ロックダウンという選択:新型コロナ(47)

菅氏の最近の言動を眺めていると、相変わらず判断力、指導力、そしてモノを前へ進めていく行政力が欠如していると言わざるを得ない。コロナ禍のなかで、それはさらに明白になっている。

酸素ステーションは必要だろうが、それよりもなによりも感染の広がりをまず阻止することが最重要である。社会が直面する問題を冷徹に分析し、最善の方策を考え、解決策を指示していく必要があるが、菅氏にそれができているとは思えない。一国の指導者として、また政治家として不適格者であることは昨年からわかっていたが、ここにきて能力不足が明らかになってしまった。

やることといえば緊急事態宣言の拡大と人流抑制の「お願い」であって、いまは強制をともなう施策が必要な時であると考えるが、ロックダウンを行うつもりはないようだ。ロックダウンはすでに世界の国々で行われ、学究的にも研究されていて、短期的に効果があることは複数の国家で示されている。

だが菅氏は日本には馴染まないと実施する前に決めてしまっている。明言するならば「もうジジイは引っ込んでいろ」と言いたい。いまのように日々新しい問題が浮上し、従来のやり方が通用しない流転の激しい社会では、柔軟な対応力がカギとなる。申し訳ないが「視点の定まらない眼つき」の政治家からは、何が何でも「コロナを撲滅します!」という覇気を感じられない。

極めて新しい事象には、従来とは違うまったく新しい手法を採用し、施行していく行政力が求められるが、いまの菅氏にそれがあるとは思えない。歯がゆさを通り越して、憤怒がこみ上げてくる。