ある昼下がり

JR有楽町駅前にある三省堂に立ち寄った。特定の書籍を買おうと思っていたわけではない。ぶらりと立ち寄っただけである。あの店舗は1階に雑誌や新刊本が置かれ、2階には文庫が並んでいる。

「そうだ。あの文庫はあるだろうか」

あの文庫というのは、私が5年前に文春文庫から出した「 エイズ治療薬を発見した男 満屋裕明 」という本である。5年前の本なので書棚にはないだろうと思っていた。文春文庫のコーナーにいき、アルファベット順に並んだ著者の名前を追う。は・ひ・ふ・へ・・・ほ。

「あった」。心の中に小さな笑顔がデキタ。本を手にとる。いままたその本を読むことはないが、そっと表紙のタイトル部分を人差し指でなぞった。

満屋先生は今年もノーベル賞生理医学賞の候補の1人に挙がっていたのだろうと思う。だが今年の受賞者は、C型肝炎ウイルスを発見した3人の研究者だった。受賞式の2カ月ほど前、NHKの記者が私のところに電話をかけてきて、「満屋先生がノーベル賞をとった時はコメントをください」と言ってきた。

私はほのかな期待を抱きながら待ったが、来年以降という結果になった。結果発表から何日かたったあと、満屋先生と電話で話をする機会があった。先生は相変わらずイチ研究者として、いまは新型コロナウイルスの治療薬開発に邁進されていた。

受賞に関心がないはずはないと思うが、ほとんど眼中に入れずにいまでも一人の医師として、研究者として研究に力を注いでいる先生の顔が浮かぶと、眼の奥がギューーと熱くなった。こういう方にこそノーベル賞を受賞してほしいとあらためて思った。