多くの人にとって、それは憎しみと呼べる感情なのだろうと思う。
そう言わざるを得ないほど、いまのアメリカは「ドナルド・トランプ」という人間を基軸にして、多くの国民が邪心を宿している。世界中と言ってもいいかもしれない。
トランプ氏を憎む人間がいると同時に、トランプ氏を負かしたバイデン氏と民主党の人間に敵意を抱いている人たちも大勢いる。大統領選挙はいちおうバイデン勝利という結果がでたが、双方が相手側に対して持ち続ける負の抱懐はそう簡単にはきえない。
憎しみというものは人間が持つまっとうな感情の一つで、否定的なものではあるが、ほぼ避けられない心の発露でもある。憎悪をほとんど抱かない人もいるが、その人は瞬時にして憎しみという感情を処理する術を心得ているともいえる。
21世紀のいま、世界中の研究者が憎悪について研究を深めており、数え切れないほどの論文がでている。憎悪を湧き上がるままに受け止めた方が幸福感が高い、という研究結果もある。憎しみを心の中にとどめて我慢しつづけることは、むしろ幸福感を阻害するという考え方である。
ただ私が危惧するのは、憎悪という感情はさまざまなことに自分流のベールをかけてしまいがちになるということである。それは真実を見失うことにつながる。冷静で、理知的な判断ができないくらいの憎しみは「毒」と言ってもいい。
いま多くのアメリカ人に、解毒剤が必要な時かもしれない。