タダほど恐ろしいものはない

インターネットの普及によって、新聞や雑誌の記事がタダで読めて当たり前の時代になっている。

利用者としてはこれほどありがたいことはない。だが、私のように原稿を書くことを生業にしている者にとって、タダで記事を提供することは自分の身を削ることにひとしい。

当ブログを除いて、原稿の提出先は大手の出版社や新聞社がほとんどなので、原稿料はしっかり頂いているが、最近はタダで書いてくれませんかという依頼もくる。

大手ヤフーがその一つである。昨年のアメリカ大統領選の最中、ヤフーの担当者から連絡が入り、記事の執筆と編集をしてくれませんかという依頼があった。

私が大統領選をライフワークにしていることを知り、その分野の記事を充実させたいという内容だった。

ヤフーは、特にアメリカではすでにグーグルに大きく水をあけられ、「死に行く巨人」であると以前雑誌に書いた。

最初は当然報酬があると思っていたが、タダでやってほしいという依頼で驚いた。プロとして無償で仕事をしてはいけないと思っているので断った。先方は、私の名前がヤフーサイトに出ることで宣伝になるという説明だったが、タダの原稿などとんでもないという考えを伝えた。

先月、またヤフーの違う部署の人から原稿依頼があった。定期的に書いてほしいという。

「タダなら書きません」と返事をする。

すると一応原稿料は用意されているが、ネットユーザーのヒット数で決まると言うことだった。すでに同じ状況で仕事をしている人の様子を見ると、ほとんど話にならない額なので、またお断りした。

「ネット記事はタダが当たり前」という風潮はアメリカで始まったが、この分野で生きている人間にとっては由々しきことである。アメリカでは再び課金の方向へ動いている。

特に一次情報を取って、まだ世の中のどこにも出ていない情報を書いた時などは金銭をもらわなくてはいけない。「タダでお願いします」というのは反則である。

CDデビューしている歌手に、タダで歌ってくださいというのと同じだ。それだけ質の高い記事をしたためなくてはいけないが、それは望むところである。

仲間だけが読む場などへはむしろ無償で書きたいが、プロとして書く場でタダでお願いしますは話にならない。

南半球で思うこと

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どこの国を訪れても、その土地ならではの文化が根付いている。

日本ではほとんど馴染みのないものが主役級の座を確保していたりする。オーストラリアではクリケットがそうだ。クリケットほど日本で馴染みのないスポーツも珍しい。

日本での競技人口は1500人くらいらしい。たぶんイギリスの学校に行った人たちが中心なのだろう。というのも、イギリスの学校によってはクリケットが男子の必須科目になっているからだ。日本で生まれ育った人がクリケットに関与する機会はかなり限定される。

オーストラリアではテレビで長時間の生放送がある。ルールによっても違うが、1日で終わらない試合も珍しくない。

日本人でクリケットのルールを熟知している人がどれほどいるか知らないが、私もこちらに来てにわか勉強をした。

1チームが11人という点はサッカーに似ているし、ボウラーと呼ばれる投手が140キロ以上のボールを投げ、バッターがそれを打ち返すという点では野球に似ている。

だが、ほとんど永遠に終わらないと思えるほど長々と試合が続く。バッターがアウトになると次のバッターに交代するのだが、なかなかアウトにならない。

ウィケットという3本の杭に投手のボウルが当たるか、打ったボールが捕球されるか、自らウィケットを倒してしまったり等、アウトのルールも複雑である。しかも打ったボールはクリケット球場のどの方角(360度)に飛んでも構わない。

バッターはボールを転がしたら、その間にウィケットの前に引かれた線を報復することで点が入る。しばらく観ていたらホームラン(とは言わない)も飛び出した。その時は一気に6点が加算される。

だがホームランを打っても球場は盛り上がらない。あまりにも試合時間が長いためか、観客席はガランとしているのだ。

紳士のスポーツらしく、途中でティータイムが設けられていて悠長な時間が流れる。日本で人気がない理由はこのあたりにあるのかもしれない。

クリケットと共に青春時代を過ごせば違うのだろうが、にわか観戦者では心の中にそのよさが響かなかったのが残念である。