日本はいまだに受験時の学力評価を偏差値というものに頼っている。大学入試の難易度は、模試での偏差値が基準になっており、偏差値45しか取れない受験生が偏差値65の大学に入ることはほとんど無理である。世間からはそこで「頭がいい、頭が悪い」と言われてしまうだけでなく、本人もそうした枠に自分をはめるようになる。
しかし社会にでて、偏差値の低い学校に行っていた人が創造的な仕事について大成功したり、説得力のある話術を身につけてビジネスで成功したりすることはいくらでもある。それでも多くの人は、いまだに偏差値入試での成功にお墨付きをあたえることが多い。
以前、脳科学者の茂木健一郎氏が偏差値入試の弊害を次のように語っていたことがある。
「 市川海老蔵は、僕に日本の教科書を読んだことがないと豪語しますが、ハーバード大学は歌舞伎役者として超一流の彼を合格させると思うんです。でも、日本の東大には彼は入れない 」
いまでも日本の入試を公正と考えている人は多いが、ある側面から学生の実力を測ることはできても、人間の総体を偏差値で測れないのではないかと思う。前出の茂木氏は「人間にはいろいろな尖り方がある」という表現を使って、秀逸さを形容する。海老蔵氏のように役者として尖っている人がいれば、学者として尖っている人もいる。さらに野球選手として尖っている人もいる。
違う方向に突出している人は本来比較できない。そのためには早い段階から自分の得意分野をみつけ、磨きをかけることが肝要ではないのか。