幻想の平等主義

先日、『日本語が亡びるとき』(水村美苗)という本を読んでいると、思わず線をひきたくなる一文にでくわした。

「平等主義は、さまざまなところで、私に現実を見る眼を閉じさせた」

いきなり、こんなことを書いても「なんのことだろう」と思われるかもしれない。前後の脈絡を少し説明しなくてはいけない。

著者の水村はこの本で小林秀雄賞を受賞していて、久しぶりに出会った秀抜なエッセイである。日本文学だけでなく話はさまざまな分野におよんでいる。

その中で、水村は日本の戦後教育が民主主義という名のもとに、子どもたちに平等主義を教え込んだと書いている。古い言葉であるが、「職業に貴賤(きせん)なし」という、職業に身分の高い低いはないという考え方を教え続けたというのだ。

平等主義が悪いわけはない。理念的には正しい。職業によって偉い人やそうでない人がいるという考え方をしてはいけないことは誰もが知ることだ。

だが水村は社会的経験を積んだのち、平等主義を真に受けるような教育によって「職業に貴賤がある事実に眼を閉じさせる」と書くのだ。子どもたちに社会は平等なのだと教えることはいいが、実際の社会に真の平等はない。

まだ実現していないと書くべきかどうかは疑問の残るところで、人間が人間である以上、真の平等社会は訪れないかもしれない。不平等社会のなかで平等主義を唱えることに対する矛盾があるのだ。

水村はさらに書く。

「この世には限られた公平さしかない。善人は報われず、優れた文学も日の目を見ずに終わる」

これが現実の世界である。大人は意識的に、または無意識的に知覚しているが、それを再認識するとガクンと肩を落とすような寂寥感しかおとずれないので、私は心のなかで跳ね返すことしている。(敬称略)

弾丸スピーカー

やはり言っておくものである―。

何をかといえば、「大統領選をライフワークにしている」という主張である。それによって、どこからか私の仕事を垣間見てくれる人がいて、連絡をいただける。ありがたいことである。

放送メディアや活字メディアからの依頼だけでなく、講演の要請もある。

つい先日も新潟県長岡市の団体から講演の依頼を受けた。できるだけ依頼は断らないようにしているので、その日も(*^o^*)で出向くことにした。

講演は午後6時からだった。その日は締切原稿が1本あったので、午後2時までに終わらせて、支度をして東京駅に向かう。

先方から送られてきた新幹線の切符をみると、往復の電車がすでに指定されていた。午後3時40分発の上越新幹線「とき」である。1時間45分で長岡に着く。車内で講演用のパワーポイントの流れを2回、確認する。

長岡駅に着くと、ホームまで担当の方が迎えに来てくれていた。「長岡は山本五十六の出身地なのです」という話を聞きながら会場へ向かう。

打ち合わせもほどほどに講演会場に入ると、すでに聴きにきてくださった方が着席されていた。すぐに本番の時間がきた。

パワーポイントのスライドを替えながら、90分間しゃべり続ける。沈黙は許されない。ひたすらマシンガンのように撃ちまくる・・・そんな印象である。

大統領選について、自分で撮った写真も交えながら話をしたが、相変わらず笑いがとれない。「小さなクスッ」が2回あったか。

笑いが求められていないことは知っている。だが「ハッハッハ」が何重にも合わさった爆笑が会場いっぱいに広がる喜びもあじわってみたい。

以前、タモリがある番組でこう言っていた。

「普段、面白いことを言えない人が、スピーチで面白いことを言えるわけがない」

練り込んだ笑いと、瞬時にして得られる天性の笑いがあるだろうが、私はどちらも持ち合わせていない。

その日の私は、スピーカー(講演者)としてはまあまあだったかもしれないが、聴きにきていただいた方々を楽しませるという点では赤点だっただろう。

講演がおわると帰りの新幹線の時間が迫っていた。長岡は初めて訪れる都市だったが、何も観ず、名物料理も味わえず、また「とき」に乗って午後10時過ぎには東京にもどった。

