目力で勝負する時

昨日(6月3日)の朝日新聞夕刊を読んでいると、「なるほど・・・」と思わされる記事にであった。三谷幸喜氏の連載エッセイ「ありふれた生活」で書かれていたマスク生活についての指摘である。

コロナ禍にあって、ほとんどの人が外出時にマスクをつけることで、新しく出会う人ともまずマスク姿で対面する。三谷氏はこうした状況で「一目惚れ」ということが起こるのかと疑問を発するのだ。一目惚れは、往々にして顔から受ける好印象によって相手のことを好きになるが、マスクで鼻の上部から下の部分が隠されていても一目惚れはあるのかということだ。

顏の一部だけしか見えていないと、隠された部分は想像せざるを得ない。「目もとはステキだけれども口は曲がっているかもしれない」という憂慮や「目は私の好みではないけれども、鼻は高いかもしれない」といった思いなどさまざまだ。

いずれにしても判断材料はマスクからでている目の部分になり、おのずとそこに神経が集中するようになる。優しい目もともあるだろうし、ガツンとくるような魅惑的な目もあるだろう。いずれにしてもコロナが続く限り、目力のあるなしによって人は判断されるし、「目は口ほどに物をいう」日々がしばらく続くことになりそうだ。