講義をするということ

昨年4月から講座を持ち始めた母校のオープンカレッジ(http://www.yoshiohotta.com/2019/03/07/看板犬レオ/)。いまは夏期講義がおわったところだ。

オープンカレッジなので20代の人はほとんどおらず、私の講義を聴いてくださる方の多くが中高年である。それだけに、ある分野では私よりも高度な情報を持ち、分析力も優れた方がいるはずなので気を抜けない。

3カ月が一単位で、講座は秋の学期に移るが、以前と同じ話をするわけにはいかない。というのも、私の講座は「トランプ政権を取り巻くイマのアメリカ」というタイトルがついているので、新しい話をし続けなくてはいけないからだ。

しかも多くの受講者は私の講座を取り続けている。だから「また同じことを言っているよ」と思われないように、絶えず新しい事象に目を向け、イマ起きていることの核心を洞察するようにしているつもりだ。

講義の1日前に起きたことにも触れたりするので、世の中のことに目を這わせ、勉強は怠れない。時に背中に冷や汗をかきながら、「ここまで踏み込んで大丈夫だろうか」とヒヤヒヤしながら、なんとかこなしているというのが正直な思いだ。

それでも秋学期、冬学期、そして来年4月からの講座の依頼がきている。学校側から「あなたクビ」と言われるまで続けていこうと思っている。