つぶやき勝ち:ツイッター

玉石混交のネット情報の中で、ツイッターやフェイスブックで発さられるメッセージの影響力がいい意味でも悪い意味でも増幅している。深くものを考えずに、その場で一言ふたことつぶやいたことが、他者の心を傷つけることが増えている。

つい先日も、イギリス人の15歳の少女がツイッターでつぶやいた一言で、会ったこともない人から「死ね!」と返礼される事件があった。

彼女は別に人の悪口を書いたわけではない。カナダ出身の人気歌手ジャスティン・ビーバーの新しいCDについてコメントを書いただけである。しかも「新しいアルバムはいい感じ!」と褒めたにもかかわらず、ビーバーのファンから攻撃を受けた。

背景がある。1つは、彼女がビーバーの「熱烈なファンではない」ことを認めた上でコメントした点。もう1つはその「新しいアルバムはいい感じ!」というツイートが、なんとビーバー本人によってリツイートされたことだった。

ファンにとっては熱烈なファンでもない人のコメントがビーバーにリツイートされたことが許せなかったのだろう。中には12歳の見ず知らずの少女が「死んでほしい」とまで書いた。

たぶん少女であっても、批判を書いた本人は2日くらい経てば「なんてことを書いてしまったのだろう」との思いを抱くかもしれない。嫉妬心は継続することもあるが、まともな人であればその行動が常道を逸していることはわかる。

SNSがなかった時は、メールか手紙で思いを伝えた。思いを伝えるまでに少しばかり考える時間がある。さらに、まず書く相手を選ばなくてはいけない。ツイッターは単なるつぶやきだから、不特定多数の人間に自身の憤懣を吐けばいいだけだ。

つまり、相手がひどく傷つくことを想定していないのだ。想定していたとしても曖昧な想定であることがほとんどで、「つぶやき勝ち」としての逃げがそこにある。

私も過去何年か、ネット上でも原稿を書いている。それに対し、ツイッターやフェイスブックでかなり辛辣な批判や反論を浴びせられることもあるが、職業上もう慣れているのでなんともない。

ただ私に直接メールや手紙で文句を述べてくるガッツのある人は皆無に等しい。いないことはないが、これまで何かモノを言ってきた人はいずれも社会的にかなり認知された人がほとんどだった。

つまり、実名を公表してまで直接私にいうのではなく、「俺はこう思ってんだけど、、、」と自身の意見を世間に発露することで存在意義を確かめる作業をする場合が多い。

もちろん、SNSによる肯定的な言論も多いし、そこから利益が生まれ、プラスに働くことがあることはよく承知している。だが、正直に述べると、私はもう両方とも飽きてしまった。(敬称略)

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