拉致問題の真意

北朝鮮がいよいよ核兵器開発の放棄に動き出した。核計画の申告書を中国に提出したということは、”いちおう”核廃棄の第二段階が終わったということである。”いちおう”と書いたのは、ほとんどの人が北朝鮮を心から信じていないため、本当に第二段階が終わったかは極めて疑わしいのだ。

過去何度となく欺瞞を弄してきた国家だけに、一度手にした核兵器と核開発をやすやすと放棄するとは考えにくい。ただ、アメリカ政府は今回の動きを受けて、北朝鮮をテロ支援国家指定から解除する方向だ。

日本はそれが気いらない。拉致問題はどこへ行ったのか、という。つい先日、北朝鮮は拉致問題の再調査を約束した矢先だけにアメリカの対応が気に入らない。確かにブッシュは「拉致された日本人を決してわすれない」と発言したが、テロ指定解除は日本への裏切り行為と映る。

俯瞰して北朝鮮問題をみたとき、核兵器開発と拉致の重要度は比較になっていない。核兵器は東アジア全体の安全保障問題であるが、拉致問題は日朝間の人道問題だ。こうした基本的スタンスを日本の主要メディアの記者たちはみな知っている。だが、報道できない。「拉致問題は2番目です」とは言えない。

日本政府は拉致問題の解決がないかぎり国交正常化はないという態度である。拉致被害者の家族だけでなく国民感情をも考慮すると、「拉致問題の解決なくして、、、」という路線を外せない。核廃棄の方がずっと重要という本音を報道したら非難ごうごうであり、反発は尋常ではないだろう。それが怖いのである。

ブッシュは「同盟国を見捨てない」といったが、政権は1年半前から現実路線にシフトしているため、北朝鮮のリスク軽減に力点を置いてきた。その状況下で日本は存在感のなさが際立っている。

もしもアメリカ人が一人でも北朝鮮に拉致されていれば、米軍はとっくに金正日を「拉致」していただろう。しかし強硬策を好まない、というより実行できない日本はなすすべを持たない。

先日、あるテレビ番組で東大教授の姜尚中が「外交問題と人道問題を切り離してはどうか」との発言をしていた。在日の姜は、1965年に日韓が国交正常化した例にあげた。日本はかつて朝鮮人を強制連行したが、国交正常化の交渉ではそれを切り離した。人道問題を外交問題と一緒にしては進むものも進まないとの考えだ。

アメリカのような軍事的な強制力がない日本は、こうした手法も十分に考慮すべきである。実際、国会議員の中には同じ考えの人がいるが、利権がらみと批判されている。拉致問題は本当に解決させるべき問題であり、外交問題と別枠で徹底的に突き詰めればいい。それでない限り、今後も日朝間に大きな進展は見られそうにないし、日本は六カ国協議からも置いていかれる。(敬称略)

橋下知事に必要なもの

大阪府知事の橋下が涙をみせた。それ自体に大きな意味があるとは思わないし、ヒラリーの涙落と同類であるとも思わない。

ここでの問題は橋下の改革案の見せ方にある。17日、府庁で43市町村の首長に財政削減案を示したが、いくら改革プロジェクトチームを組んでも1対43という立場で優勢な議論を展開できるわけもなく、説得もできない。

知事に当選してから、財政改革と重要政策立案の2つのプロジェクトチームを作った点は結構である。今年度予算で1100億円の金額を減らそうという心意気も買う。改革にはスピードが必要だからだ。

だが、橋下がやるべきことが2つある。最初は43人の首長との接し方だ。相手は10も20も歳が上の老練な政治家である。地元自治体への補助金が削減されて喜ぶ人間はいない。しかも、わざわざ1対43という構図で、浪花節的に涙をみせて「お願いします」でコトがうまく運ぶわけがない。

彼にプロの政治コンサルタントはついているのだろうか。政治はある意味で国民の面前で執りおこなうショーである。これからはプロの演出家をつけるべきだ。日本では首相官邸でさえ、その道のプロが勇躍しているとの話を聞かないので、橋下のもとには府庁職員がついているだけだろう。

17日、橋下は1対43ではなく、23対21になるくらいの勢力を前もっと作る必要があった。首長たちの反応をみると、17日に始めて具体的な改革案に触れたような印象だ。根回しはしたのだろうか。見せ方とアプローチのしかたが下手すぎる。

