原発事故とニヒリズム

いったい何が本当なのかわからない。

福島第一原発事故の現状は、国民はもちろん現場にいる専門家さえも正確に把握できていないことが過去1週間の推移をみるだけでもわかる。

先週も首相補佐官の細野豪志と原子力安全・保安院の西山英彦の会見に出たが、彼らの期待を込めたロードマップについての発言内容と、実際に起きる事態とが前日と違っていたりする。細野の語り口と事後収拾に取り組む姿勢には誠実さがみられるが、それに反して事態がむしろ悪化していることが皮肉である。

彼は「東電の企業体質は隠蔽体質というより保守的で、こうした対応においては適さないと感じている」と会見で言ったし、「私が責任をもって」といちおう明言した。先月末の会見でも「正確性と透明性という2つの原則のもと、すべてを公開していく」とはっきり述べている。だが、それが解決につながるわけではない。

フランスの原子力最大手のアレバの技術者が福島原発1号基の汚染水を浄化する作業の助言をしていると発言した数日後に、まったくうまくいっていないかったことが判明したりする。

これは誰も原子炉のそばまで行って確認できていないので、事故の状況把握が正確ではないということだ。東電は「たぶん現状はこうだろう」といった仮定の話で過去2ヵ月引っ張ってきたことになる。そうなると交代で登場する東電社員の言うことなど何も信じられなくなる。

原発事故についての書籍を他の書き手とともに緊急出版するのでヨーロッパやアメリカの関係者に聞くと、東電と日本政府の対応についてポジティブな発言する人間はいない。日本で100万人単位のデモが起きないのが不思議であると、不可解さを示している。

日本人というのは欧米諸国からみれば世界でもっとも虚無的(ニヒリスティック)な国民と捉えられている。熱くならない。神という概念をもたない個人主義こそが日本人をニヒリズムに陥らせたとの見方もある。

ただ、仏教は虚無主義を排しているし、「空」という思想は世俗的な虚無主義とはかけ離れたもので、般若心経では「空」は何にもとらわれない無辜な心をさす。それは無常観につながる。

日本人としての心のあり方を述べても現実的な混迷からは逃れられない。そこには現実的な解決策が必要になるからで、メディアが注意深く現状を報告し、監視し続けなくてはいけないと自戒の念を込めて思うのである(継承略)

試案:東北アップライズ

東北地方を再興するための政府の基本方針が固まりつつある。

法案の名称は「東日本大震災復旧復興対策基本法案」というもので、これだけで官僚が作り上げていることが即答できるほど冗長である。たとえば「フェニックス計画」とか「東北アップライズ」とか、子どもが覚えて参加できるくらいの愛称はつけるべきだ。

内容も、50年か100年に1度あるかないかの都市再興計画の機会であるにもかかわらず、ほとんど「復旧」のレベルを出ていない。仮設住宅の建設は大切だが、その先に見えるのはチマチマした応急措置的な、いかにも小役人が考えそうな町づくりがほとんどである。

それで本当にいいのだろうか。このままでは、何十年か後にはまた同じ運命を辿らないとも限らない。

「高台に住宅を建設する」といった考えを超越した未来型都市づくりの絶好のチャンスのはずである。官邸のホームページで復興構想会議の15委員の顔ぶれを見たが、大学教授と県知事が中心になったメンバーで、旧来型の復興計画しか期待できない。

仮にそのメンバーが斬新な計画を練り上げたところで、最終的には官僚によって「これはできません」「これもだめです」と水増しされて無難なところに着地しそうな気配を感じる。その会議とはまったく別に、20代から40代で構成されたメンバーに、壊滅した三陸海岸の村を造り直すパイロット計画を任せてはどうだろう。

地方自治体の長が超法規的な行政力を発揮して、自由な発想から世界の小都市が真似るモデルシティを建設する。しかも、スピーディーにことを進める。1万人以上の都市ではなく、わざと人口1000人以下の町を選ぶ。

