先行しつづけるイメージの勝利

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6月の緑:旧軽井沢の裏道

多くの人が「軽井沢はいい」と言う。だが私にはなかなか理解できない。

別荘があるわけでもないし、定期的に通っているわけでもない。この地名が出れば出るほど自分との距離感が強まるのを感じる。

長野県の軽井沢町には年間800万ほどの観光者が訪れるという。しかし同町に住んでいる人はわずか2万人に過ぎない。観光シーズンでもない今はひっそりしている。

ただ軽井沢という言葉には涼やかな響きと、少しばかりハイソな心象がある。それは単に富裕層や著名人が別荘を構えているというだけでなく、「誰もが憧れる避暑地です」という事実を多くの人が潜在的に共有することを知っているからだろうと思う。

それを優越感と呼ぶことはできるが、実質的な優越というより「先行しつづけるイメージの勝利」と言った方がいい。

避暑ということであれば、南信州の遠山郷でも福島の会津磐梯山でもいいわけだが、遠山郷や会津磐梯山という地名は軽井沢という言葉の響きにどう立ち向かっても勝てない。

確かに、軽井沢の森の中に歩をすすめれば、東京の喧噪にはない清涼な空気と風を感じられる。東京の気温が30度に届く日でも20度代前半で、避暑地として十分にその役割は果たしている。

けれども、八ヶ岳山麓や北アルプス山麓の方がさらに夏の気温は低く、さらに旧軽井沢銀座のような人混みがない分はるかに過ごしやすいとも言える。

軽井沢にはいわゆる小洒落た店が集まっているという指摘があるが、どことの比較なのだろうか。人が集まる避暑地というステータスこそが人の心をくすぐり、「ちょっと軽井沢に、、、」というフレーズが力をもつ。

私が行くとしたら、今のようなシーズンオフか冬しかないだろうと思う。