インドから届いたスーツ

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今朝、小包がひとつ自宅に届いた。

「インドから」と書かれていたので、察しはついていた。先月、インドを旅した時、ジャイプルという都市で仕立てたサマースーツである。

ただ手元にとどいた小包は、まるで紅茶が詰め込まれているかのような約25センチ四方の堅いパッケージだった。

「ン、、、スーツ以外にも何か買って送ったか?」

いちおう紳士用スーツである。ここまで小さく、堅くしていいのか。しかも布で包んだあと、開口部を糸で縫ってある。

恐る恐る開ける。中から何重かに織り込まれてシワシワになったスーツがでてきた。やってくれるものである。

実は、ジャイプルという都市は繊維産業がさかんで、スーツだけでなくスカーフやカーペットも生産している。

ある日の昼過ぎ、スーツを仕立てた店では手際よく10カ所ほどを採寸してくれ、その日の夜に仮縫いができるとのことだった。ホテルまで試着のために出向いてくれるという。

「実は午後にプシュカルという町まで移動するのです。試着は無理ですね」

だが先方は平然と言った。

「だいじょうぶです。100キロ先までうかがいます」

翌朝、本当に若い社員がバスに乗って、わざわざ試着のためにプシュカル(時間のなくしかた )のホテルまでやってきた。部屋で試着し、少しばかりの直しを指示すると男性は笑顔で帰っていった。やってくれるものである。

いい意味でも悪い意味でも期待を裏切らない、、、インドなのである。

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ジャイプール郊外の アンベール宮殿と観光者を乗せるゾウ

もうひとつの長寿番組の終焉

タモリの「笑っていいとも」が終わったと前回のブログに書いたら(どこまでが天性なのか)、今度はアメリカの長寿番組の司会者デイビッド・レターマンが来年中に降板するという。

日本ではほとんど馴染みのない人だが、アメリカでは知らない人がいない。3大ネットワークのひとつCBSで「Late Show」という夜11時代の番組を長年つづけてきた。CBSに移る前はNBCでも同じような番組の司会を務めていたコメディアンだ。タモリと同じ1982年に番組を始めているが、「笑っていいとも」のような生番組ではない。

アメリカではその時間枠の番組構成が過去何十年も変わっていない。司会にコメディアンが起用され、番組の冒頭では毎日ジョークをいくつも繰りだす。

私は1982年に留学でアメリカに渡った時から、なるべくその時間は番組を観るようにしていた。最初はジョニー・カーソンという人を観ていたが、彼が辞めたあとはレターマンにチャンネルを合わせた。というのも、彼らの繰りだすジョークが英語の勉強に役立つと思ったからだ。 

役立つというより、どれだけ聴き取れるかが英語力のバロメーターになると考えていた。最初はまったく笑えなかった。というより、何の話題のジョークであるかさえもわからなかった。

そのうちに、「クリントンについてのジョークだな」ということはわかってきたが、最後のオチで笑えない。ジョークは構成作家やスタッフと一緒に練りこまれており、英語力だけでなく、アメリカ社会についての知識がないと笑えないことが多い。アメリカを包括的にどれだけ理解しているかを如実にしめすものでもあった。

辛いのは、周囲にアメリカ人がいるときだ。皆が笑っているのに1人だけ笑わないのは奇異にうつる。最初の頃は皆が笑ったあとに一呼吸遅れて「ヘッヘッヘ」とやっていた。実に虚しかった。

そのうちにジョークの意味がわかり、一緒に笑える時がきたが、それでもすべてのジョークで笑顔をつくれない。英語が聴きとれたとしても、話の主人公に馴染みがなかったりするからだ。

さらに笑えない時もあった。英語もオチも理解しても「ジョークとして面白いか?」という時である。日米両国には笑いのツボに微妙な違いがある。

ただレターマンとタモリに共通するところは、どんなゲストが登場してもわけ隔てなく接し、知らぬうちに視聴者を楽しませていることだ。前回も書いたが、それも天質といえるだろう。

2人が毎日つづく番組から姿を消すのはやはり寂しい。

どこまでが天性なのか

「笑っていいとも」が終わった。タモリにかなりの愛着を抱いていたので、番組が終わることに強い寂寥感を抱く。

昨晩、同番組のフィナーレとして多くのお笑い芸人やタレントが顔を揃えていた。タモリも含めて、さんまやダウンタウン、ナイティナイン、爆笑問題など現在の日本のお笑い界を代表する面々が一堂に会していた。

そこでふと思ったのは、彼らと他のお笑いタレントたちとの違いである。いわゆる芸人と呼べる人たちは何百、何千という単位でテレビに現れ、すでに去ってしまった人たちも多い。