別に43人を同時に集める必要もなかった。個別に府庁に呼び出して、橋下案を支持する内外の専門家と一緒に10対1で攻め落とせば削減案を飲ませることはできたかもしれない。 

さらにプロジェクトチームが作成した財政改革案には「削減」の文字しか見えないように思える。財政削減をするにあたり、余分な脂肪を落とすことは必須だが、同時に新陳代謝を高める必要がある。それでないと引き締まった体は作れない。

すでに大統領選挙レースから退いたジュリアーニがニューヨーク市長だったとき、財政再建に成功したカギは減税だった。減税?税収が減るだろう、とお考えかもしれないが、彼は税を減らすことで消費を高め、法人のビジネスを加速させ、長期的には大幅な歳入増を実現させた。

どの国でも単年度で多額の赤字を黒にすることは無理だが、複数年府政を司る知事は首相とちがって不可能な仕事ではない。橋下は弁護士ではあっても、プロの政治家として見せ方と内外の行政手法をいろいろと学ぶべきである。(敬称略)

政治とカネ - 朝日新聞

朝晩はいくぶんか涼やかな風が吹くようになったが、日中はいまだに顔をしかめてしまいたい暑さが続いている。9月20日の朝日新聞朝刊、「私の視点」にコラムを書いたので、読んで頂ければと思います。

安倍首相の突然の辞任表明から1週間がたち、政治の話題は自民党総裁選に占有されている。だが、政権与党の国会議員による「政治とカネ」の問題が解決したわけではない。

新政権になっても、金銭絡みの閣僚らの不正が再び表面化する可能性は高い。というのも、首相官邸を含む日本の政府機関には、本当の意味での「身体検査」のシステムがないからだ。

私はジャーナリストとして米国のワシントンに25年住み、今春帰国したが、閣僚を含めた政治任用職(ポリティカル・アポインティー)の人選については、米国の徹底ぶりをまざまざと見せつけられた思いが強い。

米国の首相官邸にあたるホワイトハウスには人事局があり、長官などに空席ができると、まず多岐にわたる視点から候補者を挙げ、その全員に連邦捜査局(FBI)と内国歳入庁(IRS)が徹底的な「身体検査」を行う。通常で3カ月を費やす。

同時に、人事局は候補者との面談と書面により、家族の詳細、健康状態、21歳以後の全所得と全収入源、財産、所属機関の詳細、各種支払いの滞納の有無、新ポストに批判的な知人の有無、養育する子供がいる場合の費用延納の有無、さらに家族が大統領を否定する言動を過去に行ったことがないかなどまでをただす。まさに本格的な「身体検査」だ。日本のような会計検査院の指摘レベルではない。

このハードルをクリアした後、候補者は連邦上院司法委員会の公聴会に出席し、議員の質問にさらされる。その上で、本会議場で過半数の賛成を得て承認されなくてはいけない。米国のような海千山千の人材がひしめく環境では徹底的な「身体検査」が必要になるのだ。

89年、ブッシュ(父)政権誕生時、知日派として有名なアーミテージ元国務副長官が国務次官補に指名されたことがある。しかし、彼はイラン・コントラ事件への関与を疑われ、不適格として却下された。システムが確立していたことで公職に就く前に落とされたのだ。

92年、私がホワイトハウスの記者証を申請した時のこと。FBIは3カ月かけて私の身辺を捜査した。当時住んでいたマンションの管理人や同じ階の住人にも捜査官が聞き込みに来た。ある夜、管理人が「あんた、FBIが来たわよ」と慌てふためいていたことを思い出す。記者に対しても当然のように「身体検査」をする徹底ぶりである。

こうした厳しいプロセスを当たり前ととらえ、議員や政治任用職の人たちは普段からカネの出入りの透明性を保っている。もちろん、あらゆる分野での違法行為とは無縁でいなくてはいけない。税金で給料が支払われる公僕である以上、当然との意識である。

それに比べると、日本の議員のカネに対する「ゆるさ」はいかんともしがたい。すべての議員がそうというわけではないが、「これくらいは許される」といった甘さは正すべきだし、日本文化と開き直っている時代ではない。

米国のシステムが万能であるわけではない。日本がやみくもに米国のシステムに追随すべきでもないが、使えるものは積極的に生かし、日本流に変えて採用すべきだろう。

少なくとも首相官邸の「身体検査」はシステムとして機能していない。日本独自のプロフェッショナルな「身体検査」を早急に確立すべきである。旧態依然とした自民党的な人事はもはや過去の遺物だ。小手先だけの検査では、問題の本質的な解決にならない。

