普通の状態へ

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日本ではほとんどと言っていいほど関心が寄せられていない11月2日のアメリカ中間選挙。

上院100名のうち37名と下院の全議員(435名)が改選となる。現在は両院とも民主党が過半数の議席を確保しているが、今年の選挙では共和党が下院の過半数を奪いそうである。

中間選挙は歴史的に政権党とは違う政党が議席をのばす。過去100年をみても、中間選挙で政権党が勝ったことは1934年、1998年、2002年の3回しかない。

理由は大きく2つある。

一つはコートテール(便乗人気)理論に基づく考え方である。2年前、オバマ人気に乗じて多くの民主党議員が連邦議会で議席を獲得したが、2年たつと大統領の人気も下がり、同時に議席も失うというものだ。小泉チルドレンが後になってほとんど落選したことに似ている。 

オバマの支持率は2008年1月末、68%だったが、ギャラップ社の最新調査では45%にまで落ちている。2年たつと、有権者は「ちょっと待てよ。本当にこれでいいのか」と、我に返るのだ。

二つめは、行政府であるホワイトハウスと立法府の連邦議会が違う政党である方が政治的に健全という考え方が働くためだ。コートテール理論につながりもするが、一般市民のバランス感覚が中間選挙では特に働くため、政権党とは違う政党の支持が高まる。

現在下院では民主党が255議席を維持し、178議席の共和党を大きく引き離している。これだけの大差がありながら、今秋は民主党が39議席を失って少数党になる可能性が大きい。

歴史的な要因だけでなく、高い失業率、遠のく景気回復、財政赤字の拡大、国民皆保険への不満など、負ける要素が充満している。

ただ、ホワイトハウスと議会が違う政党である「ねじれ」は過去、いくらでもあった。その時に重要法案が成立した経緯もあるので、ワシントンが「普通の状態」に戻るとの解釈もできる。(敬称略)

大局と局所

    

by the White House        

                                         

普天間基地の移設先が名護市辺野古に落ち着きそうである。 

今さら鳩山のふがいなさと安全保障問題での意識の低さを語るつもりはない。

結果的に、アメリカ側の主張に負けたということである。最初から辺野古しかないことは、この問題を追ってきた人であればわかっていた。

相撲でいえば、鳩山は立ちあい後まず右にかわり、けたぐりを試みたが相手はまったくたじろがず、そのあと前みつをとって頭をつけて内無双を打ったがそれも効かず、最後は左四つがっぷりに組まれ、横綱(アメリカ)万全の体勢のまま寄り切られたということである。

23日に再び沖縄を訪れた鳩山は知事の仲井真に詫びをいれた。

日米で普天間基地移設に合意ができた1996年の日米特別合同委員会(SACO)からすでに14年。自民党のできないことが民主党では可能、と期待されたが無理だった。

すでにいろいろなメディアで書いたり発言しているが、普天間はいまでも「瑣末な問題」であって、本来ならば首相が出ていくような案件ではない。アメリカで言えば国務・国防両省の次官補レベルで解決すべき問題である。

ブッシュ政権時代の日米交渉担当者が以前、私にこう述べた。

「日本は一坪いくらだとか、滑走路を数メートルずらすとどうなるとか、局所的な議論に終始しがちだ。なぜもっと大局的に基地問題を捉えられないのか」

この指摘は鳩山の思考回路にも見事に適用できる。首相は日米だけでなく、東アジアの近隣諸国にも日本の安全保障政策のビジョンを示せなくていけない。

リーダーとして当然持つべき高い見識があれば、普天間の移設など自民党時代もふくめて10年前にコトが片付いていなくてはいけない。

いまでもオバマは普天間などほとんど気にかけていないはずである。何しろいまでもイラクとアフガニスタンで戦争をしているのだ。自国の兵士が死傷しているのである。それはそれでアメリカの大きな問題ではあるが、スケールの違いは歴然としている。

鳩山が沖縄を訪れて仲井真にコウベを垂れた日、オバマはニューヨーク州ウェストポイント(陸軍士官学校)に足を運び、新しい安全保障ドクトリンを近く発表すると述べた。一国の指導者として、やるべきことをやっているという印象である。