熟考して練り上げたネタが面白いのは当たり前である。だが、彼らの強さは即興で笑いを創造できる資質にある。それを天性と呼んでいいのかはわからない。

瞬時にして視聴者に笑いを運べる言葉を切りとってくる瞬発力は天質といえるものだ。しかもテレビカメラの前でそれが発揮できなくてはいけない。

人を笑わせる言葉は、降ってくるものだと思う。それはたぶん練習や努力で獲得できるものではない。どこからか脳内にわいてくる。「瞬間芸」とさえ言える。

もちろん私にはこの能力がない。少しだけテレビにレギュラーで出ていたことがあるが、真面目なことしか言えなかった。ニュース番組なので当然かもしれないが、何も降りてこなかった。テレビには向いていないことを悟る。

けれども私の周囲に数人だけ、この天質を携えている人がいる。

「降りてきちゃうんだから、しょうがない」

絶え間のない爆笑の嵐がおきていることは言うまでもない。努力をした形跡はない。

本来ならば吉本興業か松竹芸能あたりに入るべきなのだろうが、普段は緻密さと繊細さが要求される仕事に就いている。それもまた人生である。

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「おひとりさま」のためにある

久しぶりに、本当に久しぶりに吉野屋のカウンターに座った。

JR有楽町駅のガード下に大きな店舗がある。すき焼きを食べたいと思ったので入ることにした。牛丼ではなくすき焼きである。

というのも、30年以上前、牛丼の肉をつまんで溶いた生卵につけて食べるとすき焼きの味がすることを発見した。当時、個人的には大きな発見だと思ったが、周囲の人に話をするとほとんどが知っていた。

あの味をまた経験しようと思ったのだ。

カウンターに座ると、店員がすぐに注文を取りにくる。牛丼と卵を注文すればいいのだが、他に何かオーダーすべきかを迷い、メニューをもらう。

並、大盛、特盛と書かれている。特盛でも540円だ。「アタマの大盛」というのもある。迷っている間にも、どんどんお客さんが着席し、メニューを見ずに私よりも先に注文していく。

「並にタマゴ」。それだけしか言わない。

「大盛のだくだくに味噌汁」。ほとんどが常連さんのようである。決められずに焦る。

いや、すでに牛丼と卵を注文すると決めていたので焦る必要はなかったが、メニューの品を眺めていると時間がかかる。

その中に「牛すき鍋膳」というメニューをみつける。まさしく、すき焼きそのものだった。

「それでは牛すき鍋膳の大盛をお願いします」

場違いなほど丁寧にオーダーしてしまった。「牛すきの大盛」と言えばよかったのだろうが、もう遅い。

待っている間にも来店する客があとをたたない。有楽町店はすごい人気である。しかも午後4時半という中途半端な時間である。

その日、ランチを食べていなかったので、遅いお昼兼晩御飯の前菜といった気持ちで食べることにしていた。お客さんの多くもランチを食べ逃したのか。それともおやつとしての牛丼なのだろうか。

牛すきは出てくるまでに少し時間がかかった。その間、「並」とだけ口にした人のもとに丼が運ばれていく。驚くほど速い。

壁にかけられた時計で、次に「並」を注文した人のもとに何秒で届くか計ってみた。27秒。アメリカではコーヒー1杯さえもっと時間がかかる。この迅速さは世界中のどの国も真似ができないだろう(たぶん)。

牛すきが目の前に置かれた直後、左横の席に20代前半と思われる女性が座った。トレンチコートの前を開いて座っている。メニューは見ない。

「大盛のつゆだくにけんちん汁」

周囲の人は誰も驚かない。店員も当たり前のようにオーダーをとった。私だけが「そうか、大盛いくのか、、、」と感心する。

あらためて周りを見回した。ほぼ全員が「おひとりさま」である。たまたまその時間、同僚や友人と来ていなかっただけかもしれない。だが昔から吉野屋は1人で入る店だったことを思い出した。

さらに最近は隣の女性のように「おひとりさま」の女性も増えていると聞く。その日も何人か女性がいた。

1人だからと言って、彼らは決して寂しいというわけではない。むしろ1人の時だからこそ吉野屋に入るのだ。内装に凝ったイタリアンやフレンチに1人では入りにくいが、吉野屋は「おひとりさま」のためにある。

ただ、カウンターに座っていて、なにか落ち着かないものを感じる。焦燥でも羞恥でもない微弱のためらい―。

安く、速くという要素は都会で腹を満たす上で得点は高いが、同時に慌ただしさの中で食事をしなくてはいけない自分に対するわずかばかりの嫌悪を知覚する。

だからカウンターに並ぶ客の顔に満面の笑みは見られない。それが吉野屋の悲哀である。

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