ゴーンは本当に罪を犯したのか

fccj1.8.19

日本外国特派員協会の会見室は9日午後3時、記者で埋まった。

「最高記録に近いですね。なにしろテレビカメラ34台ですから」と特派員協会の人がつぶやいた。記者数は約230人。

主役であるはずのカルロス・ゴーンがいないにもかかわらず、この混雑である。それほどカルロス・ゴーン事件は世界を巻き込んでいる。

この日、弁護士の大鶴基成は沈着冷静で、理路整然とした論理展開をしたことにより、国内外の記者たちの中には「ゴーンは無実かもしれない」という思いを強くした者もいただろう。

だが金融商品取引法違反容疑と特別背任容疑により、ゴーンはたぶん11日に起訴される。断定はできないが、起訴される可能性が高くなっている。大鶴もそう推察している。なにしろ東京地検特捜部長を務めた人物である。今後ゴーンがどうなるのかを最も読める人だ。

ただ検察側と弁護側の両方を知り尽くした人物であっても、検察が握っているすべての証拠を大鶴が了承しているわけではない。本人も会見でその点を強調していた。さらに司法取引があったかどうも、現時点では「わらからない」と大鶴は述べた。

ゴーン逮捕が示す日本の美点)で私見を述べた通り、私は依然として検察に分があるとみている。つまり、ゴーンは無実ではなく罪を犯したということだ。

昨日の会見で大鶴は、「ゴーンさんは全面否認しているので、起訴された時は初公判まで勾留されるだろう」と言った。罪を認めれば保釈もありうるが、否認しつづけると厳しい処遇がまっているということだ。

起訴されれば公判までは少なくとも半年の準備が必要になるので、ゴーンは捕らえられたままということになる。(敬称略)

信頼を回復させるために

「いま彼女をつかまえられればスクープですよ、堀田さん」

知り合いのテレビ局プロデューサーは「見つけて下さい」といわんばかりだった。

彼女というのは、STAP細胞を発表した小保方晴子のことである。大々的に記者会見をしたあと、まったくメディアのインタビューに出てきていない。画像の再利用や論文の一部のコピペ等の問題が表面化する前から、彼女はメディアの前から姿を消していた。

メディアのインタビュー依頼にすべて応える必要はないし、その義務もない。研究者にとって、研究の継続の方が大事だからだ。だが彼女はメディアから逃げるように行方をくらました。

大手メディアが自宅や職場に張り込んでもつかまらない。それは単にインタビュー拒否というより、逃亡という言葉があたっているようにさえ思えた。博士論文も含めて、盗用や使い回しが明るみにでることを恐れていたのだろうか。

ネイチャーに掲載された論文は、マウスの細胞ではあるが、弱酸性の液体で刺激を与えるだけで万能細胞に変化するという画期的な内容だった。しかし研究者として、いや一般社会であっても倫理的に問題となる行為をしたことで、論文の本質にまで大きな疑問符がついてしまった。

データを改ざんして無理に結果をだしたとしたら、研究者としての信頼を失墜させただけでなく、理化学研究所や大学の名誉、さらには日本の細胞生物学の評判さえも落とすことになる。

私が唯一願うのは、STAP細胞の研究成果だけは本物であってほしいということだ。

以前、エイズ研究者の半生を描いた単行本を出版した。その時に学んだのは、多くの科学論文には実験のすべての行程が事細かに書かれていないということだ。論文で発表された実験は世界中の研究者によって追試される。だが、論文の指示だけで実験が成功するとは限らない。

たとえば、「試験管を振る」と書かれていても、激しく振るべきなのか、2回左右に振るだけなのか、それとも赤子が寝ているゆりかごを揺するようにするかは判別できない。実験は時に、その一振りで失敗する。

本当にSTAP細胞が誕生しているのであれば、小保方はその手法を世界に出向いて公開すべきである。それでしか失墜した信頼を回復させることはできない。(敬称略)

日本人はもっと怒っていい

AIJ投資顧問事件の浅川和彦を覚えていらっしゃるだろうか。

浅川は厚生年金を中心に、顧客から預かった資金の大半にあたる1092億円を損失させた。全国17の基金から248億円をだまし取ってもいる。基金に加入する企業数は3000社にのぼり、一部しか返済できていない。

浅川と共犯2名は昨年6月に逮捕。今月2日、東京地裁で検察側の求刑があり、浅川に懲役15年、3被告に計218億円の追徴金を求めた。もちろん求刑の段階であり、実際の量刑がどれくらいになるかはわからない。

実刑は間違いないだろうが、「この程度でいいのか」というのが個人的な感想である。

またアメリカとの比較で申し訳ないが、2008年12月に詐欺罪で逮捕されたバーナード・マドフという男がいる。ナスダック元会長であり、自ら証券会社を起こして投資家をだました。手口が浅川に似ている。

ただマドフ事件の場合、被害総額が3兆円を超えていたこともあり、裁判所は日本ではあり得ない量刑を言いわたす。禁固150年である。71歳の時に言い渡されたので終身刑という意味である。

しかも懲役ではなく禁固、つまり「死ぬまで独房にいろ」というメッセージだ。それくらい重い罰だった。

アメリカでは禁固100年を超える量刑が言い渡されることがしばしばある。懲罰的な意味合いが含まれる。民事事件でも同様である。被害額が1000万円であるのに対し、懲らしめるという意味で1億円ほどの損害賠償を言い渡したりする。

