米大統領的バケーション

バラック・オバマはいまマサチューセッツ州にあるマーサズ・ビンヤード島という離島で夏休みをとっている。

日本でいえば軽井沢のようなところで、特にアメリカの東海岸に住む人間にとっては富裕層の休暇先として知られる。

ただ夏休みといってもワシントンから200人ものスタッフを引き連れている。警護役のシークレットサービスから安全保障問題担当の補佐官、広報担当官にいたるまで休暇先でもワシントンにいるときとほとんど同じような仕事環境をつくっている。

それは「移動ホワイトハウス」といっても差し支えない。島にいながら毎週末には、恒例のラジオ演説もおこなっている。

今回は2週間という長さで、それが長いか短いかは判断の分かれるところだ。80年代の大統領レーガンはほぼ1カ月をカリフォルニアの牧場で過ごした。過去30年で休みをもっともたくさん取ったのは前大統領のブッシュ。8年間の任期中879日も休みを取ったという記録がある。オバマはここまで約150日。

それでもシリア問題やミズーリ州での黒人青年銃撃事件などいくつもの重要案件があり、休みなど取っている場合ではないという批判がある。税金を使って200人ものスタッフを引き連れていくべきなのかとの声もある。

ただオバマの夏休みは、過去の大統領と比較するとごくごく「フツウ」と言えるかもしれない。(敬称略)

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マーザズ・ビンヤード島の別邸でボールダー司法長官と

By the White House

世界は(やはり)広い

人の日常というのは、かなり限定された枠の中で終始する(ほとんどの場合)。

それは世界中のどこに行っても似たり寄ったりで、枠から飛びでることが小さな冒険であったりする。

小学校や中学校に通っている時は、自宅と学校の往復でほとんどの日々が終わる。生徒たちの世界というのは、その小さな枠の中で完結している。塾に行ったり、習い事のためにバスや電車に乗ることはあっても、それ以上の世界を体験することは稀である。

歳を重ねるにしたがって、その枠が広がっていく。枠というより、殻を破って違う世界へ飛び込んでいくということかもしれないが、それでも多くの人は限定された枠の中で生活する。 

自宅と勤め先の往復という生活に、むしろ安心感を覚えたりする。それが日常というものなのだろう。

想像や思索をめぐらせることは自由である。それによって枠を飛び出すことは可能だが、普通の考えではあり得ないようなことが違う文化圏で起きたりするのであ然とさせられることがある。

先月、アメリカのフロリダ州でとんでもない事件が起きた。本当に仰天の内容で、あらためて世界の広さを感じるのである。

同州北部にセント・オーガスチンという都市がある。大西洋に面した静かな所だ。そこに住んでいる62歳の女の行動(犯罪)は、ほとんど想像の枠を越えていた。というより、久しぶりにアメリカらしい豪快な事件と呼んでもいいかもしれない。

その女は隣人が大嫌いだった。喧嘩が絶えなかったし、顔をみるのも嫌だったらしい。世界中で同じ境遇の人は数え切れないほどいるだろう。

誰もが考えるのは、隣人へのいたずらか、嫌がらせである。本当に耐えられない場合は、自分が引っ越すというオプションもあるし、最悪の場合は死傷事件に発展するかもしれない。

女は何をしたか。

隣人(1人住まい)が外出したのを確認後、建設会社に電話をした。

「至急、ブルドーザーを手配できますか。実は簡易住宅(隣家)を所有しているんですが、すぐに取り壊したいんです。今は誰も住んでいません」

小さな家だったので、数時間で全壊したという。仰天したのは帰宅した隣人である。声もでなかった、、、に違いない。

女はすぐに逮捕・拘留されたが、数日後に保釈金1万ドル(約101万円)を支払って自宅に戻った。

気持ちいいくらいの犯罪で、といっても裁判でもめるのはこれからである。

もうひとつの長寿番組の終焉

タモリの「笑っていいとも」が終わったと前回のブログに書いたら(どこまでが天性なのか)、今度はアメリカの長寿番組の司会者デイビッド・レターマンが来年中に降板するという。

日本ではほとんど馴染みのない人だが、アメリカでは知らない人がいない。3大ネットワークのひとつCBSで「Late Show」という夜11時代の番組を長年つづけてきた。CBSに移る前はNBCでも同じような番組の司会を務めていたコメディアンだ。タモリと同じ1982年に番組を始めているが、「笑っていいとも」のような生番組ではない。

アメリカではその時間枠の番組構成が過去何十年も変わっていない。司会にコメディアンが起用され、番組の冒頭では毎日ジョークをいくつも繰りだす。

私は1982年に留学でアメリカに渡った時から、なるべくその時間は番組を観るようにしていた。最初はジョニー・カーソンという人を観ていたが、彼が辞めたあとはレターマンにチャンネルを合わせた。というのも、彼らの繰りだすジョークが英語の勉強に役立つと思ったからだ。 

