So long, Bush!

8年間は実に長かった。

本来であれば大統領になるべき人物ではなかっただろうが、ブッシュ家の長男ということで共和党保守からの期待は大きく、2000年の選挙戦では資金が集まった。そして大統領に「当選してしまった」という表現が適切と思えるほど、アメリカという大国のリーダーには不釣合いな男だった。

最初から無理があった。

テキサス州知事時代、カレン・ヒューズというブッシュの右腕といわれた広報担当官から直接、ある話を聞いた。90年代後半、ブッシュの名前が共和党の大統領候補リストのトップに挙げられたとき、ブッシュは「なんだって!」と驚嘆したという。本人にも予想外のことだった。

父親が大統領で、二代目も大統領になるという慣習はアメリカにはない。ブッシュも自分が大統領になるという鉄をも溶かすほどの強い願望はなかった。けれども、大きな州の知事になると、次期大統領選挙の候補に必然と名前があがってくる。ブッシュは本来そこでとどまっていればよかった。

しかし2000年選挙では総得票数でゴアに負けていながら、選挙人数で勝ったために43代目の大統領に就任する。ここからがつまづきの連続だった。

9.11の同時多発テロを未然に防ぐことは難しかっただろうが、アフガニスタンへの侵攻からイラク戦争へ突入していく過程で、ブッシュはいくつもの判断ミスを犯す。今だから言えることではない。イラクに大量破壊兵器があったとしても、それによってアメリカ本土が被害を受ける確率はたいへん低かった。

イスラエルへの憂慮はあったが、それだけでイラクという国を壊滅させてしまう国際法的正当性は誰も持ちあわせていない。石油利権という理由は説得力がない。アメリカの軍事力をもってすれば、途上国など3日で滅んでしまう。

あるパーティで知り合ったアフリカの駐米大使は「国を建て直すには10年の歳月が必要」と言った。バクダッドが陥落してから今春で6年目を迎える。

アフガニスタンでのテロとの戦いもいまだに決着がついていない。オサマ・ビンラディンがどこに潜伏しているのかもわからず、アメリカの諜報機関の情報収集能力の限界をみた。

中東和平も実現できなかった。パレスチナ人とイスラエルとの抗争は感情レベルでの憎しみが強いだけに多難を極める。しかし、エジプトとヨルダンはすでにイスラエルと和平を実現しており、不可能ではないと思っている。オバマが積極的に関与し、地域に恒久平和をもたらせたらノーベル平和賞だろう。

ブッシュの経済面での汚点は詳述するまでもないだろう。クリントンがパパブッシュの25兆円規模の財政赤字を20兆円超の財政黒字に転嫁させたにもかかわらず、息子がまた大赤字にして09年度末には100兆円レベルに達する見込みだ。

金融バブルの崩壊について、ブッシュは「経済チームのアドバイスに従っただけ」と言って逃げたが、最終責任を国のトップがとらなくて誰が責務を果たすのか。

ただブッシュはお茶目で、ジョーク好きの明るい男である。硬派な話をせず、世間話だけであれば皆「いいやつ」と評する。ビールにたとえれば、ハイネケンではなくミラーライトの親しみやすさなのだ。

ホワイトハウスにいるスタッフにしろ、国務省や財務省にいる高官はアメリカのエリートである。それだからといって国は好転しない。過去8年で、国家の指導者の資質とリーダーシップがいかに重要であるかを改めて教えられた。

ブッシュへの失望が大きかっただけにオバマへの期待は大きい。

「So long, Bush!」(敬称略)

新しい北米同盟

大手メディアが扱わないニュースは数多い。

日本のTVや新聞は官庁からの情報のたれ流しを止めないし、報道内容も画一的なのでどのメディアをみても同じようなニュースばかりだ。雑誌が独自の視点から報道を続けてはいるが、やはり今もっとも勢いのあるのはインターネットである。ただ玉石混交なので、何が本当なのかは自身で判断しなくてはいけない。

数ヶ月前、北米3国(アメリカ、カナダ、メキシコ)の新しい動きを知った。主要メディアではなくインターネットでの情報だった。私の勉強不足かもしれないが、少なくとも大手メディアでは大きな扱いをしていない内容である。

3国が新しい同盟関係を築くというニュースだった。北米3国の同盟といえば、すぐに北米自由貿易協定(NAFTA)が思い浮かぶが、それとは別に「北米の安全と繁栄のパートナーシップ(SPP)」という枠組みを立ち上げたという。

しかも2005年3月に、すでにテキサス州でブッシュとメキシコ大統領フォックス、カナダ首相ポール・マーティンの3首脳がSPPの第1回サミットを開いていた。NAFTAは関税の撤廃が最終ゴールだったが、SPPは北米版の欧州連合(EU)を目指していて、経済的な連携強化だけでなく安全保障やエネルギー資源での共有を掲げている。

ホワイトハウスのホームページにもSPPの記述があるし、一見、何の問題もないように見えるが、実はカナダが実質的にアメリカの内部に取り込まれることになると警鐘を鳴らす学者や政治家がずいぶんといる。

ハーバード大学で政治学博士号を取得し、現在はキレのあるニュース解説記事や書籍を記しているジェローム・コーシィは、SPPが本格始動すればカナダはアメリカのエネルギー資源の植民地(特に天然ガス)になると書いている。日本がアメリカの植民地であるといわれ続けているが、隣国だけに状況は日本よりも深刻だ。

ただ、これまでカナダはアメリカと運命共同体と呼べる距離にいながら、独自性を維持しつづけてきた。カナダらしさというのはアメリカと距離を置くことでさえあったが、SPPが本格始動したら、それが揺らぐ。

