「単なるクソ野郎」か?

お笑い芸人の有吉弘行が品川祐のことを「おしゃべりクソ野郎」と言い放ったのは2007年のことである。テレビ視聴者は瞬時にして有吉の言葉のチョイスにひざを叩いた、はずである。

都知事の舛添要一の弁明会見を観ていて思ったのは、「単なるクソ野郎」(失礼)でしかないということだ。

舛添は会見をみるかぎり、今回の政治資金問題を「精査する」と「第3者の厳しい目」で切り抜けようとしている。6月1日から始まる都議会で追い詰められて、最終的には猪瀬と同じように辞任という道を歩むようにも見える。

権力というものを手中にすると、猪瀬にしろ舛添にしろ、なぜ変わってしまうのか。カネが手元に集まり、自由裁量権が与えられ、都知事という一つのピラミッドの頂点に立つことで独裁者が持つある種の多幸感が人を惑わすのか。

ただ、都知事になるタイプの人間は、最初から目の前にカネがあれば迷わず手をだす性向の持ち主かとも思える。

2年前、都知事選に出馬している時、日本外国特派員協会で大きいコトを口走る舛添を目の当たりにした(先頭をいく候補 )。当時、舛添にはカネの問題が浮上していた。

舛添が立ち上げた「新党改革」の借入金2億5000万円の返済に、政党交付金と立法事務費を使っていたという疑惑だ。借金の返済に税金を使うのは違法である。舛添のカネ使いの危うさは今に始まったことではないのだ。

都民がやれることは、都議会議員とともに舛添を「普通の人」に戻すことである。アメリカであれば刑事事件として訴追しているかもしれない。

いずれにしても「単なるクソ野郎」である。(敬称略)