特定秘密保護法

昨晩、一つの法案が法律に変わった。

各方面から反論が強かった特定秘密保護法案が強行採決されて、法律になった。「特定秘密の保護に関する法律」というのが正式名称だ。

民主党をはじめとする多くの野党議員、学者、ジャーナリスト等を含めたおおくの方々が反対してきた。主な理由は「国民の知る権利が侵害され、取材・報道の自由も制限される」というものだ。

私もこの法律には反対である。ただ、特定秘密保護について、全面的に反対しているわけではない。今回の法案は、あまりにも広い裁量権が官僚と政治家に与えられていると同時に、条文が曖昧だから反対するのである。

そもそも、国家が他国に明かさない特定秘密を持つことは当たり前で、国家の中枢にいる人間だけが共有する情報があってしかるべきである。というより、なくてはいけない。そのため、私は頭ごなしに法律の主旨に反対しているわけではない。

特に他国と交戦状態になったとき、国家は決して公開してはいけない情報を多数抱える。対戦国に流出させてはいけない情報である。

それはメディアの人間が十分に理解しなくてはいけないモラルでもある。政府による情報公開の義務とは別問題である。

今、戦争を原体験としている知る報道関係者はほとんどいない。それは何を意味するかと言えば、戦争に突入した時、日本が国家として秘匿すべき情報の重要性を十分に認識していない人間がいるということだ。

「これは面白い」という価値観で編集をしている人間が多い中、首相官邸や自衛隊が抱えている情報が入手できた時点で「これはスクープ」として公開してしまうことが考えられる。それは戦時下であれば、致命的なキズになりかねない。

以前、ワシントン・ポストのベン・ブラッドリー編集主幹にインタビューした時、この点の重要性を指摘してきた。メディアとして、「この情報を掲載するとアメリカという国家が不利に陥る」という場合は掲載してはいけないと言った。

「たいへんに悩む問題ではあります。というのも他紙との競争がある。しかし、メディアが一つの情報を流すことで国家が危機に陥ることが読める場合は、メディアはブレーキをかけなくてはいけない」

ベトナム戦争時の編集経験から、氏は心中から絞りだすような声で語った。こうした状況下に陥った時、日本の報道関係者で国家利害を熟慮している人がどれだけいるのか。

ただ、今回強行採決された「特定秘密の保護に関する法律」の全文を読むと、曖昧な表現が多すぎる点に気づく。それは書いた官僚でさえも、特定な事象を想定できていない印象を受けるほどだ。

つまり、言葉を濁しておいて、将来起こるべきであろうことも対象になるような表現にしたということであるだ。どの法律条文にも「その他」という表現がでてくるが、同法にも多数登場する。

これはある意味でマジックワードで、拡大解釈して「その案件も含めます」「それも対象になります」ということに他ならない。

同法は第7章第26条まであるが、これまでの法律で十分にカバーできるとも思える。

たとえば「自衛隊法」の第96条の防衛機密や「日米同盟特別防衛秘密の秘密保護法」、さらに「国家公務員法」、「刑事特別法」などの解釈によって国家の特定秘密はほとんど保護できる。にもかかわらず、新法を作るというのはあらためて枠を広げる意図があるせいだ。

それはやはり「官僚のための」という印象である。今さら言うまでもないが、法律は「国民のため」でなくてはいけない。