私はジャーナリズムの分野で仕事をしている。だから映画業界、特にハリウッドと深い関係があるわけではない。
けれどもこれまで少しだけかかわりがあった。ニューヨークのホテルでロバート・レッドフォードにインタビューをしたのは随分前のことだ。今年1月には映画監督オリバー・ストーンにインタビューした。
それよりも、1992年、ハリウッドの配役会社から連絡があり「ジュリア・ロバーツと一緒に映画に出ませんか」という誘いを受けたことがある。本当のことだ。
ジュリア・ロバーツに会えるのならばと思ってすぐに引き受けた。93年に封切られた「ペリカン文書」である。
首都ワシントン市内のカロラマロードという所に、大きな撮影スタジオがあった。そこにはホワイトハウスの執務室と同じ大きさのセットがあり、備品も整っている。
私に与えらえた役はSPだった。日本の外務大臣がホワイトハウスを訪れるという設定で、執務室で大統領と会談している時、耳にイヤフォンをさしてソファのうしろに立っているだけの役柄である。セリフはない。
3カット撮った記憶がある。何台ものカメラが稼働していて、私はキョロキョロとスタジオ内を見ていた。
「カット!そこのSPさん、首をあんまり動かさないで!」
監督の声が飛んだ。セリフもないのにNGをだしてしまった。
自分の出番がおわり、ジュリア・ロバーツがスタジオ内にいないか捜してみたが、見当たらない。
「ジュリアは今日はオフだよ」
関係者にそう告げられて、うなだれながら帰宅した。それからしばらくして映画の封切りの日となった。配給会社からはその後、何の連絡もなかった。
自分が映っているかいないかは五分五分といった感触で、友人と映画館に足を運んだ。結果は、私どころかその日の執務室での撮影シーンすべてが使われていなかった。
映画館の帰路、友人と「世の中こんなものだよね」と笑ったのを覚えている。
その後、B級映画の零戦パイロット役で出演しないかとのオファーもきたが、たまたま本業の仕事と重なり行けなかった。それ以来、映画出演のオファーはこなくなった。
日本に戻ってからは映画館で配られるパンフレットの解説を何度か書いたことがある程度で、特に映画業界とつながりがあるわけではない。
ただ先日、「ノー・エスケープ 自由への国境(原題:Desierto)」という5月5日封切りの映画の宣伝部から連絡があった。DVDを観て感想を書いてほしいという依頼だった。宣伝用に使われるはずだ。
メキシコから国境を越えてアメリカに渡る不法移民たちの過酷な現実を描いた秀抜な作品である。
相変わらず映画界との関係は希薄だが、ハリウッドとは眼に見えないような細い糸でつながっていると一人で思っている。