書くことと私

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私は書くということを生業にしている。

1990年に独立してから23年。それ以前からものは書いていのたで、原稿を書いて対価を得るという作業はもっと長い。

書くという行為が好きだと感じたのは中学に入ってからで、中学・高校の計6年間、1日も休まずに日記をつけた。なにか自慢のように聞こえるが、休まなかったのは単なる意地でしかない。

当時の日記を読み返すことはほとんどないが、その日何をしたのかを書いて「いない」のである。だから、授業中にこういうことがあったとか、放課後にちょっとした事件があったとか、家族でどういう言い争いがあったとか、そうした内容は記されていない。

その代わり、どういう心象でいたのかということを書きなぐっている。あの子はどうだとか、この友人についてはどう思うかといった内容だ。これはなかなか面白い。だが中学3年生の夏休みに、どういうことをしていたのかが述べられていない。残念である。今となってはまったく手がかりがない。

この点で、日記のていをなしていない。中学2年の一時期などは、天地真理への想いが書きなぐられている。それが連綿と続くのである。天地真理のファンクラブに入っていたので、寝ても覚めても天地真理という時期があった。完全にのぼせていた。

「真理ちゃん」の想いが醒めた後も、日記は続いた。高校卒業後も毎日ではないが書き続けている。近年はぐっとペースダウンしたが、いまだに自分だけに向けた心象の羅列が続いている。

大学時代に同人誌にエッセイを執筆し、その時の快感で今の職業を決めたといえるかもしれない。1晩で原稿用紙27枚。その時、「こんな楽しいことをしてお金がもらえるなら、、」と思った。それもすべて中高6年間の日記があったからかもしれない。

けれども、生活がかかると快感より苦痛の方が多いことは当時は予想さえできなかった。

しかし後悔はしていない。