コメンテーターの難しさ

自分でやるまでは「誰にでも務まるはず」と思っていた。テレビの情報番組のコメンテーターである。

これまで何度思ったことか。コメンテーターの言葉には、飲み屋の席で仲間と語りあうレベルのコメントが少なくない。ずっとそう思っていた。だから誰にでも務まると考えていた。

だが、自分がコメンテーターとしてテレビにでるようになって、いかに大変な仕事であるかがわかった。なにしろ視聴率5%でも約500万人が観ているのである。

人からどう思われようが、自身のブログやSNSが炎上しようが関係ないと断言できる人であればいい。しかし無責任な話をすれば、すぐに視聴者からの負の反応がある。自身のイメージも悪くなる。

なにより驚かされるのは、番組で共演する専門家たちの知識と柔軟さである。

誰もが得意分野をもつ。特定の分野では誰にもまけないといった人たちがすぐ横に座る。しかも彼らの多くは、どんなテーマであってもこなせる柔らかさと語れるだけの知識を蓄えている。

毎日いくつもの新聞を読み込んでいる。殺人事件からロヒンギャ問題、北朝鮮問題から貴ノ岩問題まで、これまで誰も口にしなかったコメントを隠し持っている、ことが多い。

仕事だから当たり前と思われるが、四六時中、時事問題を追っていないとついていけない。番組前の控室やCM中に共演者と話をすると、彼らがいかにイマを追い、瞬間を逃さずにいるかがひしひしと感じられて、怖くなることがある。

自分はどこまでできているのか・・・