テレビニュースというのもの

このところトランプの言動が静かなので、放送メディアもアメリカものをあまり扱わない。こうした時にゆっくりとテレビのニュース報道というものを顧みることも大切だろうと思う。

テレビの報道・情報番組はキャスターをはじめコメンテーターがさまざまなコメントを言うが、硬派の番組であればあるほど常道から外れたコメントは少なく、視聴者が潜在的に、または意識的に考えている内容の追認が多くなる。

視聴者は逆にテレビを観ながらコメンテーターをこけおどしたり、「この人またこんなこと言ってるよ」と辛口のコメントを繰り出していたりする。視聴者は意外なほど醒めていることが多い。テレビというのは本質的にそういう媒体なのだろうと思う。

たとえば、殺人事件があって幼児が殺害されたというニュースがあったとする。視聴者は悲劇を悲劇として受け取るのではなく、悲劇という事実を認識するだけなので涙もでない。

しかも容疑者が浮上すると、テレビは限られた時間の中でシロクロをつけようとするので、容疑者を徹底して悪者として扱い、どういった経緯があったかにゆっくりと時間を割かない。公判になって意外な事実がでてきても、同じ報道番組がさかのぼって同事件と裁判の内容を報道することは稀だ。

ただテレビに出演するようになって、逆に放送メディアの奥深さも知った。2分ほどの限られたコメントであっても、視聴者は敏感に私の持つ情報量と知識の深度、思考の論理性を察知しているということだ。極端ないい方をすれば「アホなコメント」ひとつで終わる世界なのである。

それだけに、ネットの時代になってもテレビは無視できないということである。(敬称略)