ペンタゴンのダイエット:新孤立主義

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by the White House

ペンタゴンがダイエットをする?

過去10年以上、アメリカはアフガニスタンとイラクで多くの米兵の死傷者を出してきた。戦費もかさんでいる。戦争はもうたくさんというのが多くのアメリカ人の本音だ。

ペンタゴン(国防総省)もそのあたりをよく理解しており、本国のはるかかなたでの戦争はいい加減にして、そろそろダイエットしましょうという言い方が登場している。それが「The Pentagon is on a diet」という表現だ。

オバマは大統領になる前からアフガニスタン、イラクでの戦争を終わらせると言い続け、2011月末にイラクから完全撤退した。最近またイラク国内でのテロ組織による活動が活発化しているため、イラク政府はホワイトハウスに米軍の再派兵を依頼したが、いまのところ検討していないという。

オバマ本人だけでなく、政権内部の人間もどうやら中東問題への軍事介入はできるだけ控えたいらしい。こうした姿勢を米メディアは昨秋から「新孤立主義(New Isolationism)」と呼んでいる。

オバマ版の新孤立主義は前向きな思考の結果ではなく、「他人のことはもう知らない」的な態度による悲観的で消極的な心持ちからきているようだ。

となると、過去何十年も言われていたアメリカによる「覇権」というものとは縁遠くなる。

オバマ政権の任期終了まであと3年。アメリカは小さな巨人になりつつある。(敬称略)

ブラックヒール

数日前、ある異変に気づいた。

風呂に入っている時、右足のかかとに黒いあざができている。少なくとも2カ月前にはなかったものだ。最初は何かが付着していると思い、こすってみたが落ちない。強くこすっても剥がれない。

「これはまずい」

脳裏にはすぐにメラノーマ(悪性黒色腫)という言葉が浮かぶ。足の裏やかかとは普段、注意深く見ないところである。気づかなかった。大きさは横が9ミリ、縦が6ミリ。

ネットで調べると悪いことばかりが眼について力が失せる。「気づいた時には遠くの臓器に転移している可能性が高い(50%)」、「急速に大きくなり、直径5ミリ以上になったものは要注意」、「色素斑の周囲がぎざぎざに不整になったりしている」といった特徴はすべてあてはまる。若年層でも発生するが、歳をとるにしたがって罹患率が高くなるとの指摘もある。

「これはまずい」

翌朝、すぐに皮膚科に行くことにした。それも大学病院の皮膚科に直接行くことにした。ネットで検索すると、その日の午前中に皮膚腫瘍を専門にしている医師が診察していることがわかる。

アメリカから日本に戻ってきてよかったと思うのはこういう時である。アメリカでは予約なしに皮膚科医に診てもらうことはほとんど無理である。救急病棟に行けば別だが、風邪でも腹痛でも予約をして病院にいくのが前提だ。

ましてや大学病院に紹介状もなく、朝一番で行って診てもらうことは「常識がない」と思われても仕方がない。しかも、医療保険に入っていても医療費はかなりの額を支払う覚悟が必要だ。

その日の朝、綺麗な大学病院は混んでいなかった。4人の皮膚科医が4つの部屋に別れて診察していた。自分の番号が部屋の外にある電光掲示板に示されてから入室する。

鼓動が少しだけ速まる。もしメラノーマであれば何をまずすべきだろうか。ネットでは余命1年と診断された患者さんの話もでていた。そうなった時、何がプライオリティーになるか、、、。

日に焼けた皮膚科医はいくつかの質問を繰り出してきた。私はメラノーマの可能性を口にしたが、医師は少し微笑んでいるように見えた。

「それでは診ましょう」

右足の靴下を脱ぐ。黒い患部を示す。すぐにはっきりした口調で言われた。

「アー、これは違います」

少しだけほっとする。

「赤黒いでしょう」

医師はそう言いながら、大学の研究のために写真を撮らせてほしいと述べて、2台のカメラをもってきて接写した。その写真を示しながら説明してくれた。

「これはブラックヒールです。腫瘍ではないです」

ブラックヒールとは運動などによって足裏やかかとにできる内出血である。

「最近、過激な運動をしたりしましたか」

「定期的に走ったり、泳いだりしています」

ブラックヒールという名前すら知らなかった私は、新しい事をひとつ学んで帰路についた。

紹介状がないので3100円の初診料特定療養費の他に1000円強の診療費を支払うことになったが、安い授業料だと思っている。仮に1カ月以上経っても黒いあざが消えなかった時は、またブログでお知らせいたします。