気持ちいいくらいの弾丸スピーカー・・・しかも打ちのめされた感を携えての帰り道・・・嗚呼

オバマに望むこと

バラック・オバマが広島で17分間のスピーチを行った。当初は5分前後の所信を述べるだけと伝えられていたので、思いのほか長かった。

「・・・人類はあと戻りのできない価値を携えています。すべての人間は同じ家族の一員であるということを述べなくてはいけません。だから今日、広島の地にきたのです。・・・広島の人たちはもう戦争は望まないでしょう。戦争よりも、日々の生活をよりよくしてくれる科学に身を寄せるはずです・・・(原爆が投下された日)世界は広島で、永遠に変わったのです。広島の子供たちは今後、平和に日々を過ごすことでしょう。それこそが重要なことです。広島の子供たちだけでなく、地球上のすべての子供たちも同じように。それこそが我々が重視しなくてはいけない未来です」

演説内容はよく練り込まれた文章だった。このスピーチは間違いなく、過去7年以上、オバマの主要な演説を書き続けているスピーチライラーのベン・ローズが書いたものである。

大統領と2人で「謝罪の言葉は入れない」、それよりも「未来志向の内容にする」ということが話し合われて17分間の演説になったのだ。

ただ私にはオバマに注文がある。先月12日にブログで書いたとおり(オバマが本当にやるべきこと)、演説だけでなく、いまでも米露が所有する1万5000発以上の核兵器を削減するために、ロシアと協調しなくてはいけない。さらに真の意味での核兵器廃絶のために、核兵器所有国に働きかけないといけない。

それが残り8カ月の任期でオバマがやるべきことである。(敬称略)

obama5.28.16

誰よりも先に着席したオバマ大統領   By the White House

 

スナップショット!

obamainvietnam

By Anthony Bourdain’s Twitter

 

ベトナムのハノイを訪問中、料理人アンソニー・ボーディンとフォーとビールを堪能するオバマ。

ボーディンはアメリカでは知らない人がいない有名シェフ。『アンソニー世界を喰らう』などの番組がヒットし、どこにでも突撃していく料理人だ。

ここはボーディンのゴチ(約650円)だったという。

端麗な美

横浜の老舗ホテルで4月30日に行われた結婚式と披露宴ー。

2年ほど前にも結婚式の端麗さについて記した(人の記憶に残す)が、人の記憶に刻み込むという点で、結婚式ほど鮮烈に人のこころを打つものは少ないかもしれない。

しかも若いカップルが親族だけでなく、友人や知人たちと人生の昇華された瞬間を共有するのである。いくつものシーンが参列者のこころの襞に刻印されていく。私は数年たってもこの結婚式を鮮明に想起できるだろうと思う。

逆に言うと、日常のシーンというのは人のこころに残りにくい。結婚式前日のランチを思い出そうと思っても、すでに忘却の彼方に消えている。

結婚式を挙げないカップルも少なくないし、披露宴を挙行しなくても構わないが、人の記憶に残すという点で結婚式ほど意義深いものもないだろう。

お披露目をするということは、カップルとして新たに社会的責任を抱えることであり、人生の新しいチャプター(章)を開くことでもある。新しいチャプターに何を刻んでいくかは2人次第だが、今後の人生の気構えを公の場で示すという意味でも価値がある。

さらに今回思ったのは、結婚式に向き合う2人の真剣さが非日常的だということだ。結婚式は「カタチに過ぎない」という意見もあるが、大勢の前で人生への真剣さを示せる機会は多くない。こうした意味でも結婚式は挙げた方がいいと思う。

ただ、こうした感想を抱くのは私が年齢を積み重ねてきたからかもしれない。実は若いカップルを眺めたときに、純粋に微笑ましく、祝福したい気持ちを抱けるようになったのはそれほど遠い昔のことではないからだ。

人のこころには嫉妬や猜疑が宿る。特に同年代の未婚の男女であれば、友人や知人の結婚を素直に喜べない自分がいたりする。顔で笑いながら、こころには一抹の寂寥感や妬心が湧いたりする。

けれども今回出席した結婚式は、流麗であり端麗な美しさが光っていた。あらためて心から祝福したいと思う。

披露宴㈰

横浜のホテルニューグランドのチャペルにて