日米両国が軽視してきたこと

火曜夜(16日)、アメリカ大使館主催の勉強会に招かれ、出席してきた。不定期で開かれる会合のテーマはまちまちで、アメリカの大学教授が講師として話をすすめる。

今回のテーマは「パブリック・ディプロマシー(Public Diplomacy)」。いわゆる広報外交である。日本ではあまり使われない言葉だが、オバマ政権下では「スマートパワー」という言葉に置きかえられもする。

軍事力や経済制裁といったハードパワーではなく、広報活動によって他国に影響を与える外交力である。ただ普天間問題において、パブリック・ディプロマシーはほとんど機能していない。

少なくとも大多数の国民は、日米両政府から発せられる普天間に関する広報活動に気づいていない。あったとしても、影響を受けていない。両政府は広報という点において失敗し、軽視してきた言われてもしかたがない。

勉強会の講師は言った。

「政府はプレスリリースを出すだけで満足していてはいけない。政府が何を考えているかをもっと公開し、市民参加型のフォーラムを開催すべきだ。いまからでも決して遅くない」

単に基地移設問題の収拾だけでなく、多くの国民が東アジアの安全保障という観点から積極的に基地の重要性を認めれば、移設反対の大合唱には発展していなかったかもしれない。

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二人の年頭あいさつ

オバマと鳩山はそれぞれ28日(日本時間)と29日に、国民に対して年頭のあいさつをおこなった。 

アメリカでは一般教書演説、日本では施政方針演説と呼ぶが、年頭にその年の基本政策と政治ビジョンを示すという点では同じである。

両演説とも前向きで、よく練りこまれた内容だったが、諸問題の解決策を詳述しているわけでも、目を見張るような新しいアイデアが打ち出されていたわけでもない。けれども一国のリーダーとして基本姿勢を打ち出すことは意義がある。

二人の演説で多用された言葉は、オバマの方が「ジョブ(雇用)」で、鳩山は「いのち」だった。それぞれ20回以上も連呼した。

by the White House

アメリカの失業率は現在10%で、雇用創出が重要なのはよくわかるが、鳩山の「いのち」にはあまりピンとこなかった。

「世界のいのちを守りたい」「地球のいのちを守りたい」といい、平成22年度予算を「いのちを守る予算」と名づけさえした。しかし演説の最後に述べた震災の話で、私は鳩山の言葉が紙の上だけのものにすぎないことを知った。

少し長くなるが、最後の部分を抜粋する。

<今月十七日、私は、阪神・淡路大震災の追悼式典に参列いたしました。十五年前の同じ日にこの地域を襲った地震は、尊いいのち、平穏な暮らし、美しい街並みを一瞬のうちに奪いました。
式典で、十六歳の息子さんを亡くされたお父様のお話を伺いました。

 地震で、家が倒壊し、二階に寝ていた息子が瓦礫の下敷きになった。
 積み重なった瓦礫の下から、息子の足だけが見えていて、助けてくれというように、ベッドの横板を
 とん、とん、とんと叩く音がする。
 何度も何度も助け出そうと両足を引っ張るが、瓦礫の重さに動かせない。やがて、三十分ほどすると、音が聞こえなくなり、次第に足も冷たくなっていくわが子をどうすることもできなかった。
 「ごめんな。助けてやれなかったな。痛かったやろ、苦しかったやろな。ほんまにごめんな。」
 これが現実なのか、夢なのか、時間が止まりました。身体中の涙を全部流すかのように、毎日涙し、どこにも持って行きようのない怒りに、まるで胃液が身体を溶かしていくかのような、苦しい毎日が続きました。