ソフトバンクの孫やビルゲイツのような億万長者を説き伏せると同時に、政府からも特別予算を出させる。すべて特例でコトを進める。もちろん町の人も含め、全国いや全世界からボランティアに来てもらい、建設業者をはじめとするプロ集団の手助けのもとで町造りをする。                       

中国や北朝鮮が高速道路やダムをつくるときに一気に数千人を投入するように、常時3000人くらいがかかれば半年で小さな町は完成する。社会主義的な統制系統でいい。

   

                      

すべての町民が高台に住む必要はない。強度的にどんな津波にも耐えられる鉄筋のハイライズ(高層)をたとえば5棟ほど造ってそこに住んでもらう。私でさえ、これくらいのことは考えられる。

「これはできません」的なマイナス思考ではなく、「これを可能にする」という積極思考でコトを進めてほしいと思うのは私一人ではないはずだ。

ビンラディン殺害のあと

5月2日昼過ぎ、仕事場のある有楽町を歩いていると「号外です」という声が耳にはいった。すぐに一部を手に取ると、朝日新聞の号外で「ビンラディン容疑者死亡か」との大見出しが打たれている。

「来るときが来たか」

仕事場に戻ってインターネットで欧米メディアのニュースを読むと、祭りのような騒ぎになっていた。

今回の殺害作戦はCIAと米海軍の特殊部隊SEAL’sによるもので、最初から拘束ではなく急襲による殺害が目的だったようだ。

ビンラディンは10年前の9.11以降、パキスタンかアフガニスタンに潜伏していると言われていたが、可能性として高いのはパキスタン山間部の村だった。だが、首都イスラマバード郊外にある要塞のような民家に潜伏していた。その場所にいるとの情報は、米軍が拘束したアルカイダ・メンバーへの尋問から得られたものだった。

場所が特定されていたわけではない。ビンラディンの介添え役の男のニックネームが尋問によって判明したのである。そして本名を割り出す。それが2007年のことだと言われる。そこから潜伏場所を特定するのにさらに2、3年かかっている。ということは過去何年もビンラディンは同じ場所にいたということになる。

今後の問題は、ビンラディンの死によってアメリカ人が過去10年抱えてきた目的は達成されても、アメリカと中東諸国の双方がかかえる被害者意識は消えず、国際テロの危険性が失せたわけではないということだ。

パキスタンやアフガニスタンでは、ビンラディンの名前はすでに象徴になってテロ集団としてのアルカイダは脆弱化していた。だが、北アフリカやイラク、世界の他地域でアルカイダの冠を掲げた組織が個別に活動しており、今後も反米主義の流れが弱まるとは思えない。

通常の組織であれば「大将」の首がとられると、部下は意気消沈して瓦解することすらあるが、その可能性はなさそうだ。アメリカ国民が諸手を挙げて歓喜する気持ちはわからなくはないが、テロとの戦いは今後も終わらない。

ただ希望がもてるのは、ジャスミン革命による独裁政権国家での民主化の波が本格化して、中東諸国で思想と行動の自由が保証される流れができつつあることだ。歴史の真理として、民主国家同士の戦争や紛争は極めて少ない。これは青臭い希望などではなく、すべての国家で実現されるべき現実的な希求である。

  

              By the White House

2枚の写真

これまでずいぶん多くの国を旅してきた。

先日、あたらめて訪れた国を数えると40ヵ国だった。多いようにも思えるが、世界の国のおそよ5分の1でしかない。仕事がら外国に出向いてその国の社会情勢や人物を取材をすることが多いが、仕事で行ったのは40ヵ国のうち3分の1で、あとは個人の旅である。

新しい土地に出向いた時に3つのことをするようにしている。市場(マーケット)を見ること、タクシーに乗ること、低所得者と富裕層が住む地域を訪れることの3点だ。

マーケットにいけばそこの人たちが何を食べているかがわかるし、タクシーの運転手と話をすると市民の不満が理解できる。最後の住宅比較はその国の経済事情を知る上で格好の材料となる。