虚ろなプリンス

またしてもブログ更新が滞ってしまった。申し訳ない。

安倍辞任で、13日の朝日新聞朝刊に掲載予定だった「政治とカネ」についてのコラムが差し替えられてしまった。これでしばらく、年金と、自民党とカネの問題が忘れられてしまう。

私が日本の政治を眺めるときに通過させるフィルターは、他国の政治システムである。特にアメリカとの比較で日本の政治を少しでも客観的に浮き上がらせ、よりよき方向へ進んでもらえればと願う。

安倍の辞任は24時間たって、すでに語りつくされた感があるが、一言で述べるならば「自壊したプリンス」ということになる。テロ特措法、年金問題、閣僚の不祥事、孤立した宰相の地位、さらに内面に抱える問題もあろうが、これくらいで自身に白旗をあげていてはいけない。

日本はいま敵国から攻撃を受けた戦時下ではないし、核兵器でテロ攻撃を受けたわけでもない。安倍は自己内部で問題を肥大化させ、自身の首を絞め、いてもたってもいられなくなってしまった感が強い。

クリントンやブッシュもいくらでも危機はあった。だが、それで大統領を辞任したりはしないし、クリントンなどはそれをむしろ楽しむくらいの余裕があった。同情の声がほとんど聞かれないのは、プリンスの脆弱さを露呈させてしまったからだろう。逞しさという言葉ほど安倍と縁遠いものはない。

政治システムの上でも、宰相という職務を容易に投げ出せることにあらためて驚かされる。健康問題が1番のネックであれば、一時的に入院してもいい。政治の空白は許されないので、バトンを受け継ぐ人間がいなくてはいけないが、首相官邸に安倍を強固に支えるシステムがない。

ホワイトハウスという牙城には1000人ものブッシュをささえるスタッフがいる。独裁者をつくってはいけないが、システムとして行政府は機能する。あらためて日本の虚弱な行政府をみた思いである。

安倍辞任のニュースは国内ではもちろん大問題である。「世界各国も大きく取り上げた」と思われるだろうし、そうした報道もあった。だが、CNNの国際ニュースのランキングでは安倍辞任は12日、8位でしかない。トップはプーチンが内閣を総辞職させたニュースである。インドネシアの大地震が3位。北極海の氷が薄くなったというニュースが5位で安倍辞任よりも興味をもたれている。日本の位置はいま、このあたりである。

次期首相の顔ぶれを見ると、個人的には投票したくない政治家が並んでいる。日本にはこれくらいの人物しか首相の候補者がいないのかと思えるほどである。公選制の導入にはいろいろと問題もあるが、本当に国民から支持される首相を選出するためには、将来的に有権者の一票に期することがふさわしいだろう。

今しばらくは混沌の永田町を眺めることにする。(敬称略)

福島瑞穂の会見

「何も変わっていない」

今月2日、外国特派員協会で行われた社民党党首、福島瑞穂の会見に出席して胸に去来した思いである。21世紀になっても旧社会党の考え方をそのまま持ち続け、いまや国民にほとんど支持されていない現実を前にしても何も変わっていない。

「最新の共同通信の世論調査では、社民党の政党支持率は1.3%と低迷している。この現実をどうとらえていますか」

福島にこう訊くと彼女は言った。

「なかなか支持率が上向かないというのは事実。ただ国会内での議席数は少なくともいい仕事をしているという自負はある。参院選の選挙キャンペーンを好機ととらえて、もっと支持を確保していきたい」

参院選にむけてのスローガンは「9条と年金があぶない」。マニフェストも読んだが、数議席しか持たない社民党がそのマニフェストを実現できる可能性はなく、夢物語で終わっている。

旧社会党は労働者の味方といわれた。いまでも福島は労働法制を整えていくと口にするが、いまや共産党よりも支持率は低く、100人に1人しか支持されていない中で理想論に終わっており、寂寥感さえ漂う。

野党でも、民主党には9条改憲に前向きな議員も大勢いるが、福島はそこは譲れないという。「9条の解釈で民主党と差別化をはかる」。何があっても護憲の姿勢は変えない。

それが彼女らしさなのだろうが、現実にそぐわない青臭い政治思想を持ちつづける限り、社民党の行き先はますます狭まるだろうし、このままでは将来、党の解散に追い込まれないとも限らない。そんな思いを抱いて会場を後にした。(敬称略)