大統領や首相になる政治家は安全保障問題と経済問題だけは精通していなくてはいけない。これはMUSTである。(敬称略)

ガスマスク配布開始

タイトルだけを読まれると、何のことかと思われるだろう。

日本の大手メディアがほとんど報道していないニュースなので致し方ない。

イスラエル政府は7日から、全国民に対してガスマスクの配布を始めた。国民全員に行きわたるように800万個を用意し、2013年までに配布を終わらせるという。これはもちろんイランからの生物・化学兵器の攻撃に備えてのことである。 

実は、イスラエル政府は1月5日にガスマスクの配布を決めていた。すでにテルアビブ市民などには配っていたが、いよいよ国民全員への支給を始めたのだ。日本人からするとただ事ではないが、イスラエルでは20年前の湾岸戦争時にもあったことで、日本人ほど驚いていない。

オバマ政権が7日発表した「核体制の見直し」(全49頁)には、イランと北朝鮮への核攻撃オプションも含まれており、アメリカとその盟友がイランをジワジワと追い詰めている現実がある。ガスマスク配布というのは社会に浮上した因果関係の一つに過ぎない。

私はオバマが昨年4月に宣言した核兵器廃棄という考えを全面的に支持している。しかし、アメリカには今回の「核体制の見直し」を手ぬるいとし、核兵器の全廃に反対する者も少なくない。

ピューリッツァー賞を受賞したコラムニストのマイケル・グッドウィルはその一人だ。ニューヨーク・ポストで書いている。

「核兵器を廃棄するという考えは右寄り左寄りといった政治哲学の問題ではない。アメリカ社会の健全さを脅かす子供じみた空想にすぎない」

もちろん彼の考えは、核兵器のある強いアメリカこそが世界の平和を死守できるというものだ。けれども、オバマらしさというのは理想主義の追求であり、それをを少しずつ現実の世界へ引き入れていくところに彼の政治的価値がある。そこが失せたらオバマではなくなる。

イランに対する核兵器使用のオプションというシグナルは、イラン人にとってもイスラエル人にとっても脅威であるが、私は「核体制の見直し」の結びにあった次の言葉に思いを託す。

「2010年版の核体制見直しの特徴というのは、全世界から核兵器を全廃するという究極的な目標にむけて活動することです。そればかりか、世界中で核不拡散体制を強化し、テロリストに核兵器や核燃料を入手させない手だてを図り、国際的な安全保障体制を強化していくことです」

イスラエルのガスマスクが無用の長物でおわることを祈りたい。(敬称略)

            

日米両国が軽視してきたこと

火曜夜(16日)、アメリカ大使館主催の勉強会に招かれ、出席してきた。不定期で開かれる会合のテーマはまちまちで、アメリカの大学教授が講師として話をすすめる。

今回のテーマは「パブリック・ディプロマシー(Public Diplomacy)」。いわゆる広報外交である。日本ではあまり使われない言葉だが、オバマ政権下では「スマートパワー」という言葉に置きかえられもする。

軍事力や経済制裁といったハードパワーではなく、広報活動によって他国に影響を与える外交力である。ただ普天間問題において、パブリック・ディプロマシーはほとんど機能していない。

少なくとも大多数の国民は、日米両政府から発せられる普天間に関する広報活動に気づいていない。あったとしても、影響を受けていない。両政府は広報という点において失敗し、軽視してきた言われてもしかたがない。

勉強会の講師は言った。

「政府はプレスリリースを出すだけで満足していてはいけない。政府が何を考えているかをもっと公開し、市民参加型のフォーラムを開催すべきだ。いまからでも決して遅くない」

単に基地移設問題の収拾だけでなく、多くの国民が東アジアの安全保障という観点から積極的に基地の重要性を認めれば、移設反対の大合唱には発展していなかったかもしれない。

