凶弾に倒れた安倍氏を国葬にすべきかどうかの議論が依然としてつづいている。
すでに政府は9月27日に国葬を執りおこなうとしており、国内外から約6400人が参列する予定だ。政府の決定事項なので、いまさら私がここで何を言ったところで物事が変わるわけではないが、国葬への考えを少しばかり述べておきたい。
端的にモノをいうと、私は国葬には反対である。安倍氏が不慮の死をとげたことは残念至極であるし、心よりお悔やみ申し上げたいが、国葬にすべきかと問われれば「ノー」である。
まず、なぜ安倍氏の国葬が浮上してきたかを考える必要がある。最大の理由は安倍氏が不慮の死を遂げたからである。銃撃されておらず、人生をまっとうする形で亡くなられた場合、安倍氏は国葬に価する人物だっただろうか。たぶんこちらの答えも「ノー」である。劇的と呼べる形で絶命したことが、国葬への道につながったと考えるのが自然である。
さらに長きに渡って首相の座にいたが、森友家計問題や桜を見る会問題など、決して手本となるような首相であったとは言い難い。何十年かたったあと、安倍氏の業績と人間性を振り返ったときに、爛然と輝くような首相であったかといえば疑わしい。
あと国葬には約2億5000万円ほどの国費がかかると言われているが、それについてはそれほど大きな違和感はない。というのも、これまでも首相が亡くなった時には内閣・自民党合同葬が行われており、国費が使われてきた。2億5000万円まではいかないが、中曽根首相の時は1億9300万円といわれており、予備費から捻出されている。
国葬というものに法的根拠がないこともあるが、曖昧なまま、突然亡くなったので国葬に、という流れでは納得がいかない。