 息子さんが目の前で息絶えていくのを、ただ見ていることしかできない無念さや悲しみ。人の親なら、いや、人間なら、誰でも分かります。(中略)あの十五年前の、不幸な震災が、しかし、日本の「新しい公共」の出発点だったのかもしれません。
今、災害の中心地であった長田の街の一画には、地域のNPO法人の尽力で建てられた「鉄人28号」のモニュメントが、その勇姿を見せ、観光名所、集客の拠点にさえなっています。
いのちを守るための「新しい公共」は、この国だからこそ、世界に向けて、誇りを持って発信できる。私はそう確信しています。>

けれども、日本のハイチ大地震の緊急援助隊の出動は遅れに遅れた。演説の中で「自衛隊の派遣と約7000万ドルの緊急・復旧支援を表明しました」と胸をはったが、地震から10日以上もたっていた。

しかも、私はある政治家から、「実はこの動きは官邸主導ではなく『外』からのアプローチだった」と聴いた。鳩山はみずから動いていなかったのだ。しかも鳩山が当初考えていた支援金はケタが一つ少なかったという。

私は地震発生から2時間後に鳩山の動きを注視していたが、何もしなかった(参照:ハイチ大地震 )。少なくとも消防庁は、地震発生後1時間後には救助隊員をハイチに派遣する準備をし、官邸からの指示を待ったという。だが鳩山は動かなかった。

2日後に医療チームだけは派遣されたが、これは外相の岡田が動いたものである。鳩山から本気で助けようという気は感じられない。

にもかかわらず、「いのちを守るための新しい公共は、この国だからこそ世界にむけて」などとよく言えたものである。

演説原稿を自分でししためる時間がないことはわかる。けれども、本番前にこのくだりを読んで、自分で訂正しなくてはいけない。

首相としての信頼度がさらに落ちる。(敬称略)

オバマあらわる

14日は朝から小雨が落ちていた。

東京港区のサントリーホールでオバマの講演が午前10時からあり、アメリカ大使館から招待状を受けていたので出かけてきた。

感想、、、やや落胆。

午前10時からの講演で、午前8時までに会場に着くようにという要請だった。これは「セキュリティー・スイープ」という警備に時間がかかるからで、大統領が講演をするときにはアメリカでは慣例になっている。

まず会場を空にして、爆発物などが仕掛けられていないかをチェックし、そこから一人ずつ金属探知器をくぐらせて入場させる手法だ。そのために多大な時間がかかる。それは仕方がない。

驚いたのは、サントリーホールの1階のうしろ半分に人があまり座っていなかったことだ。大ホールは約2000席あり、比較的ガラーンとした部分は500席ほど。そのあたりには4分の1しか人が入っていない。オバマ本人もたぶん驚いただろう。

オバマの講演で会場が満席にならないことは皆無にちかい。来日の日程が急きょ変更になったこともあるが、仕切りが悪すぎた。ホワイトハウスが仕切っていたら、空席が一つでもあると間違いなく誰かを座らせる。

さらに講演内容が多岐におよんでいたため、散漫になってしまった。日本の新聞はかなり良心的で大きな扱いをしていたが、目を見張るポイントは少なかった。

私の期待が大き過ぎたのかもしれない。プラハの核兵器廃絶やカイロでの中東和平と同じレベルで、東アジアの外交目標が聴けると思っていたからだ。たとえば「朝鮮半島を必ず非核化する」とか、中国、ロシア、北朝鮮へのけん制も含めて「東アジアでは絶対に有事は起こさせない」という宣言を期待した。

しかしオバマが口にしたのは、アメリカも太平洋国家であり、これからはアジアにおける多国間の枠組みに関与していくという想定内の内容だった。それは東アジアではアフガニスタンや中東のような深刻な問題がないことを意味してもいるが、本当にオバマが今後アジアへの関与を地球の他地域と同じように積極的にすすめていくかどうかはわからない。

