新しい英語(5)

How are you doing, chuck?

この英文の最後の「chuck(チャック)」がどういう意味だかわかる方は、かなりイマの英語をご存知のはずである。

chuckという単語は動詞としては「吐く」「投げる」の他、「追い出す」「放棄する」という意味がある。

しかし上の文章では名詞として使われている。意味は簡単、「友達」である。

冒頭の文章は「元気ですか」という意味だが、日本語では「元気ですか、友達?」とは言わないので、chuckは訳しようがない。

そこが言語のもつおもしろさである。 でも「Chuck」は覚えておいてもいいかもしれない。

それからHow are you doing? という表現はHow are you?よりも多用される。

ただ、この発音が難しい。カタカナ表記は好きではないが、記すとすれば「ハーヨ、ドゥーイン」。

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坊主事件で得をした人

AKB48の峯岸みなみの坊主あたまのニュースが世界中で話題になっている。

日本の芸能ニュースがアジアだけでなく、欧米に伝わることは稀である。それだけ坊主あたまの動画が鮮烈だったということだ。欧米では、あの姿は第二次世界大戦のナチスドイツによる強制収容所の女性たちを想起させる。

アメリカでもツイッターやブログで賛否両論が見られるが、批判的意見が主流である。いくつか興味深いコメントをご紹介したい。

「AKB48はファンタジーの世界を作りあげることに成功したのだと思う。マネジメントはそのファンタジーを維持するためにメンバーの恋愛禁止を謳っているのだろうが、実際のメンバーは現実の世界で生きているので恋愛は当たり前。恋愛禁止という規則は今の世の中には合わない」

「 AKB、、、ほとんどカルト集団にしか見えない」

「アジアのポップカルチャーがアメリカと違うことがこの問題でよくわかる。恋愛がいけない?テイラー・スウィフトがこのグループのメンバーならば、毎日あたまを剃らなくてはいけないな」

「あの坊主あたまはカワイイと思う」

「メンバーが同じユニフォームを着て歌う?モンキーズ以降、欧米では思い浮かばない」

結果的に、峯岸みなみのこの騒動でAKBのパブリシティーが倍加し、グループへの注目度がさらに高まる結末になったのは皮肉であり好機である。しかも世界的にAKBの存在をしらしめることになった。

峯岸はそこまで計算していなかっただろうが、秋元康は恋愛の規則破りを最初から見越していたはずである。20歳前後の若者に恋愛を禁ずることは、「高校3年間は絶対に寄り道をしないで帰宅すること」というような、最初から守れない不条理なルールに等しい。

少女たちも、このルールがあるならAKBのオーディションを受けないとは考えない。すべては秋元の思惑どおりで、彼の掌の上に乗せられた少女たちという思いを強くした。

この点で、坊主あたま事件でも秋元は勝利を確信したはずである。(敬称略)

自分を信じるということ

アメリカの人気TV番組に「アメリカン・アイドル」という公開オーディションがある。アメリカ版のスター誕生である。

日本でもフォックス・チャンネルで視聴可能だ。すでにシーズン12に入っており、今シーズンからマライア・キャリーが審査員に加わっている。

ひさしぶりに一次審査を観た。歌のうまい下手よりも、あらためて驚かされたのはアメリカ人の自身を信じる力である。

当ブログで何度も書いているのでくどいようで申し訳ないが、私はアメリカに25年も住んでいたので、アメリカ人の一般的な気質や文化はかなりわかっているつもりである。

だが、いまさらながら、参加者たちのほとんど根拠のない自信はどこからくるのか考えさせられた。

一次審査は4人の審査員の前でアカペラで歌う。ほとんどがダメだしを受けて敗退する。

敗れたあと、「うまくないのは最初からわかっていますから」とか「出直してきます」といったコメントはほとんど聞かれない。

「なんで私が落ちたのかわからない」「審査員はきっと疲れていたのよ」「彼らの目は節穴よね」と平然といってのける。

自分は決して悪くないという姿勢を貫く。こんなに素晴らしい歌声を持っていながらなぜ理解されないのか、という態度が主流である。

最初から音程が外れていた女性の歌に、マライア・キャリーは手を震わせながら、もう聴いていられないとばかりに席を立った。それでも歌い手は自信に満ち溢れた態度でいる。

すべての参加者がそうではない。だが実に多いのだ。

私はこの気質が手に取るように理解できる。挫けない、折れない、落ち込まない人間性がDNAに刷り込まれているかのごとくなのである。

酷評されて敗退した女性は、スタジオの外で待っていた母親のもとに駆け寄る。なぜ自分が落ちたのかわからないとまくし立てた。そして母親は娘につぶやくのである。

「あなたほど綺麗な歌声をもった人をしらない。素晴らしいのよ」

それはある意味で、親が子を慰める時の教科書のような言動だった。何が起きても子を信じ、肯定的な言葉を投げて安堵を与えるのである。

逆に、こうした親の愛を受けそこねた子は「自信」という人間がもつべき心の膨らみを抱きにくい。いや膨らみどころか、心にくぼみを宿して大人になることが多い。

この「自信」はいい解釈をすれば逞しさに通じる。だが増長すると過信になり傲慢へと変わる。

少なくともマライア・キャリーやプロの歌手が「あなたは歌手を目指すのは辞めた方がいいかもしれない」とアドバイスした後、「信じられない。彼らは疲れていたのよ」とカメラの前で断言できる精神構造は日本人はほとんどもちあわせない。