シャセリオー展

artmuseum5.26.17

東京上野の国立西洋美術館で開かれている「シャセリオー展」に足を向けた。先週は丸の内にある三菱一号館美術館で「オルセーのナビ派展」を観た。いずれも展覧会が終わる直前に駆け込んだ。

どちらも、ピカソやセザンヌといった万人が知る画家の作品が展示されているわけではないが、ホンモノだけが持つ重い力を感じた。技術だけではない、後世の人間にも確実にとどく真理がそこにある。

19世紀前半に生きたテオドール・シャセリオーは若干37歳で他界するが、15歳の時に描いた油彩は天才と呼ぶにふさわしいほどの完成度があった。

幼少の頃から「絵の上手い子供」は世界中にいる。だが美術関係の仕事に就けるのはその中の何割かに過ぎず、ましてや画家として生きていけるだけの技量と運を持ち合わせているのはもっと少ない。

シャセリオーは間違いなく突き抜けている。他者を圧倒的に凌駕している。観る側はそこに嬉しさと畏怖を感じざるを得ない。

ただフランス・ロマン主義の中にいた画家である。ほとんどの絵の背景は暗い。宗教画にしても、人物画にしても、背後は闇夜を思わせるほどの重さがある。

今回の展覧会で、一枚だけルノアールの作品が混ざっていた。空がライトブルーで塗られている。

それはまるで、深く長いトンネルを歩き続けてきて、突然目の前に蒼空が開けたような瞬間だった。

シャセリオーを観に行ったのだが、ルノアールの人気の高さをあらためて思い知らされた気がした。