カナダとの政治・経済面での国境が今まで以上に「低く」なり、アメリカに利用されやすくなる。3国は共通通貨「アメロ(AMERO)」に移行する可能性さえあるという。このアメロについてはCNNでも報道があったが、今のところドルが消える可能性は低いし、米財務省も否定している。

ただコーシィは7月、SPPを問題視した著書「後発の偉大なアメリカ:メキシコとカナダとの融合(仮訳)」を出版し、3国の国民だけでなく世界中でSPPの事実がもっと公表されるべきだと主張している。

というのも、SPPは議会の承認も得ないまま、3国政府役人と大手企業の役員によってほとんど秘密裏に同盟が進められ、いつの間にかカナダもアメリカも一緒になっていたということになりかねないからだ。私は陰謀論をほとんど信じないが、SPPでは相互の利害が凝縮されていることに間違いない。

SPPの第3回目のサミットが8月20日からケベック州で開催される。3国の行政府はもちろんイケイケムードであるが、新しい3国同盟の真意と動向に注目しなくてはいけない。(敬称略)

トップに立つ女性

フランス大統領選の決選投票でサルコジに負けたロワイヤル。敗れた理由は雇用や失業、移民といった国内問題でサルコジほど具体的な政策を提示できなかったためといわれるが、ヒトコトで言えば社会党が与党を打ち負かせなかったと解釈すべきである。

もちろん「女性だったから」という敗因はない。もはやそんな時代ではない。1960年、スリランカで世界初の女性首相バンダラナイケが誕生して以来、半世紀の間に実に多くの女性トップが現われた。

インドのインディラ・ガンジー、パキスタンのブット、アイスランドのフィンボガドッテル、インドネシアのメガワティ、イギリスのサッチャー、ドイツのメルケル、フィリピンのアキノとアロヨなど、数多くの首相・大統領が生まれた。

「女性が世界をリードすれば戦争は起きない」と言われるが、サッチャーはフォークランド戦争で強硬策をとっており、その俗説は見事に覆された。そのため女性がトップだからという理由で、実務面で大きく政治のあり方が変わるということは少ない。

ヒラリーがアメリカの最初の女性大統領になるかどうかは、現段階では45%という数字を出しておく。それほど厳しい。この数字は私の直感だけれども、いくつかの要因を考慮して導き出したものだ。

昨年から、アメリカの各種世論調査で、共和党ジュリアーニとヒラリーの一騎打ちになった時、ヒラリーは数%差で負けるという結果がでている。今度、ヒラリーに流れがくればジュリアーニとの戦いで勝つ可能性もあるが、接戦であると読む。

彼女にとっての最大のネックは中西部と南部に住むキリスト教保守派である。かなり嫌われている。それも彼らから「イヤな女だ」という発言を何度も聴いている。

いくらブッシュの支持率が28%にまで低下し、共和党の人間の中から「次の選挙では民主党候補に投票する」との声が出ていても、ヒラリーには圧倒的な勝利が約束されていない。この体たらくはいったい何なのだろうか。

すでに全米、いや全世界レベルで顔の売れたヒラリーが新たな票田を開拓していくという可能性は低い。さらにジュリアーニという人物もよく知られている。となると、今日、大統領選の投票を行っても1年半後に行っても結果はそう違わないのではないか。

ヒラリーに代わってオバマがくることもあろう。彼の急進性とカリスマ性は今後1年半で化ける可能性がある。

またしてもアメリカは女性のトップを選べないのかもしれない。(敬称略)

文明の衝突

ワシントンから東京に戻ってそろそろ2カ月がたとうとしている。

25年間のアメリカ生活がわたしの細胞の隅々にまで沁みこんでいる気がするので、そう簡単に東京の住環境には慣れない。一昔前、商社の人たちがよく口にしたのは、「海外に1年いると元に戻るまでに1カ月かかる」ということだ。5年だと5カ月。25年だと約2年半だろうか。

しかし、自分のなかの何かが四半世紀の間に確実にアメリカ化したので、元の日本人には戻れないと思っている。ある意味で、日本では仲間はずれにされるタイプの人間として舞い戻ったような気がする。

突然だが、話をサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」に移したい。わたしの経験が「文明の衝突」に直接関係あるわけではない。今週、アメリカの論壇界で「文明の衝突」に関連するコラムが話題になったからである。

ハンチントンの「文明の衝突」が発表されたのは1993年のことである。ハーバード大学の教授は、21世紀はそれまでの国家間の対立に代わって民族や宗教が要因となって世界各地で衝突が起こると説いた。国家という枠組みが崩れるという内容である。

論文が発表されたあと、世界中で賛否両論が巻き起こった。それは現在も続いている。ニューヨーク・タイムズのコラムニストであるデイビッド・ブルックスは今週、「物語としての戦争」という題のコラムで、現在の中東紛争は「文明の衝突」ではなく、「文明の裂け目」のせいで起きていると説いた。

違う民族は本質的にコミュニケーションがとれず、共通の目標ももてず、物語を一緒に語れないという論点である。ところが中東の政治学者などから、その考え方は違うとの反発が起きている。

違う民族や宗教であっても十分にコミュニケーションはとれているし、近代国家として共通の目標をもっているというのだ。むしろブルックスのような否定的な態度こそが事態を悪化させていると反論した。

両者のどちらかが論争に勝利したところで、現在のイラク戦争やイスラエルを軸にした中東紛争が解決するわけではない。唯一いえることは、アメリカの中東政策の破綻によって「文明の衝突」がいま加速しているということだ。

何ごとにも突出しがちなアメリカの性向を日本に持ち込んでいるわたしは、周囲と混迷を深めることだけは避けようと思う。(敬称略)