にきり醤油の魔力

知り合いの編集者は1年の3分の2ほどを旅している。

国内外で実に多くの場所を訪れている。以前、彼と取材旅行中、「日本各地を回りながら、最高の醤油を探し求めていたんですが、ついに見つかりました」とうれしそうな顔でいう。訊くと、瀬戸内海の小豆島の醤油だという。

「堀田さん、すごいですよ。冷や奴をたべますよね。醤油がメインなんです。豆腐はワキで醤油がメインになるんです」

実は、妻が小豆島出身なので自宅では「島」の醤油を使っている。小豆島の醤油といっても醸造所はたくさんあり、「タケサン」「マルキン」「ヤマロク」「ヤマヒサ」など、どれも味わい深い。

それで満足していたが、最近、やはりうまい「にきり醤油」には負けるかなあという思いが強い。

「にきり」はご存じのように江戸前鮨ではかかせない醤油である。醤油を酒やみりんと合わせて火にかけ、文字どおり「煮切って」つくるが、鮨屋によって醤油、酒、みりんの比率が違う。かつお節を入れる店もある。

しかも、ウマイ鮨屋は1軒で何種類もの「にきり」を使いわける。旬のヤリイカに合わせるものと、白身のネタ、さらに赤身(マグロ)のヅケでは濃度が違う。和食の極致をみるおもいである。

さらに先日、銀座のある鮨屋で、にぎる前に一つ一つのネタを「にきり」にくぐらせ、すぐに「にきり」を紙に吸いとらせる技法をみた。すぐに質問した。

「ネタの水分をとるんです。さらにシャリとの相性もよくなります」

鮨はネタをごはんの上に乗せて食べるだけの、世界でもかなりシンプルな料理だが、奥は底が見えないほど深い。

                    

あけましておめでとうございます

晴れやかな新年である。

日本はデフレ基調の不況下にあっても失業者が道にあふれているわけでもないし、戦時下にあるわけでもない。政府の失態を見聞きしても暴動に発展するわけでもない。

比較の対象が極端かもしれないが、日本人は大げさに騒がないところに美意識を見出しているように思う。取り乱していてはいけないというブレーキがどこかで働いている。それが行動の委縮にまで行きついているようにも思える。

それは本当の意味での「和」とはちがう。消極的なコトなかれ主義による、なにも起こらない現象なのだろう。

たしかに暴動など起こさない方がいいし、戦争もないにこしたことはない。だが、国外からの挑発などで有事があったとき、今の日本はどうなるのだろう。戦意も失せたままだろうか。

東アジアの国際関係をながめると、本気で日本に攻撃をしかける国家はみあたらないが、朝鮮半島や台湾海峡での限定的な有事は可能性がある。さらに国際テロ組織による日本への攻撃がないこともない。

備える、という基本的な考えや議論も失せているので、普天間の移設という安全保障問題でも末梢部分のところで時間とエネルギーがとられている。

平和だと思えるときにこそ、安全保障問題を真剣に考えるべきである。

      

フロスとゴミ袋

毎日、日本だけでなく世界の出来事に目をくばっている、つもりである。

その中で多大の関心は、やはり人生のほぼ半分を過ごしたアメリカに向く。日々のニュースだけでなく、絶え間のない日米比較が頭のなかをかけめぐる。

日本能率協会の月刊誌で「上陸するアメリカ・しないアメリカ」というテーマで連載をしている。そこではアメリカの諸事情について、これから「日本にやってくるモノとそうでないモノ」という分類で論考を加えている。

                                                                  

たとえば司法取引。

これはアメリカの刑事事件では当たり前のことで、ほぼ9割の犯罪が検察と容疑者のあいだでとりかわされる取引によってカタがついている。コンビニから雑誌を盗んだというささいな窃盗罪から、数百億円の被害がでた産業価格カルテルまで、司法取引なしにアメリカの刑事事件は収拾しない。

けれども日本の司法界には違う論理が流れており、アメリカのような司法取引は原則として行われていない。そこには真実の追求を大切にする日本らしい文化があるためだ。今後、アメリカ流の司法取引が上陸する可能性は低いだろう。

そのほかにも日常生活レベルで「これは日本の企業につくってほしい」とか、「これは日本社会には合わない」というものが山ほどある。

すでに上陸したものではデンタルフロスがある。日本での歴史は浅く、いまだにフロスをしない人も大勢いるが、アメリカではすでに100年以上の歴史がある。日用品大手のジョンソン&ジョンソンがフロスの特許を取得したのは1898年のことで、日本には100年近くたってから出回りはじめた。