その背景には、極悪な犯罪者に関しては更生などという悠長なものは念頭にないということだ。それよりも、再び社会に出してはいけないと考える。私はこの論理の方が正しいと思う。日本の量刑はあまい。

マドフは現在、ノースカロライナ州の刑務所に服役中だ。09年、同じ受刑者に殴られて鼻の骨と肋骨を折られている。マドフの証券会社に投資し、損害を被った男だという。

あらためて角田美代子の犯行を思う

6月9日夜、NHKが放映した故角田美代子の人生を振り返った番組を観た。角田は言わずと知れた尼崎殺人死体遺棄事件の首謀者で、昨年12月に拘置所で自殺している。

私の興味は主に2点ある。なぜ角田が10人以上もの親族を無慈悲に惨殺できる鬼と化してしまったのか。その人間形成の過程に関心がある。もう1点はアメリカでこうした事件が起きたと仮定した時の結末だ。

番組の中で作家高村薫も、なぜあれほど残虐な性向をいだくようになったかに興味があると述べていた。

角田は幼少から中学・高校時代、たいへん不遇な家庭環境で育っている。父親は娼婦のところに入り浸り、人間としてのしつけや家庭教育などというものとは無縁だった。中学時代にはすでに鑑別所に入っている。

人としてどうあるべきかという倫理観を築く前に、犯罪を犯すことが日常化したのかもしれない。人を脅し、コントロールすることで金品を手に入れられる話術を学び、そこに生きる道をみつける。

ただ少女の頃は、帰り道がわからない時に駅で涙をこぼすこともあったという。

人間はたぶん殺人鬼としてのDNAなど持ち合わせていない。角田は犯罪者になる気質を後天的に獲得するが、同時に現代社会で生きるために本来獲得すべき精神性と気質を欠落させてもいる。

逮捕後、拘置所で犯罪者としての人生を振り返るくらいなら、命を絶ったほうがいいと解釈したのだろう。自殺によって周囲が知るべきことが闇に葬られたが、私は角田が精神を病んでいなかったのではないかと考える。

アメリカであれば親族に拷問の限りをつくした人間なので、弁護側はまず精神鑑定によって精神障害者と認定させるような方向で進めていっただろう。それがアメリカ流の戦い方だ。

またアメリカであれば、事件が表面化する前に弱みを握られた親族の男たちの誰かが銃を手にしていた可能性が高い。角田を殺害するか、銃で脅して逆に角田を監禁していたかもしれない。

すべてが終わっているので何とでも言えるが、こうした鬼を誕生させることになった元凶はやはり家庭環境である。どこで、誰に、どう育てられるかで子の人生の大半が決まる。(敬称略)

企業家と政治家

「電車が来るようになってからまだ3日目だよ」

ずんだアイスクリームを出してくれた店主の顔に笑顔はなかった。

宮城県の仙台駅からJR仙石線にのって松島海岸駅まできた。仙石線は仙台と石巻を結ぶ路線だが、日本三景の一つである松島までしか復旧していない。

「でも電車が開通してよかったですね」

「よかねえよ。今、松島にくる観光客なんかいねえ」

震災から3ヵ月近くたって駅前はだいぶ元に戻ったが、まだ混沌の中にある。不通になっている部分を駅員に尋ねると、「復旧のめどはまったくたっていません」とはっきり言う。「夏まで」とか「年末まで」という言葉は聞かれない。

津波で線路が流され、電柱も倒れた。1ヵ所や2ヵ所ではない。さらに「町ごと流されたところもありますから」という。石巻や南三陸、陸前高田など、比較的大きな沿岸都市はメディアの取材対象として取り上げられるが、全滅した小さな町は数知れない。

                  

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野蒜(のびる)という松島海岸駅から6つめの町もその一つだ。すでに線路は錆びていた。駅前にはいくつか外観をとどめた家屋も残るが、そこから海岸までの1キロほどは全滅だった。今は災害援助の自衛隊の隊員しか見当たらない。いまだにガレキの山が残る。

英語で「Dead quiet!」というが、恐ろしいほどに無音である。

個人や地方自治体のレベルでの復興は無理である。国がリーダーシップを取るしかない。だが国会議員は政局に忙殺されて復興に政治力を発揮できていない。復興庁の設立を記した復興基本法案がやっと成立するが、もっとも重要である「スピード」がともなっていない。

政界では菅がいつ辞めるかといったことに多大な関心がさかれ、結局超法規的な政策の実施などなされないまま時間だけが過ぎた。復興モデル都市(試案:東北アップライズ )などのアイデアは試されないまま、まったりした再興になりそうである。

こうした事態であらためて永田町の政治システムがまともに機能していないことがわかる。自分たちで改革することも望めない。1度大統領制に移行して、国のリーダーの公選制を取り入れるべきである。国会議員が国のトップを決めるというシステムをまず脱却させた方がいい。

企業のビジネスモデルという言葉はよく耳にするが、政治モデルもある。時代に合わせてどんどんモデルは変えていくべきであるが、企業家にはできても政治家にはできない。何十年も前に取り入れたことを今でも固執していては企業であれば倒産だ。機能しているものは今後も残せばいいが、していないものは変えるしかない。(敬称略)