人生最初の大統領選取材

1984年、ゲイリー・ハートという上院議員が大統領選に出馬していた。

彼はルックス的にはライバル候補だったモンデールよりも数段上で、支持率でも一時は民主党トップだった。日本の新聞は「いま戦えば勝つ」というタイトルを打ちさえした。モンデールというのは後に駐日大使になった、あのモンデールだ。

だがハートは不倫問題が表面化して、あっという間に支持率を落として姿を消してしまう。ハートの人気がまだ高かった時、首都ワシントンにあった彼の選挙事務所を訪れたことがある。

当時、読売新聞ワシントン支局の「坊や(助手)」をしていた私は、特派員のS氏とハートの選挙事務所に向かった。

私が住所を調べ、S氏が車を運転した。選挙事務所はワシントン市内の南東区という場所にあった。S氏は南東区であることに、「ヘエ?」という反応をした。ワシントン市内は大きく4区画に別れており、多くの主要な建物は北西区に位置するからだ。

南東区というのは治安がいい場所ではなく、ましてや大統領候補が選挙事務所を置くような地区ではない。目的地に着くと、S氏が言った。

「北西区の間違いじゃないの?」

というのも、着いた場所はポルノ映画館だったからだ。何度か番地を確認したが、やはりメモした住所だった。

「すみません。間違ったようです・・・」と言って映画館の2階を見ると、ゲイリー・ハートという名前の刻まれたポスターが窓ガラスに何枚も貼られていた。

ハートは選挙資金が乏しく、とにかく安い場所をということで、最終的にポルノ映画館の2階に落ち着いたようだった。普通の政治家なら資金がなくとも却下するところである。しかしハートは体裁を気にせず、ポルノ映画館を選挙事務所にしたのだ。

階段をあがっていくと、多くのスタッフがDVDの2倍速のような機敏さで仕事をしていた。湯気がたつような活気があった。それ以来、妙にハートが気になり、彼を応援するようになる。応援といっても何もできなかったが、大統領になってほしいと思っていた。

不倫問題が発覚したのは、それからすぐのことだった。

当時、私はまだ大学院生で、支局では助手としてお茶汲みや新聞の切り抜き、電話の対応をしていただけなので「大統領選を取材した」とは言えない。

自分で記事を書くために取材した大統領選は1992年からである。以来、今回で7回目。ポルノ映画館も入れれば8回目だ。

怖いモノ知らずの勢いは今よりもあったように思う。

Garyhart.5.9.16

1984年当時のゲイリー・ハート上院議員     By Famousfix.com