私がいま、ぜひ企業に作ってもらいたいのはアメリカで使われているゴミ袋である。日本のコンビニやスーパーで売られている30リットルや45リットルの袋は、1枚を取り出そうとする時にほぼ例外なくスムーズにでない。

さらに硬いものを入れると袋の横がさけやすいし、ゴミを目いっぱい入れてしまうと縛りにくい。けれどもアメリカの袋は指摘したすべての問題を解消している。

まず袋はティッシュ箱のようになっているので、すぐに1枚を抜きとれる。さらに材質が強いものが多い。そしてゴミ袋の開いた部分にヒモがついているものが多いので、簡単にしっかりと縛れる。

精巧なモノを作ってきた日本がどうしてこの分野でアメリカ製品に遅れているのか、理解できない。企業人が気づいていないだけなのか。早い者がちという気もする。

どなたかに、ぜひ作っていただきたいと思うことしきりである。

妥協したくないもの

誰しもがいくつかのこだわりをもっているかと思う。自分の流儀というものだ。

そこまで大げさでなくても、飛行機に乗るなら日航ではなくANAにしているとか、シャンプーであれば資生堂ではなくロクシタンに決めているといったものだ。私はどちらでもいい。

食べものについても多くの人がこだわりを持つ。こだわりというより「自分の好きなモノ」と書いたほうがいいかもしれない。論理的なことにとらわれず、好き嫌いで決められるのでスッキリする。

私は食べ物にたいへん興味があるので、日本にいても外国に行ってもできるだけいろいろなものを食べるようにしている。ただひとつだけ、妥協しないモノがある。

鮨である。

そのほかの食べ物はファーストフードでも屋台でも、その場に応じてなんでも食べるが、鮨だけはおいしい店にしかいかないことにしている。たまに例外はあるが、、、、。

おいしいという言葉はひじょうにあいまいだが、自分の中の基準を満たす店だけということである。これは自分で決めている「ちょっとした贅沢」である。

だから回転ずしにはいかない。お腹がへっていて目の前に回転ずししかないような時でも、いや、そういう時だからこそ回転ずしには入らない。それならコンビニに入っておにぎりを食べる。

接待で鮨屋にいくこともあるが、気分的においしさが半減すると同時に満足度も下がるので、自分でいく。日本全国にどれくらい鮨屋があるか知らないが、私の基準の「ウマーイ!」水域に入ってくるのは30店前後しかないだろうと思う。

もちろんそうした店にネタケースはない。ネタケースは冷蔵庫なので、そこからネタを出してすぐ握っている鮨屋は水域外である。「ウマーイ!」鮨屋は自分のためにシャリを用意してくれ、さらに途中でシャリを差し替える。

会席もすばらしいが、鮨も繊細かつ精緻で、透き通るように美しい食べ物である。それだけにこちらもこだわざるを得ない。

満足のいくまで食べると少々値が張るが、鮨屋にいった時だけは伝票を気にしないようにしている。

最後に、最近気に入っている鮨屋をご紹介しておく。

鰤門(しもん)。銀座5丁目。

      

箱根の湯

          

      

中学時代の友人たちと箱根の温泉につかりに行っていた。あいにくずっと空から冷たいものが落ちていて、富士山どころか箱根の外輪山の山頂さえもみえない。雨霧が谷間までおりてきて、あたりをしっとりと包み込む。

今回の幹事役のS君が訊いてきた。

「アメリカにも温泉はあるの」

「たくさんあるよ。でも日本と違ってみんな水着で入るし、ぬるいなあ」

自宅にもどってから、あらためてアメリカの温泉事情(ホット・スプリング)を少し調べてみた。個人的にはカリフォルニアとバージニア、ウェストバージニアの温泉しかいったことがなかったが、驚くことに全米海洋大気局(NOAA)の調査によると、アメリカには1661ヵ所も温泉があった。

日本では湧水の温度が25度以上であれば温泉と名乗れる温泉法があるが、アメリカには確立された温泉の定義はない。ただNOAAでは水温が20度以上50度以下を「ぬる湯(ウォームスプリング)」と定めている。

それにしても、調べてみるものである。1661ヵ所という数字は、それだけで雑誌・書籍担当の編集者が「特集を組みましょう」「本を作りましょう」といい出しそうなインパクトがある。

ただ情緒のある日本の温泉宿は食事にしても浴室にしても、アメリカには太刀打ちできないレベルにまで昇華されているので、いくらアメリカが進歩的なことが好きであっても日本の温泉の伝統は真似できない。

日本からアメリカの秘湯を訪れても、たぶんガッカリさせられるだけである。