先進国でも貧富の差はもちろんあるが、途上国の格差は幅がありすぎて唖然とさせられることが多い。国によっては400万人が住むスラム街があるかと思えば、四国とほぼ同じ面積の私有地をもつ富豪がいたりと、日本とでは桁が違う。

先日までカリブ海のジャマイカにいた。20年ほど前に一度訪れているが、貧富の格差は当時とまったくといっていいほど変化がなく、イギリス人が築いたプランテーションの名残を誇示する一方で、ブロックを積み上げた簡素な家に住んでいる人も多い。

観光業が外貨獲得の稼ぎ頭で、ブルーマウンテン・コーヒーやボーキサイトの輸出もさかんだが、カナダやアメリカ、イギリスからバケーションでやってくるツーリストが落とす金に体重の半分を乗せているのがジャマイカの現実である。

自国経済は相変わらずローギアのままで加速できておらず、政府の経済政策と同時に教育の重要性を痛感する。

2枚の写真は、西側の資本が入って開発された部分と島の山間部の住宅。

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彼の国へ

「今度、北朝鮮に行くんです」

こう口にすると、ほぼ全員が「大丈夫ですか」「危なくないですか」と返してきた。私も相手の立場にいたら、たぶん同じ反応をしていただろう。

平壌に着いて数日たつと、いかに北朝鮮の内情が日本で歪められて報道されていたかがわかった。北朝鮮政府が繰りだすプロパガンダもさることながら、アメリカや韓国、日本による過剰報道によって北朝鮮への恐怖心と警戒心が必要以上に増長されていたことを知った。やはり現地に赴かないとわからないことがある。

もちろん拉致問題は解決していない。軍事的挑発行動もある。しかし、それだから「北朝鮮は危険」という図式はあまりにも単純である。外務省のホームページにも北朝鮮は「渡航を自粛してください」とある。

ただホームページの自粛理由は、「北朝鮮のミサイル開発と併せ、(核実験の実施で)我が国の安全保障に対する脅威が倍加した」、そして「北朝鮮が拉致問題に対しても何ら誠意ある対応を見せていない」、「国連安保理において国際社会全体として厳しい対応をとる」という3点につきる。

それは国交も結んでいない国であり、制裁としての意味合いからも行くべきではないという判断による。けれども治安についての記述はない。むしろラオスのビエンチャン周辺には「渡航の是非を検討してくさだい」という勧告がでており、置き引きや侵入盗、ひったくりが多発しているとある。

町を歩くという意味では、後者の方が警戒を要する。事実、平壌においても地方の農村においても、人々の対応は日本となんら変わらなかった。襲われるという可能性は極めて低い。

むしろ、アフリカや南米の途上国に赴くと、車を降りたとたんに物乞いをする子供たちが集まることがあり、振り返ると5人くらいの子供を引き連れて歩いている。しかも衣服が汚れ、裸足であったりする。

だが北朝鮮ではそれがない。北東部や中朝国境へは足を向けていないが、平壌市内はもちろん、私が訪れたいくつもの農村でもそれがない。現地で見聞きした限り、飢えていないのだ。

                          

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「10年ほど前は確かに厳しかったが、いま飢餓で苦しむ人はいない」

現地の人間はこう言った。

だが、帰国して北朝鮮のニュースを読むと、最高人民会議の議長である崔泰福(チュ・テボク)がイギリスに食糧支援を要請したとある。他国への食糧要請はカモフラージュなのかと思えるほどだ。

一つだけ確実に言えることは、金正日をトップにした労働党と軍部のエリートたちにあの国の民は翻弄され続けているということだ。一般国民はある意味で大きな犠牲者であるが、それに気づいていない。

それどころが、「将軍様マンセー(万歳)」のかけ声が今日も響いているのである。(敬称略)