いま欲しいモノ

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by Copco

以前もこのブログで書きましたが、私はポテチが好きでいろいろな種類のものを食べています(もっとも危険な食べ物 )。

ただ封をあけて、その時に食べきることは最近では少ないので、輪ゴムで止めたり、洗濯ばさみを使ったりしています。二、三日であれば湿気るという感触はありませんが、それでもできればしっかりと閉じたい。

この商品はアメリカのCOPCOというメーカーが数年前に売り出したもの。優れものなのでぜひ欲しい、、、。

屈辱に支えられている

1週間ほどホテルにカンヅメになっていた。

このところ長いものを書いているが進み具合がよくない。朝から晩まで書き続けられる環境をつくろうと思い、カンヅメになることにした。

ずっと部屋にこもるので、海の見えるホテルの高層階で、かつ周辺に誘惑されるようなものがないという条件が望ましい。

その条件にかなったホテルがあり、部屋には仕事ができるしっかりした机もある。ワイファイも入っている。環境は整った。あとは書き続けるだけ、であった。

だが予定していた分量の半分も進まずにチェックアウトの日がきてしまった。

友人に電話すると、「そんなものではないのか」と慰めてくれたが自分の中では「失格」である。帰路、「なぜできなかったのだろう」という思いに苛まされた。

モノを書くという環境として申し分なかっただけに落胆である。以前もカンヅメになったことはあるが、その時は一応の予定原稿を書いたという記憶がある。

もやもやした気持ちを抱いたまま寝る前に少しテレビを観ていると、NHKの番組にイチローがでていて興味深いことを述べていた。

今年4000本安打を達成した彼の心を支えていたのは、人が偉業と呼ぶ結果などではなく屈辱によって支えられていたというのだ。最近の例はこんな具合だ。

4000本安打を打った10日後、先発を外されていた彼は試合後半、代打として登場する。試合はヤンキーズが大量リードで勝っている場面だ。他のレギュラーメンバーは休んでおり、スパイクさえ履いていない選手もいた。

イチローはそこで監督に代打を打診される。普通であれば、新人選手か控え選手の役割である。

「これ以上の屈辱はなかった」

彼はこうした思いによって支えられてきたというのである。4000本を打ったという事実は華やかだが、一瞬の快感でしかない。成功の裏には、何倍もの辛さや無念さがあり、それをバネにしているからこそ継続的な強さがあるのかもしれない。

とてもいい話を聞いて眠りについたが、それで原稿が進むわけでもなく、自分が動くしかないことを再認識するのである。

書くことと私

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私は書くということを生業にしている。

1990年に独立してから23年。それ以前からものは書いていのたで、原稿を書いて対価を得るという作業はもっと長い。

書くという行為が好きだと感じたのは中学に入ってからで、中学・高校の計6年間、1日も休まずに日記をつけた。なにか自慢のように聞こえるが、休まなかったのは単なる意地でしかない。

当時の日記を読み返すことはほとんどないが、その日何をしたのかを書いて「いない」のである。だから、授業中にこういうことがあったとか、放課後にちょっとした事件があったとか、家族でどういう言い争いがあったとか、そうした内容は記されていない。

その代わり、どういう心象でいたのかということを書きなぐっている。あの子はどうだとか、この友人についてはどう思うかといった内容だ。これはなかなか面白い。だが中学3年生の夏休みに、どういうことをしていたのかが述べられていない。残念である。今となってはまったく手がかりがない。

この点で、日記のていをなしていない。中学2年の一時期などは、天地真理への想いが書きなぐられている。それが連綿と続くのである。天地真理のファンクラブに入っていたので、寝ても覚めても天地真理という時期があった。完全にのぼせていた。

「真理ちゃん」の想いが醒めた後も、日記は続いた。高校卒業後も毎日ではないが書き続けている。近年はぐっとペースダウンしたが、いまだに自分だけに向けた心象の羅列が続いている。

大学時代に同人誌にエッセイを執筆し、その時の快感で今の職業を決めたといえるかもしれない。1晩で原稿用紙27枚。その時、「こんな楽しいことをしてお金がもらえるなら、、」と思った。それもすべて中高6年間の日記があったからかもしれない。

けれども、生活がかかると快感より苦痛の方が多いことは当時は予想さえできなかった。

しかし後悔はしていない。