たぶん今のオバマの心中の半分ほどは、アフガニスタンへ米兵を増派するかどうかで占められているはずだ。日本のことは残念ながら、中国の半分くらいの割合でしかないだろう。(敬称略)

             by the Whie House

オバマ初来日

                by the White House

オバマが13日夜に初来日する。シンガポールのAPEC(アジア・太平洋経済協力会議)に出席するため、まず東京に立ち寄る。ビル・クリントンが98年、日本に寄らずに中国に行ったことから「ジャパン・パッシング(日本通過)」といわれて日本国内で騒がれたことをアメリカは忘れていない。

APECがなければ、今オバマが日本に来なければいけない理由はないが、来年で日米安保改定50周年を迎えることもあり、「安保再生」という意味合いで両国が同盟関係の再確認をすることには意味がある。けれども、両国首脳が顔を合わせると、いつも「日米同盟の重要性を確認した」と報道されるだけで、新しい安保の形にまではいたらない。

それは相変わらず日本が、アメリカの対応を気にした「こて先外交」に終始しているからにほかならない。

アフガニスタンの復興支援に5年で50億ドルをだすが、鳩山は先週「自衛隊をアフガニスタンの復興支援に派遣する発想を持ちあわせていない」と発言し、相変わらず「小切手外交」も繰り返している。

その背後には「アメリカを喜ばすため」という意識が見え隠れする。外交儀礼はどの国にもあるが、アメリカをことさら喜ばすために自国の意にそぐわないことをすべきではない。アメリカを恐れることはない。

アフガニスタンで本気の支援をしたいのなら、カネではなく人とモノを送り込んで現地政府と密接な連携を強化していくしかない。そのためにも、鳩山政権は日米安保を基礎にした、明確な日本の安全保障戦略を打ち出すべきである。いや、それこそが両国にとって、また東アジア地域、さらに地球全体にとって良策になるのである。

かりに自衛隊を送りたくないのなら、米軍のアフガニスタンからの撤退を促すと同時に、対テロ対策の別次元での対応策をうちださなくてはいけない。

鳩山が真剣に「日米の対等な関係」を望むのであれば、積極的に国際的な役割を果たさざるを得なくなる。いやそうしなくてはいけない。だが現状をみるかぎり、その可能性は低く、外交については昔のままの日本である。(敬称略)

「方針」という安全保障

民主党政権が誕生しても、「相変わらずだなあ」と思うのが日本の安全保障問題への姿勢である。

党内にはこれまでも安全保障問題に取り組んできた議員はいるが、党本部や国際局が外交政策や安全保障政策を国家戦略という立場から立案してきた経験がないので、あたふたとしたまま時間だけが過ぎている。こうした態度は自民党も同じだった。

なにより外務省に安全保障戦略の大局的なビジョンがないので、民主党が政権をとっても大きな変化はない。外務省の人間にこういう話をすると「そんなことはない」というが、大枠では日本は戦略をもたないと断言してもいい。 アメリカの態度を見ながら「方針」を決めてきただけである。

最近の普天間基地の移設問題が好例である。沖縄に住む人たちにしてみると移設は大きな問題だが、一国の安全保障問題の中の一案件であって、外相の岡田からも鳩山からも東アジアの安全保障の枠組みの中でどうしなくてはいけないという発言はきかれない。「方針」という言葉をつかっている。

これは日本が自分たちの安全保障戦略を敷いていない証拠である。それでなければ移設問題でこれだけの時間とエネルギーを費やすことはない。メディアの中にも戦略という概念を本当に理解し、そこから報道している記者はほとんどいないだろう。

それでなければ「普天間、普天間」と騒いだりはしない。というのも、それより大きな問題があるからだ。

インド洋上での給油問題にしても、継続するかしないかといった些末な議論ではなく、戦略としてアフガニスタンでの対テロ活動に法律の枠内で積極的に加担していくか、さもなければオバマ政権に米軍のすみやかなアフガン撤退を国際活動として進めていくかのどちらかの行動を起こすという自然な流れがある。

だが、相変わらずアメリカの顔色をうかがいながら「どうしようかなあ」という態度でいるのがいまの民主党である。

      

                                              by the Pentagon

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