コメンテーターの難しさ

自分でやるまでは「誰にでも務まるはず」と思っていた。テレビの情報番組のコメンテーターである。

これまで何度思ったことか。コメンテーターの言葉には、飲み屋の席で仲間と語りあうレベルのコメントが少なくない。ずっとそう思っていた。だから誰にでも務まると考えていた。

だが、自分がコメンテーターとしてテレビにでるようになって、いかに大変な仕事であるかがわかった。なにしろ視聴率5%でも約500万人が観ているのである。

人からどう思われようが、自身のブログやSNSが炎上しようが関係ないと断言できる人であればいい。しかし無責任な話をすれば、すぐに視聴者からの負の反応がある。自身のイメージも悪くなる。

なにより驚かされるのは、番組で共演する専門家たちの知識と柔軟さである。

誰もが得意分野をもつ。特定の分野では誰にもまけないといった人たちがすぐ横に座る。しかも彼らの多くは、どんなテーマであってもこなせる柔らかさと語れるだけの知識を蓄えている。

毎日いくつもの新聞を読み込んでいる。殺人事件からロヒンギャ問題、北朝鮮問題から貴ノ岩問題まで、これまで誰も口にしなかったコメントを隠し持っている、ことが多い。

仕事だから当たり前と思われるが、四六時中、時事問題を追っていないとついていけない。番組前の控室やCM中に共演者と話をすると、彼らがいかにイマを追い、瞬間を逃さずにいるかがひしひしと感じられて、怖くなることがある。

自分はどこまでできているのか・・・

Christmas Weeks(1)

昨年12月も行った「Christmas Weeks」の写真シリーズ。今年もクリスマスまで写真をアップしていきます。

treeinmarub

東京千代田区にある丸ビルの1階に現れたクリスマスツリー。

Media appearances

今後の放送メディア出演予定:

 

・12月8日(金)7:00amから東京FM(周波数80.0MHz)『クロノス

・12月9日(土)9:30amから 朝日放送(大阪)『教えて!ニュースライブ 正義のミカタ

トランプは日本時間7日、イスラエル、テルアビブにあるアメリカ大使館を移転させることにした。この決定は、トランプが熟考の末に下したものではないと私は考えている。というのも、先週金曜の段階では、ホワイトハウス高官はトランプが決定を延期するとみていたからだ。

今週になって急遽、トランプ本人が「移転は俺の選挙公約だったし、中東和平には影響ないだろう」的な感触で決断したように思える。アラブ諸国や西側諸国のここまでの否定的な反応を予測できていたら、決断していなかっただろう。

今ごろ「チッ、やっちまったな」と思っているはずである。明日、明後日の番組のテーマもそこである。(敬称略)

眼球って縫えるんです(その後)

10月23日に眼の手術をしてから1カ月半が経ちました(眼球って縫えるんです)。

いまは痛みもなくなり、視力も戻り、日常生活に支障はありません。ただ1日中パソコンを使ったり本や資料を読んでいたりすると、眼の奥のほうから「今日はもう止めなさい」という声が聞こえます。

少しだけジンジンするのです。

網膜前膜という珍しい病気になり、眼球に穴をあける手術は今年もっともシュールな出来ごとでした。今思い返しても現実とは思えないような、超現実の世界でした。

術後10日間ほどは痛みがあり、昼間、瞼のうえから保冷剤をあてていることもありました。左目は熟れたプラムのようだったのです。

術後1週間ほどは仕事を控えましたが、翌週にはテレビの仕事が入っていました。カメラは確実に「プラム」を捉えます。

2週間ほどは伊達メガネをかけていましたが、「眼が赤いよ」とテレビを観ていた方に指摘されました。何しろ、いまだに左目の端は赤いのです。

12月4日、定期検診で主治医のM先生に診てもらいました。

「3種類の目薬のうち、2つはもう止めていいです。ネバナックは続けてください」

ネバナックというのは炎症を抑えて、傷の治りを早くする目薬です。過去1カ月半、3種類の目薬を1日に4回さす日が続いたのです。でもいまは1種類を1日に2回だけでよくなりました。

術後、5回にわけて書いた「眼球って縫えるんです」で書かなかったことがあります。それは網膜に穴があいていたことです。

手術中、先生が看護師さんに「レーザー持ってきて」と言ったことを聞き逃しませんでした。何に使うのかといえば、穴をふさぐためだったのです。

そのまま放っておくと、網膜剥離を起こして失明する可能性さえあったと術後に聞かされました。穴があいていたのは、手術中にわかったことでした。

いずれにしても、先生方のお陰で日常生活を取り戻せたことに感謝するしかありません。

いまのところ右目は正常ですが、今後右目が同じ病気にならないことを祈っています。

定年廃止論

なにも新しい考え方ではない。

日本ではまだ実践されていないが、何人もの方が定年廃止を提唱している。

アメリカではずいぶん前から定年はない。本人に能力があり、仕事を続けられる環境がととのっていれば、80歳を過ぎても現役でいられる。本人次第である。

80代後半までコロンビア大学で教鞭をとっていた文芸評論家のドナルド・キーン氏が好例だ。何も大学の先生だけではない。一般の民間企業にも定年はない。

今日、久しぶりに顔を合わせたジャーナリストの知人が興味深いことを話してくれた。

彼は40歳半ばでアメリカの大学院の博士課程に入った人で、アメリカには50歳代でも博士課程に入ってくる人がいるという。博士号を取得する頃には日本の定年年齢を迎えるが、それからが次の人生なのだと張り切っているという話だ。

50歳代後半まで仕事をしたことで、ひとつのキャリアを極めたという実感を得たあと、次の20年を学者として生きることにしたというのだ。

職種は問わない。仕事をし続けることで健康寿命も延びていく。80歳まで仕事をつづけられる人は相当の割合でいるはずだ。いや、その方が健康寿命だけでなく、納税者として政府に寄与することにもなる。

60歳、65歳で定年としての線を引くことはもう現実的ではない。