役立つというより、どれだけ聴き取れるかが英語力のバロメーターになると考えていた。最初はまったく笑えなかった。というより、何の話題のジョークであるかさえもわからなかった。

そのうちに、「クリントンについてのジョークだな」ということはわかってきたが、最後のオチで笑えない。ジョークは構成作家やスタッフと一緒に練りこまれており、英語力だけでなく、アメリカ社会についての知識がないと笑えないことが多い。アメリカを包括的にどれだけ理解しているかを如実にしめすものでもあった。

辛いのは、周囲にアメリカ人がいるときだ。皆が笑っているのに1人だけ笑わないのは奇異にうつる。最初の頃は皆が笑ったあとに一呼吸遅れて「ヘッヘッヘ」とやっていた。実に虚しかった。

そのうちにジョークの意味がわかり、一緒に笑える時がきたが、それでもすべてのジョークで笑顔をつくれない。英語が聴きとれたとしても、話の主人公に馴染みがなかったりするからだ。

さらに笑えない時もあった。英語もオチも理解しても「ジョークとして面白いか?」という時である。日米両国には笑いのツボに微妙な違いがある。

ただレターマンとタモリに共通するところは、どんなゲストが登場してもわけ隔てなく接し、知らぬうちに視聴者を楽しませていることだ。前回も書いたが、それも天質といえるだろう。

2人が毎日つづく番組から姿を消すのはやはり寂しい。

ミッシェル・オバマからのメール

朝、メールをチェックするとオバマ夫人のミッシェルから1本のメールが来ていた。

私が夫人と個人的に親しいというわけではない。以前にも書いたが、ホワイトハウスのメールリストに登録されているので、時々大統領や夫人からの挨拶が届くだけだ。

今朝のメール内容は、夫が昨年再選を果たし、大統領2期目に突入してからちょうど今日で1年がたちました。いまでもバラックを信じていますというものだった。

「夫だからというより、政治家として抱く将来のビジョンを信頼しています」

日本ではなかなか身内を褒めないが、アメリカではごく普通の所作である。あと3年、夫を支え続けていきたいし、皆さんの支援も必要ですという内容だった。

アメリカ政府内には表にでない陰謀や、盗聴にからむ秘密工作が渦を巻いている。だから、こうした表面的な肯定話をきくと、多くの人は「きれい事を言って」と思うことだろう。

だが、アメリカ文化の本質はこうしたきれい事なのだろうと思う。この前向きな姿勢と肯定-。何があっても「だいじょうぶだから」と言えるだけの過信と呼んでさしつかえない自信。

普通のアメリカ人とつき合うと、いたるところでこの自信と遭遇する(自分を信じるということ )。だからミッシェルのメールは誇張でもなんでもなく、普通の身性と捉えた方がいいのである。(敬称略)

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by the White House

ボストン爆破テロから見えてくるもの

マサチューセッツ州ボストンで起きた連続爆破テロからすでに半月がたった。

いちおうアメリカの政治・経済から社会問題までを追っている人間として、同事件に何らかの見方を記さないといけない。ただ現地で取材をしていないし、当件で長い原稿をかいているわけでもない。

それでも半月たって見えてきたものがある。

それは実行犯ツァルナエフ兄弟の動機がイスラム過激派としての聖戦などではなく、単なる「若者の葛藤」の発露だったのではないかということだ。

病院にいる弟は、兄と2人でやった犯行であり、大きな組織(アルカイダ等)が背後にあるわけではないと話しているが、そこに嘘はないように考える。

というのも、アルカイダが背後にあったとすると、2001年9月11日のテロ事件から12年がたっていながら犯行そのものに稚拙さが目立つ。防犯カメラに姿をさらし、爆破後の行動計画も練り込まれていない。

もしイスラム過激派と密接な関係にあるとしたら、この程度のテロ行為では済まなかったはずだ。それは手作りの圧力釜爆弾という点でもみてとれる。

実は元CIA(米中央情報局)のテロ対策室にいたフィリップ・ムッドも同じことを述べている。

「単に人が集まるからという理由でボストンマラソンを選んだ安易さがある。それは大きな組織が背後にいないことをうかがわせる。9.11では19人が関与していた。しかも資金提供者がいて、訓練を施した教官もいた。思想的なバックグランドもしっかりしていた。そして少なくとも3年という歳月の準備期間のあとに犯行におよんでいる」

あのテロ事件と比較すると、兄弟の行動はお粗末である。チェチェンからアメリカにやってきて、社会に馴染めなかった現状への不満と怒り。兄弟がイスラム過激派に共有する思想を宿し、それを実践したようには思えない。

犯行動機を問われたときに、イスラム教徒として崇高な理念があったからだと思わせたいだけのようにも見えるのである。

周囲があ然とするようなことをする。そこから見える犯人像は、コロンバイン高校銃乱射事件の実行犯と似てくる。少なくともアルカイダが操っていないことだけは確かなようである。(敬称略)