小さな夢

小学6年生の時だった。先生が「将来の夢を絵にしなさい」と皆に告げた。

ほとんどのクラスメートは長い時間をかけずに絵を描きはじめる。私は絵がかなり下手だったこともあり、なかなか描きだせないでいた。というより、「何になりたいか」の答えがでていなかった。

周りの友人たちは宇宙飛行士やスチュワーデスなど、具体的な職業を描きはじめていた。

「どうしよう。本当にわからない」。正直な思いだった。

一流企業の会社員になることが夢ではない。科学者や研究者でもない。植木屋さん、、、でもない。スポーツ選手も無理だろう。何になりたいのか、分からなかった。

授業が半分ほど過ぎたころ、というよりお腹がへりはじめたころ、私は「ホットドッグ屋」を描いていた。自分でもまったく思いがけないことだった。

うまく描けなかったが、一応誰が観てもホットドッグ屋のはずだった。というのも、絵の中にホットドッグというサインを描いたからである。

それから3年ほどして、母親がいきなり東京都中野区の公共施設のなかで喫茶店をはじめることになった。父親は普通に会社員を続けていたので、経済的な理由というより個人的な興味からだった。

高校に入ってから、週末になると店にかり出された。最初は皿洗いをし、ウェイターを経験し、大学に入ったころには調理や店のマネジメントをするまでになっていた。

そこでホットドッグも出していたのである。純粋なホットドッグ屋ではないが、大学時代のある日、自分の机の戸棚からその絵がでてきたのを見て思った。

「クラスの中で一番最初に『夢』を実現したかもしれない」

誇らしくも何ともなかった。実現可能な小さな夢だったからである。

自分でもまったく予期せぬことを描いたつもりのホットドッグ屋の夢が、思いがけないことで現実のものとなっていた。

不思議なもので、その頃にはワシントンでジャーナリストになるという次なる夢が現れており、今にいたるのである。人生、どう転ぶかわからない。