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二人の年頭あいさつ

オバマと鳩山はそれぞれ28日(日本時間)と29日に、国民に対して年頭のあいさつをおこなった。 

アメリカでは一般教書演説、日本では施政方針演説と呼ぶが、年頭にその年の基本政策と政治ビジョンを示すという点では同じである。

両演説とも前向きで、よく練りこまれた内容だったが、諸問題の解決策を詳述しているわけでも、目を見張るような新しいアイデアが打ち出されていたわけでもない。けれども一国のリーダーとして基本姿勢を打ち出すことは意義がある。

二人の演説で多用された言葉は、オバマの方が「ジョブ(雇用)」で、鳩山は「いのち」だった。それぞれ20回以上も連呼した。

by the White House

アメリカの失業率は現在10%で、雇用創出が重要なのはよくわかるが、鳩山の「いのち」にはあまりピンとこなかった。

「世界のいのちを守りたい」「地球のいのちを守りたい」といい、平成22年度予算を「いのちを守る予算」と名づけさえした。しかし演説の最後に述べた震災の話で、私は鳩山の言葉が紙の上だけのものにすぎないことを知った。

少し長くなるが、最後の部分を抜粋する。

<今月十七日、私は、阪神・淡路大震災の追悼式典に参列いたしました。十五年前の同じ日にこの地域を襲った地震は、尊いいのち、平穏な暮らし、美しい街並みを一瞬のうちに奪いました。
式典で、十六歳の息子さんを亡くされたお父様のお話を伺いました。

 地震で、家が倒壊し、二階に寝ていた息子が瓦礫の下敷きになった。
 積み重なった瓦礫の下から、息子の足だけが見えていて、助けてくれというように、ベッドの横板を
 とん、とん、とんと叩く音がする。
 何度も何度も助け出そうと両足を引っ張るが、瓦礫の重さに動かせない。やがて、三十分ほどすると、音が聞こえなくなり、次第に足も冷たくなっていくわが子をどうすることもできなかった。
 「ごめんな。助けてやれなかったな。痛かったやろ、苦しかったやろな。ほんまにごめんな。」
 これが現実なのか、夢なのか、時間が止まりました。身体中の涙を全部流すかのように、毎日涙し、どこにも持って行きようのない怒りに、まるで胃液が身体を溶かしていくかのような、苦しい毎日が続きました。

 息子さんが目の前で息絶えていくのを、ただ見ていることしかできない無念さや悲しみ。人の親なら、いや、人間なら、誰でも分かります。(中略)あの十五年前の、不幸な震災が、しかし、日本の「新しい公共」の出発点だったのかもしれません。
今、災害の中心地であった長田の街の一画には、地域のNPO法人の尽力で建てられた「鉄人28号」のモニュメントが、その勇姿を見せ、観光名所、集客の拠点にさえなっています。
いのちを守るための「新しい公共」は、この国だからこそ、世界に向けて、誇りを持って発信できる。私はそう確信しています。>

けれども、日本のハイチ大地震の緊急援助隊の出動は遅れに遅れた。演説の中で「自衛隊の派遣と約7000万ドルの緊急・復旧支援を表明しました」と胸をはったが、地震から10日以上もたっていた。

しかも、私はある政治家から、「実はこの動きは官邸主導ではなく『外』からのアプローチだった」と聴いた。鳩山はみずから動いていなかったのだ。しかも鳩山が当初考えていた支援金はケタが一つ少なかったという。

私は地震発生から2時間後に鳩山の動きを注視していたが、何もしなかった(参照:ハイチ大地震 )。少なくとも消防庁は、地震発生後1時間後には救助隊員をハイチに派遣する準備をし、官邸からの指示を待ったという。だが鳩山は動かなかった。

2日後に医療チームだけは派遣されたが、これは外相の岡田が動いたものである。鳩山から本気で助けようという気は感じられない。

にもかかわらず、「いのちを守るための新しい公共は、この国だからこそ世界にむけて」などとよく言えたものである。

演説原稿を自分でししためる時間がないことはわかる。けれども、本番前にこのくだりを読んで、自分で訂正しなくてはいけない。

首相としての信頼度がさらに落ちる。(敬称略)