大阪都構想が公明党の離反で実現しなくなったと述べ、慰安婦問題の持論にも時間を割いた。この点については昨年ブログで述べた通りだ(首相のチャンスを逃した橋下 )。

ただ、メディアが言うような「党代表の辞任」はその場で決まったわけではない。翌2日の朝日新聞朝刊は次のように書いている。

「しっかりともう1回民意を問いたいと提案すると、反対意見が出ていたものの拍手で了承された」

その場にいた500名以上の出席者の中で拍手をしたのは数人である。了承などとはほど遠い。採決するような場ではなかった。

しかも朝日新聞の記者は演説の冒頭で、橋下から「出て行ってほしい」と言われ、その場にいなかったはずである。

新聞(週刊誌も)というのは、このケースに代表されるように推測を交えて書くことが少なくない。「了承された」などと断言した時点で「虚偽」、はっきり言えばウソである。

記者が書いた原稿に、デスクなどが断言口調に変えた可能性もあるが、いずれにしても新聞社全体の信用にかかわる。

橋下はその場で辞任など断言していない。いつ辞めるかにも触れていない。党大会後に辞める意向を漏らしたが、その場で明確な辞任は表明していない。

なにしろその後、友人と落ち着いて話をした時に初めて「もしかすると橋下は辞めるかもしれない」と語りあったからだ。党大会後の懇親会でも「橋下辞任」などの話題はでていない。

新聞や雑誌の記述内容がいかに正確さに欠けるかの1例である。(敬称略)

先頭をいく候補

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1月31日正午、日本外国特派員協会の会見に現れた都知事選に出馬している舛添要一(66)。通訳を使わずに、質疑応答はすべて英語でこなした。

日本の政治家でこれができる人はたぶん5人もいないだろう。石川遼にもでいない芸当である。東京オリンピックを控える東京都の知事に望まれる資質の1つだ。もちろんアクセントのある英語だが、まったく問題ない。

28日に会見を行った細川護煕と比べると、醸しだすエネルギーは何倍もある。どの候補にもプラスとマイナスの両面があるが、舛添のプラス面を挙げるとするとこの前向きなエネルギーだ。

「もし都知事になって東京を変えることができれば、それは日本を変えることになる。そして世界も変えられる」

東京の政治・経済、社会環境が好転すれば、それが日本全体に好影響をおよぼすことは想像に難くない。だが、そのあとに「世界も」とためらいもなく言えるところに、この人の自信と楽観を見るのである。

たとえばある日の朝、築地に足を運んで「400か500もある店舗に足を運んで、私が移転問題を解決すると言ったんです」と断言する。慎重であるより大胆であれという格言をいつも携えているかのようだ。世論調査で他候補を抑えてリードしているのは、そうした点が目立つからかもしれない。

月並みな表現だが、大風呂敷を広げるだけ広げている。それも5メートル四方の風呂敷である。それが舛添要一の政治家としてのプラスでありマイナスなのかもしれない。(敬称略)

殿の登場

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国民の6割以上が反原発に賛同している中で、元首相の細川護煕は「原発ゼロ」を掲げて都知事選に参戦した。

28日午後3時、日本外国特派員協会の記者会見ではオリンピック開催や待機児童問題などにも触れたが、この人の争点はやはり原発である。

「2020年の五輪開催を目標期限として、原発を再稼働させず、それをテコとして自然エネルギーを活用して、日本経済の活力を生みだしていく」

都知事選に原発を争点にするのはいかがなものかとの批判もあるが、真っ向から否定した。

「原発ゼロによってあらたな成長を促していく。それが日本にとってベストの選択であるはず。原発は過去の産業といってもいい。ドイツでは原発を辞めて雇用が20万も増えた」

本当に日本人の価値観を問う選挙であるのか。

「今すぐゼロに決めないと、40年たっても50年たっても原発を辞めるということにはならないのではないか。トップの仕事というのは大きな方向を決めること。いまゼロにすることを決めれば、多くの企業が自然エネルギーの流れをつくる。その流れを早く作ることが大切」

私は「東京都は2013年9月現在、東京電力株のわずか1.2%しか所有していない。その中で原発ゼロにしていく具体策をとれるのか」という質問を投げた。殿の答えはこうである。

「東京都は株主としてはそれほど大きな力はないかもしれない。しかし第4位の株主だ。だから東電に対して経営計画の詳細を明らかにしてもらいたいし電力料金の透明化を計ってもらいたい。いろいろと注文をつけることはできる。東京エネルギー戦略会議というものを起ち上げようと思っている。具体的に東電に突きつけるべきいくつものテーマを投げかけて回答を求めていきたい」

これで原発ゼロにつながるのかははなはだ疑問である。

ただ穏やかな語り口は20年前の首相時と何らかわらない。殿を間近で見るのは、1994年2月にホワイトハウスでクリントンと共同会見を行った時以来である。白いモノが増え、皺も深くなった。

その時もそうだったが、鉄をも溶かすようなひたむきな思いを秘めているのか、表情からはわからない。76歳となった今、それがもっと分かりづらくなった。(敬称略)

自民党の票は伸びていない!

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17日正午、有楽町の日本外国特派員協会に現れた小沢一郎は淡々とした口調で言った。

「野党が候補を1本化すれば自民・公明に負けないと思っている。昨年末の選挙でも、自民の票は伸びていない」

この発言を負け惜しみと捉えるか、核心を突いていると解釈するかは意見がわかれる。

アベノミクスが本当に景気をよくすることができるかの答えは今秋以降にでるはずだ。年末になって、一般市民の生活レベルが下がり、経済指標が下降線を描くようであれば期待感だけで終わったということになる。

「景気をよくすることに異論はない。自由競争に反対しているわけでもない。ただ安倍さんの競争力のある大企業を大きくしていけばいいという考え方には納得できない。働く人たちのセーフティーネットを作った上での自由競争にしなくてはいけない」

この主張は小沢がかねてから繰り返していることだ。この日もその持論を展開したが、かつてのような「政界のドン」的な存在感は薄れてきている。

20年前から政権交代可能な2代政党制を目指すといいながら、自民党の対抗勢力をまとめられずにいる。民主党を抜け出て、次の政権の受け皿となる野党を形成できていない。

「日本はまだ真の民主主義国家ではない。古いものは壊さないと新しいものは生まれない」

すでに71歳。小沢に残された時間はそう長くない。(敬称略)