終わりというスタート

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Photo courtesy of CBS

日本ではほとんど馴染みのないアメリカのテレビ番組の司会者デイビッド・レターマンが番組を降りた(もうひとつの長寿番組の終焉 )。

降りたというより、33年も続けていた番組をついに終えたと表現すべきだろう。アメリカのテレビ司会者の中では最も好きな人だったので、レターマンが姿を消すということは、ある時代が確実に終わりを告げたことに等しい。

けれども年配者が現役を引退し、ただ寂しいと述べているだけでは自分も下り坂を降りているようで、どうも釈然としない。

何かが終わるというのは、別の視点から眺めると何かが始まることであり、そこに新しい波が生まれるとしたら、私はそちら側に身を置かなくてはいけないと真剣に思う。

68歳のレターマンはすでに億万長者であり、これから何もしなくとも経済的には困らないだろうが、テレビ局はそのあとに続く番組をつくるわけで、ニューウェーブをつくって新しい時代をけん引しなくてはいけない。

テレビだけではない。出版や広告、どんな業界でも一つの終わりは新たなモノがスタートすることを意味する。

今日はしきりにそんな思いにとらわれた1日だった。(敬称略)