福島瑞穂の会見

「何も変わっていない」

今月2日、外国特派員協会で行われた社民党党首、福島瑞穂の会見に出席して胸に去来した思いである。21世紀になっても旧社会党の考え方をそのまま持ち続け、いまや国民にほとんど支持されていない現実を前にしても何も変わっていない。

「最新の共同通信の世論調査では、社民党の政党支持率は1.3%と低迷している。この現実をどうとらえていますか」

福島にこう訊くと彼女は言った。

「なかなか支持率が上向かないというのは事実。ただ国会内での議席数は少なくともいい仕事をしているという自負はある。参院選の選挙キャンペーンを好機ととらえて、もっと支持を確保していきたい」

参院選にむけてのスローガンは「9条と年金があぶない」。マニフェストも読んだが、数議席しか持たない社民党がそのマニフェストを実現できる可能性はなく、夢物語で終わっている。

旧社会党は労働者の味方といわれた。いまでも福島は労働法制を整えていくと口にするが、いまや共産党よりも支持率は低く、100人に1人しか支持されていない中で理想論に終わっており、寂寥感さえ漂う。

野党でも、民主党には9条改憲に前向きな議員も大勢いるが、福島はそこは譲れないという。「9条の解釈で民主党と差別化をはかる」。何があっても護憲の姿勢は変えない。

それが彼女らしさなのだろうが、現実にそぐわない青臭い政治思想を持ちつづける限り、社民党の行き先はますます狭まるだろうし、このままでは将来、党の解散に追い込まれないとも限らない。そんな思いを抱いて会場を後にした。(敬称略)

社会保障番号

社会保険庁による年金記録の不備問題が尾を引いている。

今回の問題は、10年前に基礎年金番号が導入される前を対象にしているとばかり思っていたが、問題はもっと複雑だった。年金番号が導入されたあとも、一人に2つの違う番号が与えられたケースもあるし、番号があっても支払った年金が記録されていない場合もあり、混乱を極めていた。

日本政府はアメリカにならって、1997年に基礎年金番号を導入したが使いこなせていなかった。安倍政権は今後、その番号を年金だけでなく医療や介護にも使える「社会保障番号」として一元化するアイデアを出してきた。アメリカを一気に通り越して、ITカードにするという。

こうした不祥事がないと次になかなか進めないところが日本的であるが、IT化には賛成なので慎重に、同時に早急に進めてほしい。集団的自衛権や憲法第9条の改憲も同様である。平時では遅々として改憲の道をたどらないが、有事が発生したら短期間でまとまるのが日本である。

アメリカが「社会保障番号」を導入したのは1936年のことである。最初は年金記録を管理することを目的にしたが、徐々に用途が広がった。その証拠に、最近は年金を支払わない子供たちでも、ほとんどの子が「社会保障番号」を持つ。

86年以前にはほとんどなかったが、扶養者としての記録が必要になったことによる。現在は生まれてすぐに子供の番号の申請をする親が増えた。だが番号取得は今でも義務ではない。

「社会保障番号」は今では年金や税金、医療、身分証明などさまざまな分野で使われている。私が住んでいたバージニア州では(多くの州も同じ)、運転免許証の登録番号が「社会保障番号」と同じであった。社会保障局(SSA)だけでなく国税局(IRS)や陸運局(MVO)、金融機関、学校、会社などがこの9桁の番号を使っている。

アメリカには戸籍がないので「社会保障番号」を使って政府や企業、団体が管理目的のために使用しているわけだ。国民の間ではあまりにも一般化されているため、違和感を覚える人は多くないが、番号を盗用された犯罪が起きていることも事実だ。ただ利便性の方がまさっているし、私は日本はやっとここまで来たかとさえ思う。

犯罪や個人情報保護の心配はわからなくもないが、システムの重要度は高度3万メールル上を行くといった印象だ。完璧なシステムはない。まず構築してから精度をあげていけばいい。

アメリカの社会保障局は毎年、一枚の通知を送付してくる。”アメリカ政府にしては”親切なことで、老後、私が給付される年金額を教えてくれるのだ。アメリカの場合、支払い額によって給付額が違うので、年々その額は変化している。私は50歳なので給付されるまでにずいぶんと時間があるが、一応「これだけお支払いしますよ」という納付額が記載されている。

日本の社会保険庁が「社会保障番号」を導入してIT化する時に求められるのが透明性である。どれだけのカネが入り、どう使われているのか、そしてどれだけ国民に給付するのか、納付者一人一人に通知してほしいものである。

相変わらずアメリカにかぶれた意見かもしれないが、ご参考まで。

都知事選と大統領選

現職石原に軍配が上がった。

横暴な物言いの石原対左翼崩れの浅野という二者択一の選挙だったが、戦いにならなかった。数週間前、少人数の勉強会に出席したとき、メンバーの衆議院議員が「浅野が圧勝する。賭けてもいい」と明言したが、大ハズレだった。

知事選は首相の選出方法とちがい、有権者の直接投票で決まるのでよくアメリカ大統領選と比較される。しかも東京は人口と予算規模から小国の大統領に等しい。

そうなると、わたしがライフワークとして追う大統領選の諸要因をみることでさまざまなことが見えてくる。大統領選とではカネの集まり方と選挙期間、さらにTV広告の自由さの3点で大きな違いはあるが、敗因は似てくる。それは経済である。

過去50年のアメリカ大統領選挙をみてもそうである。もちろん他の要素もあるが、好況にわく経済をバックにして、トップを引きずり降ろす国民はいない。ワシントンから東京にもどってまだ1カ月余だが、「景気は確実に上向いている」という話をいたるところで聞く。

石原がいくら公金を個人的に使途していても、既存メディアは糾弾しきれていない。しかも2月の完全失業率は4%で保たれ、町に失業者があふれているわけではない。企業業績も株価も上向きである。東京の町から火が消えたような状態であったなら浅野に軍配が上がったかもしれない。だが、そうではなかった。

さらに浅野には政治家としてのカリスマ性が無さすぎた。それは選挙直前に出版された浅野の単行本の売れ行きの悪さにも表れていた。出版担当者は「売れてない」とはっきりと言った。

大統領選の黒人候補オバマの自伝はベストセラーである。大きな違いだ。石原の再選はすでにはるか前から決まっていたのである。(敬称略)